第18話:小さな渦
住宅街の一画に建てられたどこにでもある一軒家。そこにエレーナは居た。
昨日、母である静に、遭難者の捜索を依頼された。本来、この世界に遭難者が出ることはあり得ない。だが、そのあり得ない事態が起きた。起きてはならない事態が起きてしまった――。
遭難者捜索は難航を極めた。なにせ、この場所では、誰も頼ることができない。また、遭難者の情報が少なく、曖昧なのだ。
与えられた情報といえば、魔法世界出身の少女という程度。これだけで、人探しなど、遭難者でなかったとしても不可能だ。
静に言われた機材で捜索を試みるが、全くヒットしない。何より、例の穴さえ見つかりそうにない。
「別世界と繋がった穴を見つけろ、なんて簡単に言ってくれたけど、お母さん、無茶苦茶よ」
リビングでコーヒー片手に作業を進めるエレーナ。捜索と言っても、特別なことをするわけではない。捜索対象の情報と、遭難日時を打ち込んであとは、結果を待つだけ。他に出来る事と言えば、捜索範囲を絞り込むくらいだ。
捜索範囲の絞り込みは、小さな反応でも拾う事もできる。しかし、賭けの要素が大きい。広範囲で捜索する方がまだ、可能性がある。
「捜索範囲をこの国で絞っては見たものの・・・」
手始めとして、国を絞ったが反応を掴めない。範囲を変更すべきか悩む。
「そもそも、空間転移でここまで出来る子って、何者?」
それ以前に、どうやってこの世界の存在を知った?となるが、そこの疑問は解決済み。自分の父親だ。
「つーちゃん巻き込んだら容赦しないんだから」
いつか訪れることが
幼い頃から見せた小さな可能性。長い間をかけて薄まった血が、ここにきて再び熱を持った。よりにもよって、この世界で。それでも運がよかった。関係者がこの世界にいる時で。しかし、それが今回の事態を呼び起こしたのなら、その当事者にどう文句をつけようか。それだけで悩む。
「――もう夕方か」
つー。翼が戻ってくる。不自然に家を空ければ怪しまれる。これまで、娘第一に行動してきたエレーナ。娘を心配させるような真似はしない。
パソコンを閉じ、両親の家を出る。
家事仕事が残ってるので、自然と足早になる。なにより、ここ最近、なぜか愛娘と時間がかみ合わない。
「あっ、お母さーん!!」
声をかけてきたのは、学校帰りの翼。その表情はいつも通りで、少し違った。その僅かな違和感をエレーナは見逃さない。翼にあったのは、焦りと、少しの安堵。それだけで、何かあったと理解できた。
「どうしたの?」
「はぁ、はぁ、はぁ」
母を偶然見つけ、そばまで走ってきた彼女は、ゆっくりと息を整える。
「え?」
それから、いきなりエレーナの腕をつかむ。
「ちょっとついてきてぇ」
「え、ちょっと、つーちゃん?」
普段の娘の姿からは想像できない積極性。まるで、なにか差し迫ってるかのように。そして、エレーナは嫌な予感がした。だから、あえて今問いかける。
「なにがあったの?」
腕をひかれてるとは言っても、大人と子供。エレーナの方が勝つ。
鋭い刃でありながら、温もりのこもった言葉。そんな母の問いに翼は一瞬俯きながらも答える。
「えっとね、柚お姉ちゃんのこと、なのかな?」
「ぁ・・・」
どうしても避けたかった事態は、決して避けられない。それを、娘の口からはっきりと告げられる。世界は、どこまで行っても残酷だ。そう思っても、もう後戻りはできない。
震える唇を抑え、翼のほっぺにそっと手を添える。
「そう。案内してくれる?」
「うん」
本当に分かっていた。翼はあのミスズの言っていたことを思い出していた。
彼女の所へ母を案内している時、二人は並んでは歩かなかった。翼が前を歩き、その一歩後ろをエレーナが歩く。案内なのだ、と言われれば一切違和感は無い。だが、その前にこの二人は親子なのだ。ならば、並んで歩くのが自然だ。しかしこの時、翼は分からなかった。今日までに至った事、祖母達の事、そして今まで知らなかった事全てに。
「つーちゃん?」
先に声を掛けたのはエレーナだった。まだまだ小さな背中だ。その背中にこれからのし掛かるかもしれない物。それが、どれだの物になるのか、分かっているからだ。今、翼の中でも整理がついてないことくらい、すぐに理解出来る。
「あのね、」
「うん」
「なんて、言えばいいのかな」
理解してもらえないことを、理解してもらえる。通常であれば、有り得ないことなのに、それが有り得る。それは、まだ中学生の翼には幸運な事だろう。しかし、どうすれば信じてもらえるか、なんて考えてしまう。
「柚のこと?」
「柚お姉ちゃんもそうなんだけど、それだけじゃなくてね」
「うん」
「短い間にたくさんの事があって、何を言えば良いのか、何から言えば良いのか分からなくて」
当然の事で、当たり前のこと。関係ない事で、関わりなど持つ筈もない事を知った時、冷静で居られるほど、人は強くない。ましてや、子供なら尚のこと。
だから、エレーナは自ら触れていく。
「つーちゃん、私ね」
「ん?」
「会わなきゃいけない人が居るの」
「うん。わかってる。その、いい子だよ」
ゆっくりと嚙み合った歯車が回りだす。暫くぶりに動いた様な錆びた音は立てずに、驚く程静かに。
――ブブブ。
「ん?」
