四章 ファミリーエンブレムー1

 1


「ああっ! すいません。僕ら、そういえば、行かないといけないとこがあるんでした! 残念だけど失礼しますねぇ」


 あいさつもそこそこ、タクミはレース会場をとびだした。とうぜん、ユーベルも追ってくる。


 さっき見おろした街路に、オルフェは立っていた。

 以前と同じスペースジャケットを着て、ほほえんでる。

 とても殺人事件の容疑者とは思えない。


「やっと会えた! あなたに聞きたいことがあるんです」

「私も君たちに話しておかなければならないことがある。どこまで話すべきか、迷うところだが」


 あれ? 今日はマトモだ——


 タクミの心の声を読んだのか、美青年は苦笑した。

「詩人の名は返上した。事態が思っていた以上に深刻なので、遊んでいるヒマがなくなった」


 あれって遊びだったのか……。


「うん。かごの鳥が、つかのま得た自由さ。まあ、いいから来たまえ。ここでは人目もある。落ちついて話せる場所に移動しよう」


 手招きされて、タクミたちは水面ギリギリに窓のある、半地下カフェに入った。


「コーヒー代を借りてたね。今日は私が二人におごるよ。差額は利子だと思ってくれ」と、オルフェ。


 でも、この人の所持金って、銀行のデータをハッキングで改ざんしたものだよな?


「いや。研究費用の一部を私の個人口座にまわしたんだ。ある意味、公金だが、横領罪にはならないよ。安心して好きなだけ注文してくれ」


 公金と言われては、安心もできないが……。


 しかし、聞きたいことが、ほかに山ほどある。

 とりあえず、タクミはウィンナコーヒーを、ユーベルはカプチーノをオーダーする。


 タクミは観光ガイドをひっぱりだして、

「ここって、ラズベリータルトがおいしいんだって。僕はティラミスたのむから、君、タルトにしなよ。ユーベル。半分こしよ?」


 ユーベルは恥ずかしそうに、にらんでくる。

「やめてよ。もう」

「なんで?」

「なんでって……まわり見たら?」


 お金持ちの街だから、食べ物をシェアする習慣がない。半分こなんて言ってると、くすくす笑われる。


「そんなの気にしない。気にしない」

「……いいよね。あんたの性格」


 タクミたちのやりとりを、オルフェは笑ってながめている。が、その笑みは、どことなく切なく見える。


「タクミは無邪気なだけでなく、強さをかねそなえてる。それが君の心の美しさの根幹か。君になら打ちあけられる」


 タクミは観光ガイドをしまった。

 ここは、まじめにならなければ。


「僕ら、いちおう、あなたを殺人犯じゃないかと疑ってるんですが。オルフェさん——いや、詩人でなくなったのなら、もう名前も違うのかな。オルフェって、オルフェウスのことでしょ? 冥界に死んだ妻を探しに行った、ギリシャ神話の詩人」


「もちろん、偽名だよ。本名は、オシリス」


 オシリスか。これまた、スゴイのが出てきた。

 まさかと思うけど、彼、オルフェウスごっこに飽きて、オシリスごっこを始めたのかな?


 聞いてみる。


「オシリスって、エジプト神話のオシリスですか? 王位を争って、弟のホトに殺されてしまう」

「その神話から、つけられた名ではある」


「殺された神の名前って縁起が悪くないのかな? 殺されたあと、オシリスは冥界を統治する神になるんですよね」


 一回、復活して、また黄泉に帰るんだが、そこは省略だ。


 オシリスは優雅にほほえんで、答えない。

 ブラックでマンデリンを飲んでるところなど、やはり、サリーに似ている。マンデリンは苦味のきいた豆だ。残念ながら、タクミにはブラックでなんて、とても飲めない。


「ええと……ほかにオシリスというと、ディアナをふくむEU連合都市のホストコンピューターの名前が、オシリスでしたね」


「あれを設計きたのは、私なんだ」


「ええッ? だって、あれってEU連合都市のすべてを管理するスーパーコンピューターですよ? 連合都市にある端末は全部、あれにつながってる。市民の生活環境から、株価の変動、病院や軍事施設なんかも、最終的に、あれ一台で管理してる。現代機械工学の粋ってやつで、一人や二人の人間が設計できるような代物じゃ……」


 しかし、以前、オシリスは、そのホストコンピューターに侵入していた。あのときの彼のお手並みを思いだし、タクミはだまりこむ。


 たしかに、この人ならできるかもしれない。

 というより、鉄壁のオシリスブロックを突破できる人間なんて、設計者以外にいるわけがない。


「……わかりました。そんな、ごたいそうな人が、こんなとこで何してるんですか。他人の屋敷に不法侵入して、殺人現場にいるなんて、ふつうじゃないですよ?」


「そう。これは人道的には許されないことだ。だが、私には、自分の造りだしてしまった失敗作を処分する義務がある。あれは、やはり、この世に存在してはいけないものだった」


