第6話 旅立ち
朝、窓から漏れる朝日で目が覚めた。簡素な布の服に獣の皮で出来た上着を羽織り、小さな我が家を出る。近くの井戸で簡単に顔を洗った後、教会へ向かう。
「ヨカゼさん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
俺は教会の中で机や椅子を雑巾で綺麗にしているエーコに挨拶した。
「朝早くから、ご苦労なことだな」
「朝に掃除をすると、気持ちが良くなりますよ」
額に少しばかり汗をかきながら彼女は作業を続ける。
「あ、ヨカゼさんはあそこの窓を拭いてください」
俺はエーコから雑巾を受け取り、少し高い場所にある窓を拭く。彼女では背が届かないので高いところの窓掃除は俺の役目だ。
「やっぱり、ヨカゼさんがいると助かります」
エーコがにっこりと笑いながら感謝をしてくる、俺も笑顔を返した。
「おやおや、二人ともいつも早いねえ」
神父がやって来る、長い白ひげに眼鏡、六十歳を超えているが体は健康そのものと言った様子だ。
「神父様、おはようございます。今日も一日良い日でありますように」
エーコと俺は笑顔で挨拶する。
「貴方達にもネーサル様のご加護がありますように」
神父は微笑みながら返事する。俺はエーコの影響もあり、教会の手伝いをするようになっていた、ちなみに農業が忙しくなる時期は農家のおっさんの手伝いもしている。
しばらくすると、他の村人達が次々と教会に集まってきた。俺とエーコは隣に並びながらその様子を見ている。村の人々が全員集まると、神父がネーサルの教えを語り始めた。エーコや他の村人は目をつぶって話に聞き入る。
俺は村の人達のおかげでこうやって生活できている、彼らが助けてくれる理由の中にはネーサルの教えもあるのだろう。
そうなるとネーサルは俺を救ってくれたことになるのだろうか、でも女神は俺の目の前に現れたことは一度もないし、何かお告げをしてくれたわけでもない、考え出すと良く分からなくなってしまうな。
神父様のありがたいお言葉が終わると、村人達は自分の仕事をするために教会の外へ出ていく。俺とエーコは簡単に教会の片付けを行う。
「さて、片付けは終わりましたね。ではこれから勉強の時間ですよ」
エーコは古びた本を机の上に並べる。
「それでは昨日の続きからです、分からないところがあったら聞いてくださいね」
優しい顔をしながら授業を始めるエーコ。
「まずこの世界はかつて魔導と言う分野が発展していました。魔法を使ってゴーレムや便利な道具を作っていたんですね。ただある時その道具の暴走により文明が消失してしまったのです」
科学の進歩により自爆、漫画やゲームでよくあるパターンだ。今はもう関係ないが地球でもいつかはありえるかもな、もしかしたら現時点でヤバいことになっているかもしれない。
「それから約二千年、この世界で人間は魔導とは離れて生活をしています。ちなみに今この世界の真ん中から東を人間が、西を魔族が治めているのは勉強済みですね」
この世界の中央に近づくほど、町の発展が進んでいるらしい。なお俺達が今いるこの村は人間の住んでいる地域の東の端。安全ではあるがド田舎と言わざるを得ない。
「エーコ先生、人間と魔族の違いは何でしたっけ。その部分はなかなか理解が難しくて」
俺が手を挙げて質問すると、彼女はニッコリと笑う。
「はい、ヨカゼさん、分からないことを素直に質問するのはとても良いことです。簡単に言いますと人間は自然に誕生した小動物が進化をしたもの、魔族はネーサル様がこの世界を創造した時に使った魔力の残りが色々な姿かたちの生命となったものです」
「そうなると魔族は神の魔力そのものということになりますね」
「起源を考えるとそうなりますね。ただ長い年月をかけて魔族は独立した肉体、知恵、習慣を身につけたので、もはや神の魔力ではなく我々人間と等しい地上に生きる生命と言って良いでしょう」
魔力から独立した生命体が誕生するなんて不思議だ、まあ神様の魔力なんだから何でもありなのかもしれないな。
「人間と魔族の間で争いとかは起きないのでしょうか」
「過去には時々いざこざはあったみたいですが、大規模な戦争は起きてはいないですよ。ただ今でもお互いの交流は一部を除いてほとんどないのは少し残念ですね」
お互いに誕生の仕方が違うのであれば戦争の一つや二つ起きてもおかしくはないが、これもネーサルの加護のおかげと言うことなのだろうか。
「さて、もう疑問は解決しましたか? 分からないところはそのままにしちゃダメですよ」
エーコは姿勢を低くして、その綺麗な瞳で俺を見つめながら笑顔で言う。
「そういえば、竜も魔族なんでしたっけ」
「そうです、竜は魔族ではありますが、魔族と人間を仲介する役目を担っています。その役割を果たすために強い力が与えられているのですよ」
テレパシーやら何やら使っていたのもその力ってわけか、あの竜がまだ子供だったとはいえよく勝てたもんだ。自分を褒めてやりたい。
しばらくすると教会に子供達が入って来る。この子達は昼間、親が仕事に出ている時に教会で俺達が面倒を見ている。
「ヨカゼ兄ちゃんが勉強してるぞ、ボク達もいれてよ」
子供達が俺の両脇に座って来る。恥ずかしい話だが俺がエーコに勉強を教えてもらい始めていた時は、俺ができない問題をこんなちびっ子はどんどん答えていた。
その時の得意げな子供達の顔を、俺は一生忘れることはできないだろう。
