第9話 少女とお肉とS級冒険者
クロはこちらを振り向いて不気味な笑みを浮かび始めた。本能的に危険を感じ、腰からナイフを取出しながら、彼女の目を見つめて黒魔術をいつでも使えるようにする。
その瞬間、彼女は矢のようなスピードで俺に向かって突っ込んでくる、その勢いに負けて思わず身を引いてしまうがそれは失敗だった。下手に逃げようとしていたせいで防御態勢も取れなかった俺の腹に、彼女の拳が叩き込まれる。
「っ、どういうことだクロ……」
彼女は膝から崩れ落ちる俺の首を片手でつかんで、腕を大きく振り下ろす。俺の視界は天を仰いだと思った瞬間、目の前には地面があった。俺の首から下は大丈夫なのか、実はもう生首でしたなんてのは嫌だぞ。
落ち着いてみると腕や足の感覚はある、良かったと思った矢先、また彼女に首を持ち上げられる。目の前には邪悪な笑顔を浮かべたクロの顔があった。
「酒場であった時は公衆の面前であったため手を出さずにいたが、まさかギルドに登録していたとはのう、おかげで探す手間が省けた」
「いったい何のためにこんなことを」
「ほぉ、覚えとらんとは。まあこの姿では無理もない、ならば体で思い出させてやろう」
こんな綺麗な子に会っていたのなら絶対に忘れないはずと思っていると、彼女は俺の肩に顔をあてて大きく口を開け、皮の服ごと俺の肩の肉を喰いちぎった。何が起きたのか分からなかったが、肩の痛みが俺を現実に引き戻す。思わず顔をしかめてしまう。
「やはり、美味であるな」
俺の肩の肉を咀嚼しながら口の端から血を垂らすクロ。この光景と肩の痛みは覚えがある。
「お前はあの時の黒トカゲ……、名前は確かクロワールだったか」
「ようやく気付いたか、あの時の腹の痛み、いまだに時々思い出すぞ。ちなみに我の呼び方はクロで良い」
彼女は口に入っていた皮の服をぺっと地面に吐き出す。
「お前人間の姿になれたんだな、俺に復讐しに来たのか」
肩の傷が痛む、油断をすると意識を持ってかれそうだ。
「我は魔族と人間を仲介する存在、人間の姿になることなぞ造作もない。そして、この姿をしているのは食の為、人間はなかなか旨い料理を作るからな。この姿をしている方が色々とやりやすい」
「それなら俺の肉なんて喰わずに酒場にでも籠って、お子様ランチでも食ってろ」
クロが俺の肉を味わいながら、苦痛に歪む俺の顔を楽しそうに眺めていた。しばらくすると彼女は口を開く。
「一年前にお主の肉を喰った時、これが意外にも美味でな。それからというものの人間の料理を至る所で食ったのだが、満足ができないのだ。率直に言うとお主の肉にはまってしまった、お主は旨いぞランクで言ったらS級はあるのでないか」
S級冒険者判定きたか、ライバルはマツザカ、ヨネザワ、ミヤザキ、センダイといったところか。何て悠長なことを考えている場合ではない、この偏食ドラゴンめ。
「お前まさか、他の人間もこうやって喰っているんじゃないだろうな」
「我は誇り高き竜。食のためだけにそう易々と人間なんぞ襲わん。だがお主は別だ、お主なら罪悪感なく喰うことができるからな」
恨みと愉悦が入り混じったような何とも言えない表情をしている彼女。ここにきて一年前にしでかしたことがかえって来るとは、因果応報というやつか。
「そう言えば一年前にいたあの娘達は一緒ではないようだな。お主の横暴さに愛想でもつかしたか」
高笑いをしているクロを俺は黙って睨みつける。
「そう怒るのではない、我は別にお主を殺そうとしているわけではないぞ」
そう言うとクロは俺の耳もとに顔を近づけて囁く。
「お主、我の下僕になれ。我が腹を空かせたら体を差し出すのだ。そうすれば可愛がってやるぞ」
「誰がお前のようなトカゲの下僕になるか」
俺は吐き捨てるように言うと、クロは俺の首を掴んでいる方とは反対の手をドレスのような鎧のポケットに入れ、中から緑色の液体が入っているガラス瓶を取り出す。
「これは貴重な薬品でな、飲めばたちどころに傷は塞がる。例えば何かに肉を喰いちぎられたような傷などな」
俺はその薬に右手を伸ばすが、クロは薬を背中に隠してしまう。彼女は俺を見てニヤニヤ笑っている。
「さてどうすればよいか、流石のお主も理解できたか」
「俺が貴重な食糧ってなら、お前は俺を殺せないはずだ。薬を渡さなければ俺は死んでしまうかもな」
