第3話

 灰犬が、商館の中にある台所でナイフを研いでいると、ひょっこりと男がやってきた。


「おい、犬。出かけるぞ。」

「あー、もうちょっと待ってて。これ、もう少しで研ぎ終わるから。」


 そう言って、灰犬がナイフの刃に親指を滑らせ、研ぎ具合を確認しては砥石にナイフの刃を滑らすという事を繰り返していると、男がこめかみをひくつかせながら苛立たしげに呟いた。


「お前、奴隷だよな?」

「そうだよ?」


 振り向きもせずに、怪訝そうな声で灰犬がそう言い返せば、男は地団駄を踏みながら、怒鳴るようにして灰犬に喚き散らした。


「だったらさっさとしろ!奴隷の分際でご主人様を待たせるな!!」


 灰犬を指しながらそう怒鳴る男に、灰犬はナイフを見せて言った。


「これ、ご主人の命を守るためのものなんだけど。

 少し待って安全を確保するのと、待たないで殺されるの、どっちがいい?」


 男は、灰犬に言い返すことができず、むっつりと黙り込んだ。



 フードを深く被り、警戒するようにあちこちに視線を飛ばしながら、男は裏路地を歩いていた。その男の背に着いて歩きながら、灰犬はふと思った事を聞いた。


「そう言えば、ご主人。手枷を付けたエルフがいたと思うんだけど。」

「……ああ、いたな。」


 眉根を寄せながらそう言う男に、灰犬は首を傾げながら言った。


「売れたの?」


 灰犬の疑問の言葉に、男は立ち止まった。

 そして、額に青筋を浮かべた顔で振り向くと、灰犬に向かって怒鳴った。


「売れねぇよ、あのクソ生意気なエルフは!」

「あー、やっぱり?」


 灰犬が苦笑すると、男は舌打ちをして視線を前方に戻し、歩き出した。


 この奴隷商人の男、根がヘタレなので、奴隷でも暴力を振るう事を躊躇うのだ。そのせいで、調教する事ができない。

 では、そんな奴隷を人に売るのか、というと、普通の人には売らない。同じ奴隷商人に売るのだ。

 この男は、だいたいは違法な手段で手に入れた奴隷を扱う為、そういった奴隷を手に入れたい奴隷商人に需要がある。

 奴隷には、重罪を犯して奴隷になった、人権が保証されない犯罪奴隷や、借金をして、その借金を返すまで奴隷として働く、人権が保証される借金奴隷がいる。

 犯罪奴隷は人権が保証されない為、人とは思えない扱いをされても法に触れないが、借金奴隷は違う。借金奴隷は、買った主人が人権を無視した扱いをする場合は、訴えることができるようになっているのだ。

 ただし、違法な手段で手に入れた奴隷は違うらしく、基本的に人権が保証されない。どうも、法の抜け道というか、そういった都合のいいものがあるらしく、違法な手段で手に入れた奴隷を手に入れたい人はかなり多い。

 その分、かなり危険な稼業である事は確かだ。違法な手段で手に入れた奴隷を買った側の奴隷商人は、万が一見つかっても、「これは犯罪奴隷と言われて買ったものだ。私は法を犯していない」で済むが、灰犬の主人である男はがっつり法を犯しているので、ばれれば即座に牢獄行きだろう。


 そんな男が、人気のない裏路地とはいえ、外をうろついて歩くのだから、灰犬は男に呆れるしかない。刺客が送られてくるくらいに恨まれているし、訴えられて証拠でも掴まれたら人生が終了するのは男なのだから。


(その内死ぬな、この男。)


 むしろ、今まで生きてこれたのが奇跡だ。だが、だからこそ、何かきっかけがあれば、この日常はあっという間に消え去るだろう。

 それを、男は知っているのだろうか。いや、知らないのだろうな、と、灰犬は呆れたように首を振った。



 男が入っていったのは、何処かの地下にある場所のようだ。紹介状と、合言葉のようなものを言って、仮面を被った執事のような人に案内されている。

 執事は、灰犬をちらっと見ると、男に声をかけた。


「失礼、この獣人は?」

「あ?ああ、この犬は俺の護衛だ。これでも腕が立つ。今まで、何十人という刺客を葬ってきたからな。」


 そう、どこか自慢げに言う男に、灰犬は溜息を吐きたくなった。お前が自慢する事でもないだろう、という事と、あまりそう言った余計な事は言わない方がいいのでは、という思いからくるものだった。

