一章 サイコディティクティブー1



 その人をひとめ見て、タクミは無謀にもメガマックをひとくちで食べようとして、アゴが外れてしまったみたいに、大口あけたまま、ふさがらなくなってしまった。


 いや、いかに流行らないとはいえ、ここは探偵事務所だ。すべての人々に門戸をひらいている。依頼人が来るたびに、おどろいていては話にならない。

 だが、この場合、しかたない。

 あじけない合金製のドアをあけて入ってきたのは、想像を絶するほど、世にもまれなる美少女だったのだ。


 時は二十二世紀。

 ゲノム編集を受けて誕生することがあたりまえの世の中。美男も美女もめずらしくない。

 タクミだって、切れ長の目が魅惑的な、陶器のような肌のオリエンタルビューティーと、よく言われる。だまってればいいのにとも、よく言われる。


 それにしたって、たったいま事務所に入ってきた少女ほど、見る者を圧倒する美貌の持ちぬしは、めったにいない。

 オパールのような透きとおる白い肌。

 ごうかな金色の巻き毛。

 瞳の色は、はやりのカレイドスコープアイズ。周囲の色を映して、七色に変化する瞳だ。


 その瞳は今、彼女の正面の応接セットにすわるタクミのジャケットの色を映して、深い藍色にそまっている。

 漆黒に近いような宇宙の青。


 どこもかしこも、ミルクキャンディーみたいな愛くるしい美少女が、ふわふわの白いドレスをきて、タクミの前に立っている。

 思わず、タクミは、自分のほおを平手でたたいた。

 美少女は、ちょこんと応接セットにすわる。


「こちら、サイコ探偵事務所ですよね? 表の看板を見て来たんですけど」

 その声までも、キャンディーみたいに甘い。

 タクミは美少女の放つキラキラ光線に、すっかり、クラクラしてしまった。

 ダメだ。こんなことじゃ。

 気合いのために、もう一発、ほおをピシャンとやる。


「はい。こちら東堂サイコ探偵事務所です。僕が所長のタクミ・トウドウ。こっちは助手の、ユーベル・ラ=デュランヴィリエです」

 さっきから、電子ペーパーの雑誌のかげから、美少女に見とれるタクミをにらんでいる少年を指さす。


「二人で、どんな難事件でも解決してみせます。ご用件は、なんですか? マドモアゼル」

 とたんに、美少女は憂い顔になった。

「わたし、マドモアゼルではないんです」


 どう見ても十四、五さいだ。

 日本人の目で見ると、西洋人は、どうしても実年齢より上に見える。が、美少女は東洋人のように華奢なので、タクミの目からも、その年齢に見える。


「……ええと、失礼しました。もしかして、最近にテロメア修復薬をお飲みになったんですか?」


 テロメア修復薬を飲めば、老人が、いっきに二十歳くらいまで若返ることができる。

 しかし、美少女は、ますます憂い顔になっていく。


「いえ、そうではないんです。自己紹介したほうが早そうですね。わたし、ダイアナ・アトキンスと申します」


 グサっ。もしかして、無能と思われたかな?

 ちょっぴり傷つくタクミだったが、美少女の姓名が遅れて脳ミソまで届いてきた。


「あれ? アトキンス? まさか、鉱山王のアンソニー・アトキンス氏のゆかりのかたですか?」


 ダイアナは目をふせた。

 スペシャルが十個くらいつきそうな美少女だが、ちょっと性格は暗そうだ。

 それとも、よほどの心配ごとがあるのか?