 やっぱり、話が見えないなぁ……。


 タクミが嘆息していると、オシリスは深刻な表情で口をひらいた。だが、それが言葉になる前に、今度はオシリスが、ため息をつく。


「……早いな。もう気がつかれたか。タクミ、ユーベル。君たちとは、また会う機会がある。今は行かなければならないが、これだけは忠告しておこう。殺人事件の真相を知りたいなら、ダイアナ・アトキンスの過去を調べてみたまえ。もちろん、このことは誰にも口外してはならない。君たちの身にも危険がおよぶからね」


 すばやく立ちあがると、オシリスはカードで会計して、外へ出ていった。ゴンドラにとびのって去っていく。


 追いかけるのをあきらめて、タクミは見送った。


「変な人だなあ。ダイアナの過去をしらべろって、どういうことだろう?」


 そのあと、せっかくのケーキを残すのは、もったいないので、ユーベルと半分こしながら食べていた。


 なんとなく、そんな気はしていた。

 ケーキを食べおわったころに、半地下のカフェの階段をかけおりてくる人物がいた。


 いつぞやの、オレンジヘアーの女の人だ。

 以前、オシリスを追って、タクシーから降りてきた。


 今回も、テーブルにタクミとユーベルしかいないのを見ると、じだんだをふんで悔しがった。大人がじだんだをふむのを、タクミは初めて見た。


「また、あなたたちね! 彼は、どこに行ったの?」

「とっくに出ていきましたけど。そういうあなたこそ、あの人と、どういう関係なんですか?」


「あなたには関係ないわ」

 言いながら、腕時計型のパソコンで、誰かに電話をかける。

「ボス? 逃げられました。ステーションの見張り、強化してください」


 そのまま出ていこうとする。

 理由があるわけではないが、タクミはオシリスの逃亡の手助けをした。


「ちょっと待ってください。あの人が国際的な重犯罪者とかなら、僕らも市民の義務をはたさないといけないですよね? なんか、お役に立てますか?」


 女はキツイ目で、にらんできた。

「わたしたちのことは、ほっといて」


「ほっといってって、変だなぁ。シティポリスなら、犯罪の証人に、そんなふうに言わないでしょ? あなた、警察の人じゃないですね? もしかして、彼を追う秘密の組織だったりします?」


 タクミは冗談のつもりだった。自分の好きなSFアニメのつもりで。


 なのに、女の顔が、にわかに、こわばる。目に見えて蒼白になった。周囲に目をくばり、誰も注目してないのを確認すると、タクミの正面のイスに、すとんと腰をおろす。


「彼から、何を聞いたの?」


 あれっ。的中しちゃったか。


 タクミはカマをかけてみることにした。

「ホストコンピューターの設計者だと言ってましたね。誰にも口外しないでほしいと。ほかにも、いろいろ」


 女が緊迫しているのはわかる。だが、脳波から言って、町なかで熱線銃を乱射するタイプじゃない。

 女は、さぐるような目つきをタクミにそそいでいる。


「彼は、あなたたちの前に二度も現れた。あなたたちに固執こしつするわけがあるのね。説明してもらえるかしら?」


「それには、まず、そっちが正直に話してくれないと。危なくなるなら警察、呼びますよ?」


 女は困りはてたように視線をさまよわせた。

 イライラするのか、指さきでテーブルをたたきながら考えこんでいる。


「——あなたたち、どこまで知ってるの?」


「たとえば、彼の名前がオシリスで、天才エンジニアだってこととか。トリプルAランクのエンパシストであり、念動力者でもある。もしかして、多少の予知もできるのかな。彼は自分の造った失敗作を処分したがっている」


