第43話 女神の使徒 セルエスト

「さて、夜が明ける前にとっとと仕事を終わらせるか」


 大きなため息をついた後、蟹達は体全体を起こして店の窓を確認すると、そのハサミを器用に壁に突き刺してよじ登る。小さな赤い蟹がロッククライミングをしているのは、一見すると微笑ましい光景ではあるが、奴らは悪党であり、見逃すわけには当然いかない。


 俺は蟹達に【腹痛】の魔術を次々とかけていくと、壁にいる虫に殺虫剤を吹きかけたようにボトボトと地面に落ちていく。


「あぁぁ、痛いいっ」

「何でよりによってこんな時にっ! 」

「お前らもかよ! 昨日の飯に悪いもんでも入っていたのか? 」


 地面でのたうち回る蟹達は、スーパーの魚介類コーナーで弱りながらも必死にもがいていた食材を彷彿とさせる。


 そして俺達は動けなくなっていた盗人達の前に出ると、奴らは泡を吹きながら慌てふためく。


「げっ、人間に見つかっちまった。どうしますか隊長? 」

「ここは一時撤退だ。動けるものから退避を始めろ! 」


 隊長と呼ばれた蟹は一回り大きく、腹部に大きな傷があった。隊長の指示に従い、転がりながらも俺達の前から逃げようする蟹達であったが、そこに俺達の援軍が到着する。


「ちょっと、ヨカゼ、しっかり手加減してくれた? まだちょっとお腹がチクチクするわよ。ん、何この赤いの? 」


 腹部を押さえながら走ってきたイストは、地面の上ででんぐり返しをしている生物見て眉をひそめる。


「彼等は魔族だ、名前はクラブシザーズ。普段は海底にいるはずだが、なぜこんな町中に? 」


 クロは不思議そうな顔をしながら説明をする。


「そいつらが犯人だ、一匹たりとも逃がすなよ! 」


 俺が二人に向かって叫ぶと、この不思議な状況を理解した彼女達はニヤリと笑う。


「なるほどぉ、私がお腹が痛いのは貴方達のせいね。反省しなさい、イストフレア! 」

「同じ魔族として、悪事を働いたものは仕置きしなければな」


 燃え上がる火炎と、俊敏に動き回る黒き影によってクラブシザーズは次々に地面に伏せる。これは不味いと思った蟹達は、一転して俺達の方に向かってくる。


「くそっ、後ろがダメなら。正面突破だ、切り裂かれたくなければどきやがれ! 」


 ハサミを振り回しながら突撃する蟹達に、俺は麻痺の魔術をかけて動きを封じる。動けなくなった蟹は体をプルプルと震わせながら怯えた声を上げる。


「た、隊長……、こいつらやべえです。人間ってこんなに強いんですか? 」

「……八方ふさがりか、悪いことはできないものだ」


 隊長蟹は目をつぶって、ハサミをゆっくりと下ろす。


「降参しよう、可能な限りの罰は受けるつもりだが、どうか部下の命は助けてくれないだろうか」


 目を大きく開けて俺のことを見据える隊長。一方、部下達は涙目でハサミを重ねて命乞いをしていた。


「ヨカゼさん……」


 不安そうな顔で俺を見つめてくるエーコ、もちろん命を奪おうとは思っていない。ただ、罪はその体で償ってもらう。


「何でこんなことをしたのか教えてもらおうか? 」


 至極当然の質問を投げかけると、クラブシザーズ達はお互いの顔を見合わせる。その様子からは困惑が読み取れ、相当言いにくい理由があるのだということが容易に分かった。


「言えないのなら一匹ずつ鍋に入れてしまおうか、幸いこっちには何でも喰っちまう悪食がいるからな」


 俺がクロの方を見ると、クラブシザーズ達もつられるように彼女を見る。そしてクロは悪役の様に笑いながら舌なめずりをすると、蟹達は身を寄せ合わせて震えはじめる。そんな怯える部下を見て、重い口を開けたのは隊長だった。


「化け物への貢物をするためだ。少し前から自分のことを女神の使徒と名乗る怪物が現れた。そいつは美しい物に目がなく、私達に綺麗なサンゴや真珠を集めさせたのだが、もうここら一体は取りつくしてしまった。そこでこの町で盗みを働こうとした」