大げさなくらい喰いちぎられた場所が痛む素振りを見せるとクロがため息をつく。
「やれやれ、これでも我はお主の意思を尊重しているのだがな。我がその気になればお主を徹底的に痛めつけ、精神を破壊して生きた人形のようにすることもできるのだぞ」
俺はクロを見つめる。ならなぜ彼女はこんな交渉をしているのだろう。
「不思議そうな顔をしているな。お主を生き人形ではなく下僕にする理由は、お主を喰らうたびに浮かべるであろう苦痛の顔、悲鳴を感じたいからだ。一年前に我を苦しめた者のな」
「本当に性格悪いなお前」
「お主には言われたくない」
俺とクロはお互いに睨み合う。自分のことを誇り高き竜とか言ってた割には思考はガキそのものだな、俺も人のことは言えないが。しかし、さっきからずっと黒魔術を使っているが全く効果が表れない。
「必死に魔法をかけようとしても無駄だ。どうした、顔が苦痛に歪んでおるぞ、もう諦めたらどうだ」
きりきりと首を絞める力を強めていくクロ、息をするもの辛い状況で声を振りしぼる。
「条件によっては考えてやってもいい」
「下僕になるものが主人に意見とはな、でも我は寛大だから許可する」
相も変わらず傲慢な様子でクロは言った。
「俺はネーサルを見つけてエーコに会わせてやりたい。それが終われば俺を好きなようにしろ」
「ネーサル? お主まさか女神のことを言っているのか。もしやあの娘の身に何かあったのか」
先程まで笑っていたクロから笑みが消え、不安そうな表情になる。そんな顔もできるんだなこいつ。
「いや、エーコには何も問題ない。今も元気に女神様にお祈りを捧げているだろうな」
「そうか、それは良かった。しかし、それならば何故女神と会わせようなど考えるのだ」
クロが不思議そうな顔をしてこちらを見つめる。
「彼女は女神が大好きでずっと祈り続けているんだ。そんな娘に女神と会わせてやりたいと思うのはおかしいか」
クロは目を丸くすると、呆れたように微笑する。
「それだけの為に女神と会わせるか、今まで聞いたこともない。そしてそんな世迷言を言うお主の目に迷いも感じられないとは」
乾いた風がクロの髪を揺らす。彼女は一呼吸置くと、
「何があったかは分からんが、お主も少しは変わったようだな。仮にお主がいなくなったらあの娘は悲しむか」
何かを確かめるように俺の目を見つめてくるクロ。
「そうであって欲しいと願うね」
俺が苦痛に歪みつつ、必死な笑顔で答える。するとクロは俺の右手に薬の入ったガラス瓶を渡してくる。
「一年前、あの娘に解呪してもらった分の礼だ、下僕の話はまた気が向いたらで良い。後、彼女にはあまり心配をかけるのではないぞ」
そう言ってクロはゆっくりと歩いて町へ戻っていく。彼女から受け取った薬を飲むと傷がみるみる塞がり痛みも感じなくなった、回復魔法がある世界ではあるがここまでの効果を体験すると恐怖すら感じる。
クロに一方的に嬲られて分かったが、この世界には強い奴が大勢いる。俺はもっと強くならなければいけない、そのためには黒魔術を鍛えるか、身体能力を高めるか、それとももっと別の力を手に入れるか。
俺はしばらくその場に座り込んで考える。とりあえず今は、目の前にあることだけ地道にやっていくことしかできない。当初の目的通り、王都を目指して依頼をこなしていくことしかできないのだ。俺はもう痛まない肩の傷をさすりながら立ち上がり、町へ戻った。町に着いた時には既に日が暮れていた。
「お疲れ様です。依頼なら完了したとクロちゃんから貴方への報酬を渡すように頼まれていたので、これをお渡しますね。それでデートの結果はどうだったのかな」
ギルドに帰るとニヤニヤした受付嬢が俺を呼びとめて金を渡してくる、何が依頼完了だ。受け取った金を投げ捨てようとしたが、思いとどまって財布に入れる。この悔しさはしっかりと受け止めておかなければならない。
「ああ、えらく情熱的な娘だったよ」
俺がそう言うと手で口を押えながら赤面させて喜ぶ受付嬢。そんな彼女を余所に俺は宿屋に戻り、今日のことを心に刻みながら、明日に備えて眠りについた。
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