 これほどの美少女なら、たぶん盗聴とか透視被害なんだろう。


 人間の住めなくなった地球をすてて、人類が月にとびだしてから、約百年。

 ここは月面都市の首都、ディアナシティーだ。かつてのEUが母体になっているヨーロピアン都市である。住民にはヨーロッパ系が多い。


 タクミはディアナのホスピタルに、サイコセラピストとして、三年前に赴任された。二十三さいのときだ。

 サイコセラピストとは、エンパシストのことだ。もちろん、タクミも、セラピスト協会の認めるAランクのエンパシストだ。


 人類のなかに、エスパーが急増したのは、五十年ほど前からだ。今では全人類の二割はエスパー。五人に一人はなんらかの能力を持っている。


 超能力は便利だ。

 事故の救助には念動力者が、精神治療では感応力者が、犯罪捜査には透視者が、大活躍している。

 一方で、盗聴や盗撮など、超能力を使った犯罪も絶えない。

 それらに超能力で対抗するのが、サイコディティクティブだ。


 二か月前、タクミはサイコ探偵事務所を開業した。セラピストのタクミが探偵になったのには、もちろん、わけがある。


 助手のユーベルだ。

 ユーベルは以前、超能力を暴走させて、たいへんな事件をひきおこした張本人だ。

 ユーベルは二さいのときに変質者にさらわれ、以来、セラピスト協会に保護されるまで、ずっと、虐待されて育ってきた。命の危険を回避するために、超能力が暴走してしまったのだ。


 ユーベルの能力は、エスパー協会でもきわめてまれなAAAランク。過去、トリプルAランク者は宇宙で一人しか存在しなかった。

 ユーベルは、その二人め。

 しかも、ユーベルの能力は、感応力と念動力におよんでいる。


 そういうわけで、ユーベルは、この一年間、社会復帰できるよう、ホスピタルで治療を続けてきた。

 そして、二か月前。担当医のタクミの監視つきで、社会に出ることが許されたのだ。

 探偵事務所をひらいたのは、超能力関係の事件をあつかうことで、ユーベルの自己制御能力を強化できると考えたためである。


 しかし、依頼は少ない。

 いや、ありていに言えば、初依頼。

 その初めての依頼人が、こんな美少女だなんて、運命的なものを感じる。


 月の女神と同じ名前の美少女は、赤いエナメルのくつをはいた、自分自身の小さな足を見おろすように、うつむきがちに答えた。


「アトキンスの妻です」

「妻? フィアンセではなく?」

 少女は、また目をふせ、くつの色を映す赤い瞳を長いまつげでおおう。

 ほんとに、夢のように美しい。


「わたし、クローン体なんです。八つまで人工子宮で育ちました。オリジナルのダイアナは、十二年前に死亡しています」


 なるほど。それで、わかった。

 近ごろ、問題になってきてる事案だ。


 クローン技術は二十一世紀の天才、ジョウノウチ博士が革新して以来、日常的なものになっている。

 生まれてくる子どもに事前に遺伝子操作をするゲノム編集。

 病気や事故で体の一部を失った人のために、クローン臓器を移植するのは、今ではオーソドックスな治療法だ。


 また、死亡した人を本人のDNAから再生する、クローン再生。


 しかし、まだ人類は、オリジナルからクローンへ、記憶を写すところまでは到達していない。つまり、クローンを再生しても、記憶は失われてしまう。そのため、家族とのあいだにトラブルが発生する。


 とくに多いのは、配偶者とのあいだにだ。

 血縁での再生は、一親等間でしか許されていない。親子間だ。子どもに先立たれた親がおこなうことが多いため、トラブルは少ない。


 だが、配偶者となると、もとは赤の他人だ。

 記憶のない状態で、以前と同じ愛情を得ることは、やはり難しい。

 ほとんどの場合、再生された人が別の人に心を移し、離婚を申し立てる。

 配偶者再生で、その後も円満な夫婦関係をきずけるのは、全体の二割に満たないという統計だ。


 近ごろでは、配偶者再生は廃止するべきと世論はかたむいている。


「ということは、亡くなった奥さまのDNAから、ご主人が、あなたを再生されたわけですね?」


 そりゃまあ、これだけ比類ない美少女だ。

 夫はあきらめもつかないだろう。

 だが、ダイアナは、あきらかに自分の現状を好ましく思っていない。


「配偶者再生は何かと問題が多いですからね。それでも、二割の夫婦は成功してるわけで。あれって、おたがいが、ひとめぼれだった人たちほど、うまくいくらしいですよ。遺伝子のなかにも、人に対する好みがあるんでしょうね。免疫細胞が異なる男女は、惹かれやすいっていうし」


 ダイアナは悲しげなおもてに、かすかに笑みをうかべた。守ってあげたくなるような笑みだ。


(かっ……可愛いなあ)


 タクミの思考を読んだのだろう。

 ムギュッと、ユーベルがタクミの足をふんでくる。


『痛いよ。ユーベル』

『あんた、鼻の下、のばしすぎ』


 テレパシーで会話したタクミは、あわてて、ゆるんだ顔をひきしめる。

 もちろん、エスパーではないダイアナには、二人の会話は聞こえてない。


「そうですね。それって魂の記憶ですね。ステキだと思うわ」


(わッ。ちょっと、そんなこと言われたら、僕、ほんとにあせるよ?)