翼の持つ端末に、メッセージが届く。差出人はミスズだった。
『久根さん今からこちらへ戻れますか?伝え忘れたことがあります。ちょうど目の前の雑居ビルに入口があります。パスワードで開きますのでそこからお願いします』
翼は思わずあたりをキョロキョロとする。それは、ミスズに指示されたビルを探すためではなく、どうやって自分の場所を知ったのかと。まさか、ティアがと思ったがあの二人がそんな危険な真似をするとは思えなかった。
「どうしたの?」
「えっと、これ」
翼は母にミスズから送られてきたメッセージを見せる。そこには、隠れ家へ通じるための扉までの道筋も添付されていた。
「なんで私の場所が・・・?」
「う~ん・・・。つーちゃん、あそこでこの端末充電した?」
「え、ぁ、うん。ちょっとだけ」
「あそこには、あらゆるコネクターがあるからみたいだから、その時かな~」
エレーナは翼の端末を弄って小さなUSBを差し込んだ。
「ほら、なんか入ってる」
「うわぁー」
「向こうで使ってるものだね。ここのでも使えるんだ」
軽く感心、殆ど複雑。そんな感情に支配それる翼。
指定された場所から隠れ家に入っていく二人。今回の入り口は、学校の植物園以上に通路が長い。通路は一本道。だがまっすぐというわけではなかった。ところどころで曲がっており自分の位置を見失わせるようだった。それから少しして、扉が現れる。
「久根さん、着きましたか?」
「あ、はい。今、通路の扉の前です」
「わかりました」
ガチャ
鍵の開く音がすると、自動扉が開いた。今回繋がっていたのは通信室の入り口の真向かい。まさか、ここにも入り口があったとは、翼も驚き。そしてミスズが待つ通信室の扉は開かれていた。
「あ、こっちこっち」
中からティアがひょこっと顔を出す。その腕には何か資料が抱えられていた。
「あれ、その人は?」
「あ、お母さん」
「母から聞いてるわ。あなたの事」
エレーナは、翼と同じくらいの身長のティアに目線を合わせる。
「じゃあ、ティア・ノーブルさん。あなたを保護しに来ました」
「とりあえず、話は中で」
ティアに続いて通信室に入る翼とエレーナ。翼の連れを見て、ミスズは少し驚きの表情を見せた。ティアは抱えていた資料を室内のデスクに置いている。
「ミスズさん、この人が私のお母さんで、柚お姉ちゃんのお姉さん」
ややこしい説明をしてしまったと、ふと我に返るが遅かった。
「話は母、滝本静から直接聞いてます」
「ありがとうございます。私はミスズ。ここのAIです」
「それで、今の管理者は、その子?」
「いえ」
ミスズは俯き首を振る。
「お母さん、私」
翼が、クイっとエレーナの袖を引っ張りながら、自分がそうであると伝える。
「そう、よね。じゃないと、つーからは、こんな話出ないわよね」
「黙っててごめんなさい」
「いいのよ。後でお父さんに色々聞くから」
「失礼ですが、前管理者。あなたのお父様は今は?」
「ごめんなさい。私も、母も居場所を知らないの」
こればっかりはどうしようもない。何せ、彼が消息不明であるが故、こうして自分が駆り出されていると、エレーナは説明していく。
それから、ティアが遭難者となってから起きたこと。そして、彼女の保護を頼まれたこと。彼女の帰還まで時間を要することも、改めてエレーナの口から伝えられる。
翼は、自分の母がそっち側だったんだと、遠くに感じていた。
「すみません!部長と連絡できますか?」
エレーナは母から連絡を受けたと語った。ティアにとってみれば、向こうの世界に連絡できる手段を持つ唯一の存在。思わず、縋るようにエレーナに迫る。そんなティアを宥めるように、落ち着かせるエレーナ。エレーナは確かに、静から連絡を受けた。だが、エレーナ側から静へ連絡を取ることはできない。それは、この世界からでは、専用の回線に繋がることが出来ないから。
「ごめんなさいね。こちらからは何もできないの。明日になれば、進捗の確認の為にお母さんから連絡が来ると思うから」
「そう、ですか」
気を落とすティアに何かを思い出したかの様に翼が尋ねる。
「そういえば、柚お姉ちゃんはどうなの?」
「柚?」
「うん。ティアちゃんて、柚お姉ちゃんのとこに居るんだよね?」
「え?――うん」
「柚お姉ちゃんはどうなのかなって」
その問いに答えたのはエレーナ。
「柚も結局お母さんの元だからねぇ。多分、無理じゃないかな?」
「そうですね。室長も今はそれどころではないでしょうし」
「それは、ティアさん。あなたの事?それとも・・・」
ここに来てエレーナがティアに軽い揺さぶりをかける。ティアはどう答えるか考えを巡らす。ここでミスズが何も言わないのが気になったが、口を出さないということはある程度の説明はしても良い、と判断した。それに、黙っていたところで後々わかること。それに――。
「何が起きたのか。その一端はお話してもよろしいでしょう。どうせあの方から語られるでしょうし」
「わかりました」
こうして、ティアの口からあの時何が起きたのか語られた。それは同時に、翼の夢の答え合わせでもあった。
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