 最後の言葉に、女が食いついてきた。

「それ、どういう意味? くわしく聞かせて。彼は何をしようとしてるの?」


 あまりの反応のよさに、タクミのほうが、おどろいた。

「しゃべりません。今度は、そっちの番です」


 女は苦い顔をして、片手をあげてウェイトレスを呼ぶ。

「アイスコーヒーちょうだい。ミルクと砂糖をたっぷりね」


 タクミは口をはさんだ。

「あ、ここのラズベリータルト、おいしいですよ」

「それも、ちょうだい。今日は昼ごはん、食べてないのよ」


 女は三口でタルトをたいらげた。

 それを見ると、親しみを感じる。


「オシリスったら、そこまで話しておいて、なんで、わたしたちのことを話さないの? わたしたちに見つかると、つれもどされるから、逃げまわるのはわかるけど」


 そういえば、カゴの鳥のつかのまの自由と言っていた。


「オシリスって、どっかの研究員なんですか?」

「そんなことも言ってた?」

「まあ、それに近いことは」

「やっぱり、特別な事情があって、あなたたちと接触してるのね。わかった。あなたたちをマークさせてもらう」


 しまった——と思ったが、まあ、しかたない。

 タクミたちも、オシリスも、エンパシストだ。いざとなれば、エンパシーで交信することができる。


「それで、けっきょく、あなたは何者ですか? オシリスの敵ですか? 味方ですか?」と、聞いてみる。


 女はもう一度、手をあげて、今度はミートパイをたのんだ。


「わたしは、メアリ。オシリスが少年のころから、体調管理と身のまわりの世話をしてきたナニーよ。オシリスは、わたしたちにとって、とても大切な人。神にも等しい存在なのよ」


 メアリから、ある感情がほとばしってくる。

 とても強い、深い愛情。

 人は言葉ではウソをつけるが、心ではつけない。


(そうか。この人、オシリスのこと……)


 でも、それは叶えられぬ想いとして秘められている。

 それ以上、女性の秘密を見るのは心苦しく、タクミは自分の心に、いつもより硬いブロックをかけた。


 メアリは心を読まれたとは思いもしないのだろう。

 冷静をよそおい、話を続ける。


「オシリスは、ある研究機関の中心人物なの。どんな研究機関かは、わたしの一存では言えない。とつぜん逃げだしたから、わたしたちも、おどろいてるのよ。オシリスは意味もなく、そんなことをする人じゃない。だからって、なんの目的で出ていったのか、見当もつかなくて」


「僕らに手助けしてほしいと言ってましたね。いつも肝心なとこで、あなたが来るから、聞きそびれてしまうんだけど」


「なによ。わたしのせい? 失敗作を処分するっていうのは?」


「あれは存在してはいけないものだって言ってたなぁ。人道には、もとるけどって。それに……」


 オシリスは殺人現場で、ダイアナの首をしめていた。

 彼の言う失敗作とは、もしかして、ダイアナのことだろうか?


 心配になって、タクミはたずねてみた。

「オシリス、遺伝子工学のオーソリティだったりします? DNAデザイナーの資格もってるとか」


「オシリスはパーフェクトよ。なんだってできるわ」


 あれ? こんなこと、いつか、誰かからも……。


 しかし、タクミの思案をやぶって、メアリが聞いてきた。

「思いあたることがあるの? 彼が作った失敗作って?」


「さあ。それは、わかりません。けど、あなたたちに言えば、反対されると思ったから逃げたってことなんでしょうね」


 やはり、オシリスがアトキンス邸で起きた殺人事件の犯人なんだろうか?


「オシリスは何をするつもりなのかしら。あなたたぢ見張ってれば、いずれ会えるでしょう。今度こそ捕まえて、聞かなくちゃ。あなたたちの名前は?」


 少なくともメアリがオシリスの味方で、人を傷つける人物でないこともわかった。


 まだ、オシリスの所属する研究機関というのが謎だが、大量殺人兵器を開発しているわけではないようだ。

 人道にもとるから逃げたということは、その組織は人道的ということになる。


 ひとまず、メアリを信用することにした。


「僕は、タクミ・トウドウ。こっちは、ええと……友人の、ユーベル・ラ=デュランヴィリエです」


 タクミもユーベルも指名手配犯でもなければ有名人でもない。名前を明かしたからって、おどろかれるすじあいはない。なのに、メアリは、おどろいた。


「えッ? 彼が、あの——」


 言いかけて、あわてて、メアリは自分の口をおさえる。

 そして、勢いよく立ちあがり、半地下の階段をかけあがっていった。


「ああ……食い逃げですよ。これ、どうするんですか」


 テーブルに残されたカラの食器を見て、タクミは肩を落とした。


「僕が払うしかないのか。せっかく、オシリスがおごってくれたのに。これじゃ、差し引きコーヒー一杯ぶんだ」


「いいじゃない。もともと貸してたの、コーヒー一杯の代金でしょ?」

「そうだけど……」


 しかたなく、メアリの飲食代を払う。

 そのかわり、領収書をもらって、店員に冷たい視線をあびせられた。そんなケチな貧乏人はモナコに来るな、と目が訴えている。


「それにしても、変だなぁ。メアリさんは何をあんなに、おどろいたんだろう? 僕か君の名前を知ってたってことだよね」


 タクミの名前はサイコセラピストの名簿に載っている。

 見知らぬ人が知ってたって、なんのふしぎもない。


 しかし、あのおどろきかたは、ただサイコセラピストを前にしたときの感じではなかった。


 もっと驚愕きょうがくに値する事実を、その名について知っていたのだ。


「さっき、メアリさん。『彼が、あの』って言ったよね。それまで、ずっと僕と話してたんだ。僕のことなら、『あなたが、あの』って言ったはずだ。つまり、メアリさんは、ユーベルの名前を聞いて、おどろいた。となると、あの事件のことを知ってるとしか思えない」