 執事は頷くと、開けっ放しになっている応接室のような所に腕を向けた。


「では、あちらの部屋に置いてある仮面から、一つ、好きなものを選んでください。」

「はぁ?仮面?」

「はい。当店では、あまり表にでないものも扱う為、皆様に顔を隠す為の仮面をして貰っております。」


 そう言われても、今一つ分かっていない様子の男に、灰犬が耳打ちした。


「個人情報が漏れないようにするための措置だよ。欲しい物が買えなかった奴が、買った奴から品物を奪おうと、後でその人が襲うかもしれないでしょ?そうならないための措置だよ。」

「し、知ってるぞ、そんな事!」


 顔を真っ赤にして部屋に入っていく男に、灰犬は今度こそ溜息を吐いた。

 そんな灰犬に、執事が呟いた。


「どうやら苦労されているようですな、狂犬様?」


 灰犬は、その言葉を聞いて、ほら、とでも言いたげに、苦虫を噛み潰したような表情になった。男が余計な事を言うから、こうやって正体を特定されるのだ。

 灰犬は、今、男と同じ、頭ですっぽりと隠れるフード付きのローブを着ているのだが、執事は男の言った言葉と、僅かに見えた獣耳とその色で灰犬を特定したらしい。狂犬という名は、裏社会では名だたる暗殺者を返り討ちにする奴隷として、有名な名前だ。


「……できれば、他言無用でお願いしたいんだけど。」

「勿論でございます。当店ではお客様の情報を明かしません。」


 灰犬は、執事に「頼むよ、いや本当に」と言うと、部屋の入り口近くに置いてある仮面を適当に取った。

 その仮面は、何故か、目が来る部分に穴が空いていなかった。おまけに、のっぺりとした仮面の表面には、所々に血が付いている上に、魔方陣のようなものが擦れて見える。

 斬新なデザインだなと、首を傾げながらも被ってみると、驚く程の膨大な数の視界が映りこんだ。まるで、それぞれ違うものが映っている何百台ものテレビを、いっぺんに見た気分だ。

 それぞれの視界は、暗がりや影、物と物の隙間から覗いたような感じで映っていた。


「今の魔道具って凄いんだな……」


 仮面を外して見れば、男が丁度仮面を選び終えたらしく、部屋から出てくる所だった。


「おい、行くぞ、犬。」

「……ご主人、本当にそれにするの?」


 灰犬が、ドン引きしたようにそう言うと、バッタの顔面のような仮面(まるでどこぞのライダーのような仮面)を付けた男が振り返った。


「なんだ、何か悪いか?というか、お前も大概だろう。なんだ、その、血塗れの仮面は?」

「俺はいいんだよ。顔を隠せればそれでいいし。」


 そう言って、ふと、足元から視線を感じて、灰犬は視線を落とした。視線を感じた所、足元にあるものを見て、灰犬は思わずギョッとした。

 灰犬の足元に、子供の生首が転がっていたのだ。それも、一つではなく、四つも転がっていた。気付けば、あちこちから視線を感じる。

 子供の生首は、まるで遊んで欲しいかのように、キラキラとした無邪気な眼差しで灰犬を見つめてくる。思わず、灰犬の頬が引き攣った。

 灰犬が固まっていると、男が怪訝そうな声で声をかけた。


「おい、どうした、いきなり足元を見て固まって。」


 その言葉に、灰犬はバッと頭を上げ、信じられ無い物を見つめるような目で男を見つめた。

 灰犬の様子にギョッとして後ずさる男を見つめながら、灰犬は内心で冷や汗を掻いていた。


(これが見えてるのは、俺だけか……)


 何が原因なんだと考えて、灰犬は、ふと、仮面に視線を落とした。


「これか……」

「おい、いきなり何なんだよ。」

「いや、何でもない。それよりさっさと行こうよ、ご主人。」

「お、おう?」


 首を傾げる男の背を追いながら、灰犬は仮面を着ける。自分の顔が映る四つの視界を見ながら、灰犬は小声で呟いた。


「後で、遊んでやるから。」


 子供の生首は、ぱぁっと花が咲くような笑みを浮かべると、くすくすと笑いながら灰犬の影に沈んでいった。

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