三章 PKウィザードー4

 4



「マキャバリさんですね? 僕らのこと、おぼえてますか?」


 タクミは声をかける。

 きげんの悪いレーサーは、ふりかえりざま、怒鳴りつけてきた。


「うるさいぞ! 外野」


 だが、タクミの顔を見て、ちょっと、たじろぐ。

 アンソニーの最近のお気に入りだと気づいたのだ。


「おっと、わりィ。今、ムシャクシャしてたからさ」

「いやぁ、命がけでレースにいどむ男って感じで、かっこいいですよ」


 おせじを言うと、ユージンは、えらのはった顔を赤くする。意外に照れ屋だ。


「おれに、何か?」


「レーサーだとうかがったので、見物させてもらえないかと思ってたんです。よければ話、聞かせてもらえると嬉しいですけど」


 とたんに、ユージンは上機嫌になった。単純な男だ。

 これで実年齢は六十だというから、よっぽど世間知らずのまま生きてきたんだろう。


 レーサーと言えば聞こえはいいが、定職につかず、趣味に暮らしていることも関係しているのかもしれない。

 アンソニーの援助がなければ、生きていられないだろう。


 ユージンはメカニックに指図した。

「整備しとけよ。おれは休憩してくるからな」


 そして、タクミとユーベルをさそう。

 会場である地上部分は、コースと客席、メカニックルームなど、レースに必要な施設しかない。


 だが、地下にはレストランやラウンジなどもあった。


 いかにも高級感あふれたラウンジにつれられていく。

 ユージンは昼間からビールを飲みながら、レースの裏話を一人で話す。


 てきとうに相づちを打ち、聞き流していたか、めずらしい話が聞けて、わりあい楽しい。


「おまえらって、遺伝子操作、受けてるクチだろ? きれいな顔してるもんな。いいってことよ。かくさなくたって。べつに、おれだって、デザイナーズ・ベイビーじたいが嫌いなわけじゃない。けど、レースでは、やっぱり差がつくんだよなぁ。ゲノム編集されてるのと、されてないのじゃ」


 ユージンか言うのは、レーサーの話だ。

 若手のレーサーは、誕生前に優秀な遺伝子を人工的に与えられている。


 ユージンは、ため息をついた。

「正直、車体を改造するには限界がある。あとはレーサーの持って生まれた資質ってことになると、こっちはお手上げさ」


「マキャバリさんは、デザイナーズ・ベイビーじゃないんですね?」


「グランパが、そういうの嫌ってるから、孫までは、みんな、ナチュラルに生まれてきた」


(ナチュラルに、だって)


 往年のSFアニメがいくつか、タクミの頭をよぎる。

 すかさず、ユーベルがタクミの足をふんできた。


『……ごめん』

『マジメに話してよね』


 タクミは心を入れかえて、話題を継ぐ。


「でも今なら、自分好みにゲノム編集したクローン体に、脳移植するって手がありますよ。この方法だと、不治の病の人も救えるし、性転換なんかも、かんたんなんですよね」


 クローン体は十六倍速で育つので、一年で成人まて達する。


 だが、オリジナルの体からクローン体への記憶の移植は、まだ確立されていない。記憶を移すためには、オリジナルの脳をクローンの脳に移植するしかないのだ。


 ユージンは難しい顔で爪をかんでいる。

 そういえば、以前、アンソニーも考えごとしなから、爪をかんでいた。このクセは遺伝的要素なのかもしれない。


「エスパーにもなれるかな?」と、ユージン。


「強い能力を持つのはムリでしょうね。ESP遺伝子って、俗に言うんですけど。そういう塩基配列にゲノムを編集してクローンを再生すれば、超能力は持てます。

 でも、この方法では、ランクEかDってとこです。それ以上の実用に適したESPは、遺伝子工学的には、まだ謎の分野なんです。

 ほら、以前、ネオUSAが秘密研究所で、強い超能力者を作るために、人体実験してたことが明るみになって、社会問題になったことあったじゃないですか。あれがあってから、いろいろ倫理観が厳しくなってるから、よけいにね」


 ユージンは歯をむきだして笑った。


「あの実験、失敗するとバケモノになって死んじまうんだろ? いくらなんでも、あんなのはゴメンだぜ。けど、ボディーチェンジは、やってもいいかな。EでもDでも、ないよりマシだ。