「そ……そうですか? 喜んでもらえて嬉しいです」

「わたし、黒髪の人って、好きよ。なぜかわからないけど。それが魂の記憶なの?」


(わあ。もう、やめてェー)


 タクミは黒髪、黒い瞳の純和風。

 ダイアナに他意はないのだろうが。


 ついに、ユーベルが怒った。

「あんたの魂に、なんて書いてあるかなんて興味ないんだよね。依頼する気ないなら帰れば?」


 これだ。これが、いまだに一人も依頼を受けたことがない原因だ。

 めったに、しゃべらないくせに、口をひらけば、すごい毒舌なのだ。たいていの人は怒って帰る。


 ユーベルのバカ。


 ダイアナは、ちょっと傷ついた顔をした。が、帰りはしなかった。

「……ごめんなさい。知らない男の人と話すの、初めてだから」

「いいんです。いいんです。気にしないでください。ユーベルは機嫌が悪いだけなんです。ノラ猫みたいなもんですから! それで、ご依頼は、なんですか? やっぱり、ストーカー被害ですか?」


 てっきり、そうだと思ってたのに、違っていた。

 ダイアナは、思いもよらないことを言いだした。


「……この世に、霊というのは存在するんでしょうか?」


 タクミは思わす、ユーベルの肩にもたれる。

 霊はキライだ。

 しかし、初の依頼がとれるかどうかの、せとぎわである。勇気をふりしぼる。

「霊というと、幽霊。ゴースト。いわゆる、死んだ人の霊魂のことですか?」


 ダイアナは真剣な顔で、うなずく。

 月面都市の超能力探偵事務所で、クローン再生体の美少女から聞くにはふつりあいな内容だ。


 タクミは気持ちを切りかえ、霊現象における科学的説明を始める。


「まあ、現象としては、ありますよ。エスパーでないみなさんは、そういうものは前時代的だって、おっしゃるんですがね。あれは誤解です」


 ダイアナは、きまじめな顔で、タクミを見つめている。


「二十二世紀になって、ESPの研究が盛んになったことで解明されました。かんたんに言うと、すべて精神感応力のせいなんです。

 サイコメトリーという能力をご存じですか? リーディングとも言われる力です。エンパシー能力の特殊な形態ですね。

 エンパシーは通常、生きた人間どうしで交感される力です。

 サイコメトリーは、その力が過去に向かうんです。品物や土地などから、特定の人物の過去の記憶に感応します。つまり、過去に人が残したエンパシーを、エンパシーによって感知する能力です。


 そういう力が知られてなかった時代はですね。ある特定の場所で、不特定多数の人が幻覚などの症状に見舞われたので、あの場所には霊がいるとか言われたわけです。見える人と見えない人がいるのは、もちろん、エンパシー能力を持っているかいないかの違いですね。


 時代がたつと霊が出なくなるのは、残されたエンパシーが時とともに弱まるからです。残されたエンパシーが、どのていどの年月で薄れるかは、残したエンパシストのランクによります。強いエンパシストのエンパシーは、長く残ります。

 そういう念は強力なので、エンパシストではない一般のかたでも、なんとなく寒気がしたり、気配を感じたりするようですね」


 ダイアナは、タクミの長ったらしい説明を一字一句、のがさないように聞き入っている。

「わかりました。霊はエンパシーってことですね。それなら、霊が今現在、生きている人に取り憑くこともあるんですか?」


 ダイアナの話は、ますます前時代のホラーがかってくる。

 なんだって、こんな話ばかり、したがるのか。

 タクミは怪談が苦手だ。

 科学的に、どういうものかわかっていても、怖いものは怖い。


 タクミにはエンパシー能力はあるが、サイコメトリー能力はない。なくてよかったと心から思う。

 そんなものが見えた日には、月面都市建設途上で死んだ大勢の霊に、たえず悩まされてなければならない。

 酸素不足で窒息死。

 岩盤の下敷きで圧死。

 食料不足で餓死。

 月の亡霊も、さぞや、にぎやかなことだろう。

 タクミは、ぶるるっと肩をふるわせた。


「あ……ありますよ。その場合、念を残したがわか、念を受けとるがわ、あるいは双方が、とくに強いエンパシー能力の持ちぬしであることが前提です。または双方のフィーリングが、とてもいいか。ほら、波長があうって言うじゃないですか。あれですね。