 きっと、メアリは、「彼が、あのエンデュミオンなの?」と、言いかけたのだ。


 エンデュミオン・シンドローム——


 あの事件は月だけでなく、周囲のスペースコロニーや火星までまきこんだ大事件だった。

 その発端となった都市の陥没事件では、大勢の死者が出た。


 だから、ユーベルの身の安全のため、事件の真相は一般には非公開にされている。


 ユーベルがエンデュミオンだということを知っているのは、タクミをのぞけば、サイコセラピスト協会の会長、ディアナ市長など、ほんの数名の高官だけだ。


 それなのに、メアリは知っていた。


「つまり、メアリさんの所属する研究機関は、ESP関連の政府機関ってことかな。そういう極秘のチームが、EUに存在してるのかもしれない。もしそうなら、オシリスの驚異的な能力も説明がつくし」


 オシリスの素性が少しは明らかになったと思えば、ますます謎が深まっていく。


 予定では、もっと水の都を遊楽してから帰るつもりだった。


 しかし、こうしているあいだにも、オシリスはアトキンス邸に向かっているかもしれない。そう思うと、おちおち遊んでいられない。


 タクミたちはモナコシティーを出て、ディアナ行きのメトロに乗った。


(おかしいな。僕の推理だと、あの人が怪しいんだけどな)


 もしも、アンソニーがアルバートなら、その事実をかくすことで、一人だけ得をする人がアトキンス邸のなかにいる。


 もちろん、アルバートはアンソニーの財産を自分のものにしていることになり、もっとも利益を得ている。が、アルバートは自分をアンソニーだと信じこんでいるから、彼が犯人ではありえない。


 だが、そのことをほかの人物が知れば、どうなるだろう?


 まず、ダイアナなら、アンソニーか死亡したことにより、未亡人になる。アルバートとの婚礼は中止。遺産も受けとれる。


 ダイアナにとって、アンソニー=アルバートであることを隠ぺいする必要はまったくない。むしろ、マイナス利益だ。


 だから、ダイアナが犯人でもない。


 アンソニーの親しい友人である芸術家たちは、どうだろうか?

 彼らの生活はアンソニー一人に支えられていた。

 アンソニーの財産が息子たちに相続されると、以前どおりの生活が送れなくなる。


 とは言え、未亡人となったダイアナの後見を受けられる可能性も残っている。殺人の動機としては弱い。


 では、アンソニーの子や孫なら?


 このままアンソニーとダイアナの婚儀が成立すれば、財産の半分をダイアナに持っていかれる。

 婚儀が中止になれば、万々歳だ。秘密を知れば、すぐさま暴露するだろう。


 だが、ここに、たった一人だけ、アルバートがアンソニーであれば、おおいに恩恵に浴せる人物がいる。


 アルバートの息子、アルバートジュニアだ。


 アルバートジュニアは屋敷の管理人として働くことで、現在の生計を立てている。

 父のアルバートは経済的に、ひっぱくしていた。

 アルバート親子は金に困っているのだ。


 アルバートジュニアにしてみれば、屋敷の権利がアンソニーの息子たちに移ることは、ありがたくないことだろう。これまでどおり、雇ってもらえるかどうかわからない。


 だが、もしも、屋敷の今の主人が彼の父だったなら?


 屋敷を管理してきたアルバートジュニアには、アンソニーの財産がどれほどのものかは、痛いほどわかっているはず。


 その財産のすべてが、今や父のもの。

 父がアンソニーとして、アルバートジュニアに有利な遺言書を作れば、彼は一夜にして大金持ちになれる。


 そのためなら、一人や二人の人間を殺してもいいと考えるかもしれない。巨万の富は、人間を狂わせるものだ。


 たぶん、オリビエは、タクミの話を聞いて、双子の入れかわりに気づいた。ダイアナとの結婚を阻止するために、アンソニーがアルバートだとバラすつもりだった。


 そのことに気づいた、アルバートジュニアが先手を打った。オリビエは口封じのために殺された。


 だが、この秘密を、オリビエが生前、恋人のアンにだけは話していた。のちにそのことを知ったアルバートジュニアは、アンも殺害。


 ダイアナのドレスに毒針をしこんだのが誰なのかは、わからない。が、これも、アルバートジュニアの仕業かもしれない。


 アンソニー=アルバートを秘密を公開したい立場のダイアナは、アルバートジュニアにとってもジャマな人間だ。


 タクミは、そう推理したのだが……。


(でも、ここに、オシリスがからんでくると……?)


 事件は、複雑によじれていくばかり。

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