 何年か前、エスパーの脳波に反応する、脳波操作型コンピューターを開発しやがったヤツがいるんだよ。それだと、従来型のメカより格段に処理が速いんだ。

 ただ、エスパーしか使えなくてな。エスパーのほうが一般人より、生体電気っつうの? あれが大量に出てるんだって?」


「へえ。エスパー用ですか。そんなの出たんですか。知らなかった。それ、欲しい」

「すげえ高額だぞ。まだ企業とか団体しか持ってない」


 なるほど。どおりで知らないはずだ。


 脳波操作型のコンピューター。

 ブレインマシンインターフェースは、もともと、超能力を持たない人にしか、あつかえなかった。


 エスパーは生体電気量が多いため、機械をクラッシュさせてしまうからだ。


 たぶん、コンピューターにかかる電圧への抵抗力を高めた新型なのだ。だから、エスパーが使うのに、ほどよくなっている。


「エスパーは脳波操作に、ふだんから慣れてますからね。能力使うのも、脳波操作みたいなもんだし。たしかに、それだと、従来型のマシンで一般人が対抗するのはキツイかも」


「まったくだ。おかげで、こっちは手も足も出ねえ。ちょっと無謀なくらい、車体を軽量化したこともあったんだが。やっぱ、ムリがあってな」


 やっと話が本題に入った。

 なにくわぬ顔で、タクミは言ってみる。


「そういえば、アトキンスさんから聞いたんですけど。アルバート・アトキンスさんが、レース中の事故で亡くなったそうですね。もしかしたら、その軽量化とかが関係あるんですか?」


 ユージンは周囲に目を走らせる。

 ボックス席をかこむ防音用の透明シートをはりめぐらせるスイッチを押した。


 そのあと、やっとまた口をひらく。

 慎重にならなければならないような内容なのだろうか?


「アルバートは宇宙飛行士だったからな。マシンの改造について、くわしかった。いい助言をしてくれたんだが、やりすぎちまったんだ。はずみがついて、歯止めがきかなくなってたんだろう。

 アルバートが自分で改造したマシンを、あのパーティーのレースで乗ることになってた。まさか、あんなことになっちまうとは……」


「事故車って、アルバートさんが自分で改造してたんですか」


「そうだよ。宇宙飛行士ってのは、自分で機械の修理もしなけりゃならないからな。アルバートはヘタなメカニックなんかより、ずっとマシンに精通してた」


「その改造、誰か手伝ってましたか?」


「いや。あのときは、レースでおどろかせてやるんだって、改造してるとこ誰にも見せずに、秘密にしてたんだよ。あんときのマシンは爆発炎上したから、どんな改造してたのかも、わからない——って、なんなんだ? 刑事みたいだな」


 あわてて、タクミはごまかした。


「めったに聞けない話なので、つい。爆発炎上って、凄惨せいさんな死にかたですねぇ。こんなこと、ご遺族に聞くの、無神経かと思うんですが……ご遺体は、すごいことになってたでしょうね?」


「遺族って言っても、大叔父だからな。アルバートジュニアにくらべたら、ぜんぜん、平気だよ。まあ、おれは、それでも親しかったほうかな。アルバート、若いころは屋敷に、よりつきもしなかったんだってさ。グランパと、そりがあわなかったらしくって。変だろ? 一卵性双生児って、ふつうベタベタするもんなのに」


「まあ、そうですね。仲のいい人が多いですよね。でも、まれには、そういうケースもあるんじゃないですか? 同族嫌悪の強い人にとって、双子は究極の同族なわけだし」


「性格なんか真逆だったぜ。ここだけの話にしてくれよ? ほんと言うと、グランパより、アルバートのほうが話しやすくてな。双子なのに、なんで、あんなに性格が違うんだろ」


