第2話

 日が落ち、空が赤く染まる頃、奴隷商人の一行は街に着いた。

 この世界は、魔物や魔獣、更には最近になって狂い魔などと呼ばれる強い魔物が出没するため、街には外壁が張り巡らせられている。

 日が落ちると、そういった外敵が活発になるため、入ってこれないように街の門を閉じてしまう。

 見た感じでは、門が閉じかかっていたのだが、男が何かといちゃもんを付けて門を再度開かせているようだった。

 やがて、馬車が進み始める。どうやら、男は門番を説得する事ができたらしい。馬車の上から、ちらりと横目で門番を見れば、苛立たしげに男を睨んでいた。


「こんな事をするから、恨まれるんだよなぁ。」


 呆れたように、灰犬がそう呟けば、門番が灰犬のその声で気付き、灰犬の着ている、固まった血で染められた赤黒い服を見て、ぎょっとしたように目を見開いた。


「狂犬だ……」

「あの奴隷、まだ売れないのか……」


 門番のその小声に、聞こえているんだぞ、と、灰犬が目を細めて笑いかければ、門番達は慌てて灰犬から視線を逸らした。


 街に入ると、そこにはいわゆる中世の街並みといったレンガ造りの家が並んでいた。男は人のいないひっそりとした道を通り、やがて、大きな建物に着いた。男の、奴隷商館だ。

 男は、ほっと息を吐くと、馬車の操縦席から降り、馬車の中から奴隷を降ろし始めた。


「よし、全員いるな。おい犬、見張りを頼むぞ。」


 そう言って、扉の鍵を開けようとする男に、灰犬は手のひらを向けて男を呼び止めた。


「あ、待って。」

「あ?なんだ、なんか文句が……」


 男はそこまで言って、灰犬が扉を……もっと詳しく言えば、扉の向こうに目を向けている事に気が付いた。

 男は顔を青くすると、無言で灰犬に鍵を渡した。

 灰犬は、鍵を受け取ると、右手に腰の鞘から取り出したナイフを逆手に持ち、そして左手に鍵を持ち、扉の鍵を開けて扉に手を掛けた。

 扉が動いた瞬間、その隙間から黒い影が灰犬に襲いかかる。灰犬は、慌てもせずに、相手の左膝を蹴り抜いた。


「ぐぁっ」


 くぐもるような悲鳴と共に、灰犬の脚に、膝の骨が砕ける感触が伝わってくる。左膝が逆方向にくの字に曲がった事で、ぐらりと体勢が傾き、位置が下がった相手の首に、灰犬は容赦なくナイフを上から弧を描くように振りぬいた。

 切れ味のいいナイフは、相手の首を切断する半ばまで切り裂き、相手の命をあっさりと奪い去った。

 首から血を噴出させ、地面に赤い染みを広げながら、事切れて動かなくなった相手にも目を向けず、ナイフに付いた血を拭う灰犬に、男は青い顔のまま言い放った。


「お、おい、そいつ、お前が片付けておけよ。」


 震える声でそう言う男に、灰犬はナイフの状態を見た後、ちらりと男を呆れたような目で見た。


「まだ慣れないの?死体。」

「うるせぇ!お前だって最初の頃は青い顔で震えていただろうが!」


 喚き散らす男に、灰犬は、責めるような、それでいて、どこか悲しそうな目で言った。


「最初はね。でも、もう、慣れたよ。何人殺したと思っているんだ?」


 遠回しに、お前のせいだ、と言っている灰犬に、男は、うっと呻くと、目を逸らして黙り込んだ。

 灰犬は溜息を吐くと、ナイフを鞘に入れた。


「先に殺さなきゃ、こっちが殺されるんだ。弱い方が死ぬ。躊躇ったら死ぬ。油断したら死ぬ。ここは、そんな世界じゃないか。だというのに、ご主人はまだ慣れないのか?

 本当に思うんだけど、ご主人って、奴隷商人に向いていないよね。こんな生意気な口を叩く俺を、未だ調教していないんだから、余計に。」

「……うるせぇ、黙れ。」


 男は、奥歯を噛みしめながらそう言うと、死体を跨いで商館の中に入っていってしまった。

 灰犬は、獣耳の裏を掻きながら、溜息を吐くと、死体を担いで入り口から退かし、地面に広がった血だまりに足で土をかけて適当に埋めると、目の前で起きた惨劇に震えている奴隷達に目を向けた。


「早く入りなよ。あの男は意気地なしだから、お前達に暴力を振るったりはしないだろうけど、怒鳴りちらしはするだろうから。」


 そう言って、死体を担いで商館の裏に行こうとする灰犬に、奴隷の内の一人が声を上げた。


「あなた、何人殺したのよ……」


 灰犬が、声のした方に目を向けると、手枷を嵌められた美少女の奴隷がいた。確か、彼女はエルフ族で、暴れるからと言って手枷を付けられたのだったか。

 灰犬は鼻を鳴らすと、視線を戻して呟いた。


「さぁ。十を超えた辺りで数えるのをやめたから、俺も知らない。三桁まではいってないと思うけど。」


 平坦な声でそう言って、歩き出した灰犬の背に、蔑むような声がかけられた。


「……人殺し。」


 灰犬は、少しだけ反応したが、振り返らなかった。

 商館の裏で、死体の持ち物を取り出しながら、灰犬は感情のこもっていない無表情でぽつりと呟いた。


「分かっているよ。誰よりも。」


 死体からピッキングツールと簡素なナイフを取り上げる。誰が依頼したのか、そしてこの死体の主がどこの組織に属しているかの証拠を残さない為か、死体からはそれしか取れなかった。

 ふと、灰犬が自分の手を見た時、一瞬、その手が血塗れになっているように見えた。が、まばたきした一瞬の内にその幻影は消え去り、元の白い肌が見えた。

 人を始めて殺した時、手に残る人の肉を切り裂いた感触がいつまでも離れなくて、這い上がるような悪寒に震えていたものだが、今ではもう慣れて、返り血すら避ける余裕があった。

 それでも、たまに、こうやって幻影が見える時がある。それはふとした瞬間だったり、人を殺した直後だったり。

 灰犬は、しばらくの間、無言で目を瞑ると、商館の裏にある焼却炉に死体を入れ、スイッチを押した。

 焼却炉は、魔道具と呼ばれる道具らしく、魔物から取れる魔核と呼ばれる石のようなものや、鉱山から取れる魔石という鉱物を燃料に稼働する。

 もしくは、人のもつ魔力というエネルギーを燃料にできるらしいのだが、灰犬はそういうのには詳しくなかった。魔力が扱えれば魔法が使えるらしいのだが、灰犬には魔力がないらしい。それはそれであり得ない事なのだそうだが。

 魔力を持たない人間は、勇者と呼ばれる異世界の戦士くらいのものらしい。でも、灰犬は勇者ではない。それだけは確かだ。


 死体の焼却が終わると、灰犬は焼却炉からぐずぐずになった骨をかき集め、商館の裏の隅っこの影にある、真っ黒な彼岸花が咲き誇る所に、骨を撒いた。

 そして、無言で深々と頭を下げた後、踵を返した。



 商館の二階、その窓から、エルフの少女が驚いたような目で灰犬を見ていたのだが、珍しい事に、灰犬はそれに気付く事は無かった。

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