 けっきょく、エンパシーは電波ですからね。

 体内で発生する生体電気を、なんらかの能力として外部にもたらすのが、ESPです。

 電波ですから、波長の相性ってあるんですよ。肉親どうしや、長年そばにいた人は、あいやすいですね。


 ちょっと横道にそれましたが。

 すなわち、憑依というのは、サイコメトリーの反応が過度に起こってしまう現象です。波長があいすぎるので、ずっと、エンパシーが切れないわけです。


 だから、ありもしない幻影がついてまわったり、はなはだしい場合は、エンパシーに人格を支配され、性格が豹変してしまいます。まわりからは、死人に乗りうつられてしまったように見えるんですよ」


 そういえば——と、ダイアナは言う。


「一年前のあの事件は大変でしたね。エンデュミオン・シンドローム。あれがそうですか?」


 事件の張本人は、タクミのとなりで軽く肩をすくめた。

 あの事件は、あまりに社会への影響が大きかった。そのため、事件を起こした本人の素性は伏せられている。

 でなければ、ユーベルは命の危険に、さらされるかもしれない。


「ありましたね。エンデュミオン……あれは、どっちかっていうと、生霊にあたるんでしょうね。過去のサイコメトリーではなく、今現在、生きている人のエンパシーでしたから。それにしても……霊に悩まされるようなことでも?」


 いやな依頼が来てしまった。

 できれば、かかわりたくないかも?

 でも、依頼人は超美少女だ……すてがたい。


 ダイアナは思いつめた顔で打ちあけた。

「ちょうど、あの事件があったころです。一年前、アンソニーの双子の弟が亡くなりました。一卵性双生児です。一卵性双生児というのは、ひとつの受精卵が分裂して、二人の子どもになるので、遺伝子は同じなんですってね。アンソニーとアルバートも、外見だけでは区別がつかないくらい、そっくりでした」

「ふん、ふん。弟さんの名前は、アルバート——」


 レトロなカード型パソコンにペンタブレットで入力していたタクミは、ようやく気づいた。


「あれ? アルバート・アトキンス? もしかして、あの有名な宇宙飛行士の、アルバート・アトキンスですか? 光速有人飛行を成功させて、火星への移住を可能にした、伝説的なアストロノーツですよね?」

「はい。その、アルバート・アトキンスです」

「スゴイ! 兄は月面都市屈指の大富豪。弟は歴史に名を残す宇宙飛行士か。そういえば、ニュースで訃報が流れてたっけ。もう一年になるのか」


 そのころ、タクミはユーベルの件で多忙きわまりなく、くわしくニュースなんて見てられなかった。


 ダイアナは続ける。

「アルバートが死んでから、アンソニーのようすがおかしくなったんです。以前はあんなに快活な人だったのに。ふさぎがちになって、別人みたいに陰気になって……」

「それは双子の片割れが亡くなったんですから、ショックも大きかったでしょう」


 ダイアナは首をふる。

「アンソニーとアルバートは、生前、仲はよくありませんでした。気質があわなかったんでしょうね。姿は似てたけど、性格は正反対だったんです。

 アンソニーはアルバートを嫌ってさえいるようでした。なのに、近ごろ、ふとした仕草が、あの人のものなんです。性格も変わってしまって……わたし、怖いんです」

「なるほど。ご主人に弟さんの霊が、とりついてるんじゃないかって、ことですね。それをたしかめてもらいたいと?」

「はい。できれば、彼をもとに戻してほしいんですけど」


 タクミは安っぽい合成皮革のソファーのなかで出せる、せいいっぱいの威厳をもって答えた。


「いいでしょう! 承ります」

「ありがとうございます」

「依頼料その他は要相談ってことで」

「これで、いかが?」


 ダイアナのよこしてきた電子小切手の額に、タクミは目をまわした。

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