 隊長の言葉を聞くと、クロとイストは口を少し開けて驚いた表情をする。


「女神の使徒だと、それは真か? 」

「あくまで自称ではある。ただそれが真実であろうがなかろうが、私達は従うことしか出来ない。私達ではあいつにはどうあがこうが勝つことができないのだ」


 隊長がハサミを震わせながら、悔しさを押し殺して言うと、周りの部下達はしょんぼりしながら俯く。


「そんなに強いのか? 」

「ああ、竜のような姿から繰り出される一撃に、魔法と思われる術まで行使してくる。最初こそ抵抗はしたものの、結局私達はなすすべもなく蹂躙されてしまった」

「あれ、魔法は人間じゃないとで使えないはずだったよな? 」


 イストに確認をしてみると、彼女は一片の迷いも見せずに頷いた。


「そのことは私達魔族も知っている、だからこそ人間ではない者が魔法を使う光景を見ると、あいつは本当に神の使わせた存在なのかもと思ってしまうのだ」


 俺の個人的な印象になってはしまうが、この隊長の口ぶりからすると、彼はとても嘘をついている様子は見えない。もしかすると本当に女神の使徒は実在するのだろうか。俺は思わず唾をゴクリと飲みこむ。


「なぁ、そいつの所に連れて行ってくれないか。それができたら今回のことは大目に見てもらえるように、俺からこの店の人にお願いしてやっていい」

「やっぱり気になるんですね」

「ああ、当たり前だ。思いがけないチャンスが転がり込んできたぜ」


 俺はエーコに向かって笑みを浮かべる。


「あんな化け物に会いに行くなんて危険ですよ、隊長もそう思いますよね」

「……いや、私達は敗北したのだ、断ることはできない。しかし、使徒セルエストがいるのは海の向こうの霧の島だが、貴方達は船は持っているかな」


 不味い、船なんて持っていない。泳いでいくのはさすがに無理だよなぁ。


「それなら、自分の船を使ってよ。小さいけどこの人数くらいなら問題ないよ」


 それまで状況を静観していたギースが嬉しそうに口を開く。


「いいのか、危険なところに行くから船を壊してしまうかもしれない」

「ああ、その代わり自分も連れて行って欲しい。ああ、女神の使徒なんて絵の題材にぴったりだ、どんな美しい方なのだろう」


 ギースは鉛筆を手に取り、ノートにまだ見ぬ生物のイメージ画像を下書きしている。これは彼を置いていくことは難しいだろう。


「危険な場所か……」


 エーコをそんなところに連れて行って良いかどうか悩む。ふと、エーコの方を見てみると、彼女はやる気満々の顔で俺を見つめていた。そんな彼女の顔を見たとたん、くだらない悩みは吹き飛んでしまう。そうか、約束をしていたんだったもんな。


「エーコ、俺が守ってやるから。しっかりついて来てくれよ」

「ええ、回復なら任せて下さいね」


 微笑むエーコの手を取って、ギースの船がある場所まで向かおうとする。


「ちょっと、私のことも守ってよー」


 甘えるような声を出してイストが俺の空いている方の手を握って来る。そして右手にエーコ、左手にイストの両手に花の状態になった。意図せず両手がふさがってしまった俺は、恥ずかしくなって思わずにやけてしまう。


「デレデレしているようだが、油断のならない相手と対面するのだ。しっかり気を引き締めろよ」


 クロははっきりとした口調で注意してくる、確かにこのことについては彼女が全面的に正しい。彼女達を守るために俺がしっかりしてやらないといけない、大きく深呼吸をして気合を入れなおした。




 そして、ギースの船に乗った後、クラブシザーズの案内によって無事に霧の島に到着する。どうやら不思議な魔力によって真っすぐ島に向かうだけではたどり着けないようになっているらしい。


 実際、クラブシザーズに案内されていた時は三メートル先も見えないような霧の中を不規則に方向転換していたようにしか感じなかったので、普通の人間では島に来るのは到底不可能であろう。


 間近で見てみると霧の島とはいうが、実際は大きな岩山が海面からせり出しているようなものであった。


「すごい高さですね、こんなの登れるのでしょうか? 」

「登らなくて大丈夫です、あちらをご覧ください」


 隊長がハサミで示した先には、トラックでも入れそうな大きな横穴が口を広げていた。


「あの入り口から入った先にセルエストがいます」


 俺達は顔を見合わせて頷いた後、その穴に入っていく。穴の中は静寂に包まれており、天井から滴り落ちる雫が、ポツンポツンと洞窟全体に響き渡っていた。そんな洞窟が奏でる音楽を行進曲がわりに進んでいくと、先頭にいた隊長が立ち止まって小さな声で話しかけてくる。