 タクミは苦笑した。

「そうらしいですね。アルバートさんは行動的で快活で、スポーツマンらしい明朗な人だった」


 そこが、そもそも勘違いのもとだった。


 タクミはアンソニーとアルバートの二人がそろってるところを見たことがない。


 だから、しかたないとはいえ、もっと、まわりの人たちの言葉に注意をはらっていれば、これまでにも何度か、疑ってみる機会はあった。


 現に、ユージンは大きく、うなずく。


「陰気なグランパとは正反対。まあ、聞くと、しかたないとこもあるんだよ。グランパは子どものころに、ほら、あれ、なんてった? 子どもがなると麻痺まひが残る病気」


「ポリオですね。アンソニーさんは、ポリオウィルスに感染したんですよね」


 その話も昨日、ダイアナから聞いた。


「そう、ポリオ。今じゃ、かんたんに治る病気だけどな。グランパが月に移住してきた直後は、薬品不足で、感染者は隔離して放置ってのが、伝染病の基本だったらしい。それで、グランパは右足をダメにして、ずっとスポーツをさけてきた。たぶん、コンプレックスだったんだろうな」


 ユージンは少年のように涙ぐんでいる。

 実年齢を忘れてしまいそうだ。


 タクミは言った。

「後年、マヒの残った右足を、クローン培養の足と移植交換してるんでしたね?」


「うん。でも、若いころ、思うように遊べなかったのが、悔しかったんじゃないか? ハイスクールのダンスパーティーの話とか」


「ダンスパーティー? それは知らないなぁ」


「だよな。おれは、アルバートから聞いたもんな。


 ハイスクールのとき、二人が同じ女の子を好きになったんだとさ。最初に友だちになったのは、グランパだった。だが、ダンスパーティーに誘ったのは、アルバートだった。


 まあ、それだけの話さ。たぶん、グランパの初恋だったんだろうが」


 わかるだろ?——というように、ユージンは肩をすくめる。


「二人は女性の好みが同じだったわけですね?」

「そうなんだろうな。別れたアルバートのワイフってのも、ブロンド美人だったらしいし」


 レーサーとアストロノーツってことで、格はだいぶ違うが、乗り物をあやつる職業として、ユージンとアルバートは気があったのだろう。


 ユージンは思いがけないほど、アルバートのことをよく知っている。次々、知らない話が出てくるので、どれもこれも、くわしく聞きたい。


 だが、だんだん重要な部分から逸脱してきてることに、タクミは気づいた。話題の修正をこころみる。


「じゃあ、アルバートさんの遺体を確認したのも、もと奥さんなんですか?」


「いや、まさか。ずいぶん前に別れた女房だぜ? 第一、あれは女の見るもんじゃなかったね」


 修正は、うまくいった。


「そんなに、すごいありさまでしたか」


「そりゃもう、チープなホラー映画だって、今どき、あんなにショッキングな映像は作らないだろうよ。宇宙船の事故じゃ、ときどき、ああいうこともあるって聞いちゃいたが……けっきょく、アルバートは、宇宙飛行士らしい最期をとげたってことかな」


「遺体を確認したのは、誰でしたか?」


「正式には、グランパとアルバートジュニアが確認したな。確認と言ったって、見ためじゃ誰の死体かなんて、もうわかりゃしない。DNA鑑定で確定したみたいだ」


「DNA鑑定ねぇ……」



 そのあと、タクミはユージンから、事故があった日のパーティーのようすを聞いた。それは、ダイアナから聞いたのと大差ない内容だ。


 親しい友人を集めての立食パーティー。

 座興ざきょうに予定されていたレース。


 ユージンのレーサーの友達が数人きていて、優勝者には、アンソニーから賞金が出ることになっていた。


 アルバートがめずらしく、アンソニーと親密に言葉をかわしていた。改造したマシンをレース前に、アンソニーに見せた。


 アンソニーがVIP専用客席にもどったところで、レース開始となる。


 そして、事故——


「直線コースのあとの急カーブで、ハンドルを切りそこなったんだよ。強化ガラスのかべに激突ーー昇天さ」

 ユージンは空をあおいで、両手をひろげてみせる。


「レースカーって、そんなに危険なものなんですか?」


「レースカーはコンピューター制御じゃないんだ。だって、考えてもみろよ。それだと、マシンの性能だけで勝敗がついちまうだろ?

 レース用のマシンは、かならず人間が操縦するってルールなんだよ。コンピューターは補助としてなら、とりつけが認められてる」


「なるほどね。マキャバリさんがコースを走ってるとこ、あとで、もう一度、見せてもらっていいですか?」

「いいとも!」


 ユージンは大得意だ。

 さっそく、ラウンジを出て、レース場へもどった。


 ユージンがごきげんなので、メカニックの人たちから感謝のまなざしで見られる。


 ユージンはワガママで短絡的な、お金持ちのおぼっちゃまらしい。それだけに、子どもみたいな純粋な一面も残しているのだろう。


「へえ。レース場のコースって、コースごとに強化ガラスで仕切られてるんですね。遠目で見ても、わからないけど」


 と、タクミが言うと、ユージンは喜んで説明してくれる。


「接触事故が起こらないようにだよ。そのかわり、どのコースからスタートしても、距離は同じなんだ。アルバートのときみたいな事故が起こったとき、後続車がまきこまれたら、大変だろ?」


「そうですね」


 タクミとユーベルは、ちゃっかりスタートラインまで、ついていった。


 スタートラインのうしろは、コースごとの個別整備室になっている。


 会場の客席から、整備室のなかは見えない。

 もちろん、となりの整備室からも見えない。会場のどこからも、完ぺきな死角になっている。


 これなら、ダイアナの言ってたようなことも、起こりうる。


(アルバートさんは一人でマシンを改造して、メカニックの仲間を誰もつけなかった。つまり、整備室で、アンソニーにマシンを見せてるあいだ、双子は二人きりだった。誰の目からも死角になって)


 ダイアナから話を聞いたときには、まさかと思ったのだが……。


「トウドウさん。全部、話します。わたし、あなたに、こう言いました。アンソニーが死んだアルバートの心に、とり憑かれているんじゃないかと。でも、ほんとは違うんです。その逆のことが起きてるんじゃないか……そう思うことが、怖いんです」


 噴水のほとりで、ダイアナは、そう告白した。


「逆って、どういうことです? アンソニーにアルバートが、とり憑いてる反対……というと、アルバートにアンソニーが、とり憑いてる? でも、それだと、死んだのは……」


 ダイアナは沈痛なおももちで、うなずく。


「そうです。死んだのは、アルバートじゃなく、アンソニーなんじゃないかって。

 アルバートは宇宙飛行士として功績を残していましたが、晩年、経済的に行きづまっていました。それで、兄のアンソニーをたよってきたんです。アルバートにとっては不本意だったのでしょうけど。

 アルバートは、ひとめ見たときから、わたしに好意をよせたようでした。でも、アンソニーのわたしへの対しかたには反発していました。

『私が兄の立場なら、君に無理強いはしない』と、いつも言っていました。

 本音を言うと、わたしには、アンソニーもアルバートも同じ顔だもの。生理的に好きにならないって言うか……。

 トウドウさんも、そんなことはありませんか? 人柄はいいんだけど、外見が受け入れがたい人」


「ああ。ありますね。たまに。あれって、なんでしょうね。やっぱり、遺伝子による好悪なんですかね」


「だから、アルバートが、きさくで頼りがいのある人だとは思いましたが、恋愛の対象にはなりませんでした。

 ですが、アンソニーより話しやすいのは事実だったので、わたし、いつのまにか、甘えた態度をとっていたのかもしれません。

 わたしがアンソニーとの結婚をほんとにイヤがっていることを知って、アルバートが言ったんです。

『今度のレースを楽しみにしていてほしい。そのあと、君は自由になれる』と。

 なんのことか、そのときは、わかりませんでした。でも、あの事故で、アルバートが死んでしまったとき、思ったんです。

 あれは……あのときのアルバートの言葉は、このことを意味してたんじゃないか。もしかしたら、あれは、アルバートの殺人予告だったんじゃないかって」


「殺人? じゃあ、あなたは、アルバートが故意に事故を起こし、兄のアンソニーを殺すつもりだった——と?」


「……はい。あの事故の直前、アルバートはアンソニーと入れかわったんじゃないかと思います。だって、一卵性双生児はDNAが同一なんでしょ?」


「同じ……ですね。九十九のあと、小数点以下十ケタくらい同じです。ほぼ百パーセントと言ってもいい。もし遺体の損傷が激しければ、0.0000……いくらの違いなんて、見つけられないでしょうね」