「あそこから広がる大きな空洞があいつの住処です。おそらくいきなり襲ってくることはないと思いますが十分に気をつけて下さい」


 彼の言葉に俺達は頷くと、隊長は再び歩みを進める。俺達はゆっくりと後についていき、ついに島の中央ぐらいに位置するであろう空洞に到着した。


 空洞は野球ドームのように広がっているものの、広さはその数倍はある。天井や壁には色とりどりのサンゴや真珠が飾られていて、まるでプラネタリウムにいるように感じた。


 そして空洞の中心には大きな湖が広がっており、そこから一匹の巨大な生物が体の一部を出していた。何故、体の一部という表現かと言うと、その生物の全体像が分からなかったからだ。


 それは一言で言ってしまうと巨大な蛇、他の言い方では東洋の竜、またはサーペントという表現でも良いかもしれない。頭と首は湖から出しているものの、水の中はどうなっているか分からなかったのである。俺の勝手な予想だと八両編成の電車ぐらいの長さ、太さくらいであろうか。


 湖から出ている部分に注目すると、その体は月に照らされた夜空の様な紺色の鱗に包まれ、その瞳は若芽を彷彿とさせる新緑。そしてひときわ目立つのが、頭から生えている黄金色の髪の毛である。五メートル程の長さの髪がススキのようになびいていた。


 そんな生物は空洞の岩肌に立てかけてある大きな鏡に向かってぶつぶつ呟いていた。


「可憐、綺麗、端麗、魅惑、素敵。うーん、なかなか自分にぴったりの言葉が見つからないなぁ」


 首を回しながら鏡をチェックしている巨大ウミヘビに向かって隊長は声をかける。


「セルエスト様、実は貴方にお会いしたいという者がおりましたので連れてまいりました」

「ほほう、わざわざこんな所まで会いに来るなんて、美しいというのは罪だね」


 セルエストは鋭い牙をむき出しにしながら、大きな口で笑顔をつくる。


「自分はヨカゼと申します。早速ですが貴方は女神の使徒と伺いましたが本当でしょうか? 」

「そうだよ、こんなに美しい自分が女神様の使いでなくて何だというのさ」


 セルエストは首を大きく振って髪をなびかせてアピールをしてくる。


「それなら、もしよろしければ女神ネーサル様について知っていることがあれば教えていただくことはできますか? 」

「うーん、よく覚えていないな。強いて言えば自分と同じくらいの美貌の持ち主かな」

「他には何も分からないのですか? 」

「そうだけど」


 キョトンとしているセルエスト。こりゃとんでもないハズレを掴んでしまったようだ。こいつは自分を女神の使徒と思い込んでいるアホなんだろうな。俺は小さくため息をついた後、口を開いた。


「それでは、クラブシザーズ達に依頼している美術品の収集作業は取りやめてもらうことはできますか。この辺りにあるものは取りつくしてしまったため、人間の町への被害が出始めてしまっています」

「んー、それってこれのこと? 」


 セルエストは鏡の傍に置いてあった小さなネックレスを器用に咥えて見せてくる。それは俺がエーコのために選んだ星型のネックレスだった。


「あっ、それです! 」


 エーコが指をさして叫ぶと、セルエストはニヤリと笑う。


「ふーん、これ気に入っているんだよね、返してって言われたら余計欲しくなっちゃった。そこの……タイチョーだっけ? これ明日までに最低十個は集めてきて、出来なかったら何匹か死んでもらうよ」

「なっ! 」


 悪気のない笑顔で無茶苦茶な要求をするセルエストに一同は騒然とした。


「お前はいったい何を言っているのか分かってるのか? 」

「どういうことかな、このネックレスの輝きと比べたら、こいつらの命なんて軽いものだよ」


 へらへらと笑っているセルエスト。そんな暴君を隊長は体を震わせながら睨みつけている。


「貴方にネーサル様の使徒を騙る資格はありません」

「魔族として同朋をコケにされて黙っているわけにはいかないな」

「よしっ、とりあえずむかついたから。ぶっとばすわよ」


 少女達は目に光を宿して前に歩み出る。


「皆、あんな化け物相手によく向かっていけるな」


 ギースは顔面蒼白で足をガクガク震わせていた。人間なんて簡単に丸呑みしてしまうような怪物だ、一般人の反応としては当然であろう。


「ギースは安全なところに隠れていてくれ、ここは俺達が何とかしよう」


 俺がそう言うと、彼は頷いて下がっていった。彼が近くの岩陰に隠れたのを確認した後、俺もセルエストに立ち向かう。


「見た目だけ小綺麗にして中身はドロドロの醜悪野郎には天罰を与えてやる! 」

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