「遺体は焼けただれて、ひどいありさまだったといいます。わたしは見ていませんけど。そのあと、急にでした。アンソニーが陽気になって、人が変わったようになったのは」


 そう。そこだ。


 以前、オリビエだって言っていた。

 アンソニーの性格の性格が変わったことについて、タクミが言及したとき、「以前は、やりにくくて、しかたなかった」と。

 あれは、陽気だったアンソニーが陰気になったときに言うセリフではない。陰気だったアンソニーが陽気になったからこそ、出てきた言葉だ。


 あのとき、タクミが、もっと、しっかりオリビエの言葉を吟味していれば、違和感をおぼえていたはずだ。


「それで、確信したんですね? 生き残ったアンソニーは、ほんとはアルバートで、兄のふりをしてるんだって」


「そのときは、そう思いました。アンソニーとアルバートの外見は二十代なかばで、入れかわりがあっても区別がつきませんでしたから。


 髪型と服さえ、とりかえてしまえば、誰にもわからなかったでしょう。


 あの事故の数日前、アルバートは髪を切って、アンソニーと同じくらいの長さにしていましたし」


「あきらかに準備行動ですね」


「あのレースのとき、アルバートの車だけが、スタートラインに出てくるまでに、少し時間がかかったんです。


 アンソニーと話したり、お手伝いしてくれるメカニックさんがいないからだと、みんなは思っているようです。


 でも、わたしは違うと思う。あのとき、二人が入れかわったから、そのしたくに時間が必要だったんじゃないでしょうか」


「でも、そんなことができましたか?」


「アルバートがアンソニーを気絶させたなら、できると思います。アンソニーは君子危うきに近寄らずという人でした。おもしろ半分にレースカーに乗るような人じゃありません。


 だけど、薬か何かで失神させたのなら。


 レーサーはヘルメットをかぶるから、車の外から見ただけでは、ドライバーが意識を失っていることに気づきません」


 この話を聞いたとき、タクミは、すぐには信じられなかった。


 しかし、じっさいにレース場に来てみると、ダイアナの言っていたことも、ありえないことじゃないと思う。


 改造はアルバートが一人でおこなっていた。


 コンピューターによる自動操縦は禁止されているとはいえ、車を大破させてしまう予定なら、そういう装置をとりつけておくこともできる。


 そのコンピューターに、コース設定をわざとまちがえてプログラミングしておけばいい。


 車はカーブにさしかかっても、そのまま直進し、スペースコロニーの外壁にも使われるほど硬質なカベに激突する。


 誰もが運転ミスと判断する、かんたんなトリック殺人だ。


 双子であるアルバートだけが、これをおこなえた。


 アルバートは自分が兄になりすまし、ダイアナの望まない夫婦関係を解消するつもりだったと考えられる。


 だが、現実には、彼はそうしていない。


 うまく兄と入れかわれなかったのか?


 いや、それはあるまい。死が予定されたレースだ。

 万一、兄と入れかわれなかったのなら、アルバートが、そのままマシンに乗ったはずがない。


 その場合、事故は起こらなかった。

 だから、その点からも、アルバートがアンソニーになりすましている可能性は高い。


 それでいて、彼がダイアナと離縁しないのは、なぜか?

 アンソニーの立場になって、欲がでたのか?


 なにしろ、兄弟の女性の好みは似ていた。

 このまま、ダイアナと結婚してしまおうと考えたのか?


 あるいは、双子は自分たちも知らなかったが、エンパシストだった。死んだアンソニーの意識に、アルバートが憑依されてしまった。


 現在、アルバート自身、自分をアンソニーだと本気で信じている——


(アンソニーとアルバートがエンパシストだってことは、僕らの実験で立証された。ってことは、やっぱり、今のアンソニーは、アンソニーよ意思にあやつられてるアルバートか)


 ユージンの話からも、この仮説に疑いはないようだ。


 そうなると、オリビエ殺し、アン殺しにおいて、にわかに容疑者として急浮上してくる人物がある。


 アンソニーがアルバートであり、それによって利潤が生まれる人。

 その人にとって、双子の入れかわりは、ひじょうに有意義な秘密だ。


 調子よくマシンをとばすユージンをながめて、タクミは街並みを見おろした。


 運河とガラスのレースコースの街。

 美しい街の景色が、レース会場からは一望に見渡せる。


 そのとき、タクミは、わが目を疑った。

 信じられないことに、そこに魔法使いが立っている。

 サイコキネシスを使う、現代の魔術師が。


 オルフェが笑いながら手をふっていた。

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