子供達が入ってきたことで賑やかになり、勉強どころではなくなってしまったので俺はいつもやっているように日本の世界の漫画やアニメの話をする。アニメやゲームは大好きだったからいくらでも話すことができるのだ。
コメディ、恋愛、アクション等々、エーコと子供たちは食い入るように話を聞いている。
こればかりは自分が地球にいたことに感謝しなければならないな。
「あの話もう一回してください! 平凡な少女の目の前に突然、王子様が現れるやつです」
エーコは恋愛もの、特に純愛ストーリーが好きなようだった。一度、せつない終わり方の話をしたらすごいしょぼくれてしまったので、今はハッピーエンドの話しか彼女にはしない。
俺が話を続けていると、仕事が終わった親達が子供を引き取りに来る。親は俺達にお礼を言って子供達を連れて帰る、子供達は手を振りながら家に帰っていった。
子供達が全員帰ってしまうと、エーコはネーサルの像に向かって祈りを捧げ、片付けをした後、俺と一緒に教会を出る。俺達は夕暮れの中、エーコの家まで道を共に歩いていくと彼女が口を開く。
「さて、今日は何の料理を作りましょう、何か食べたいものはありますか? 」
「そうだな、いつものパンに野菜と肉を挟んだやつかな」
「またですか、好きですね」
少し呆れながらも、しょうがないなぁと言う感じで答えるエーコ。俺の夕食はいつも彼女が作ってくれている。
一人分だろうが二人分だろうが作る労力は変わらないから遠慮しないでほしいとのことだったが、できるだけ簡単に作れそうな料理をリクエストしている。
エーコの家に着くと彼女は料理を作り始めた、俺は今日の昼間に勉強した部分を復習をしている。しばらくすると外から誰かが走って来る足音が聞こえてきた。
「ヨカゼ! 魔物だ、手伝ってくれ」
農夫のおっさんが慌てて扉を開けてくる。極稀であるが畑や家の食料を狙って、魔物が村に襲撃してくる時がある。
「よし、任せてくれ」
俺は靴や上着を整えて魔物を向かい入れるための準備をする。
「気をつけて下さいね、ヨカゼさんは結構無茶なところがあるんですから」
エーコが心配そうな顔をする。俺は大丈夫だと笑顔で答えて、外に出る。魔物は村の入り口までやってきていた、数は三匹で狼型。
こちらは俺に村人が六人、正直俺がいなくても何とでもなると思うが、少しでも安全に倒せるように魔物に黒魔術をかける。
これで大抵の魔物は逃げ帰るか、その場で立ちすくんで動けなくなるので、そこを村人達が仕留めて終了だ。
「さすがだ、いつも助かるぜ」
肩をポンポンと叩かれる、俺はそれほどでもないですよ、と笑顔で返した。
俺はゆっくりと家まで戻る。辺りはもう暗くなってしまっていたが、一年も住んでいれば道は感覚で覚えてしまっているので、特に問題もなく帰ることができた。
「おかえりなさい、早かったですね。ご無事で何よりです」
俺がエーコの家に帰ると彼女は料理をテーブルの上に準備をして待ってくれていた。まだ料理には手を付けていない。蝋燭の灯が彼女の顔を照らしている。
「先に食べてて良かったんだぞ」
「ヨカゼさんが魔物と戦っているときに私だけご飯と言うわけにはいきません。それに一緒に食べたほうが美味しいです」
頬を膨らませて珍しくちょっと怒った様子でエーコが言う。一緒に食べたほうが美味しいのは同感だな。こんな何もない村で楽しく過ごせたのも彼女のおかげだ。
二人でいつものように雑談をしつつ夕食を食べ終え、俺が家に帰ろうとした時、
「すみません、一緒に来て欲しい所があるんですけどいいですか? 」
「いいけど、こんな時間にどこに行くんだ」
エーコは少し笑みを浮かべた後、家の外に出る。彼女の後ろをついていくと教会に到着した。彼女は持っていた鍵で教会の扉を開ける。
そのまま教会の中に入るエーコ、静かな礼拝堂の中に俺達の靴音が反響する。奥に進むとステンドガラスから漏れる月の光が、優しくネーサル像を包み込んでいた。
「今日は何の日か分かりますか? 」
エーコがニッコリしてこちらを見る。なんだろう、わざわざ教会に来るということはネーサルの誕生日とかなのだろうか。俺が唸っていると彼女はため息をつく。
「時間切れです、今日はちょうど一年前ヨカゼさんと初めてここで会った日なんですよ」
もう一年も経っていたのか、あっという間だな。俺はゆっくりとネーサル像の前まで歩いていき、振り返ってエーコに向かって言う。
「土屋 夜風だ、夜風と呼んでくれ。お前の名は? 」
俺は彼女に初めて会った時に言ったセリフを復唱する。
「ふふふ、そのお言葉懐かしいですね。あの時は本当にビックリしました。祈りを捧げていたら光の柱が出てきて、その中からヨカゼさんが現れたんです。あの時はネーサル様に祈りが通じたのだと思いました」
エーコが懐かしそうに言う。あの時の彼女は本当に嬉しそうだったな、俺がネーサルの使徒を騙りたくなるくらいに。彼女は本当に女神のことが好きなのだろう。
「ごめんな、出てきたのが神の使徒じゃなくて、ただの人間の俺で」
「いえいえ、そんなことないですよ。私はヨカゼさんが来てくれて本当に嬉しいです」
首を必死に振る彼女、俺は思わず笑みがこぼれた。俺は後ろにあるネーサルの像を見て呟く。
「なあ、ネーサルってこの世界のどこかにいると思うか」
「もちろんいらっしゃると思いますよ。私達を見守ってくれているはずです」
「俺も神は確かにいると思う」
俺が笑みを浮かべながらエーコの方を振り向くと、彼女は不思議そうな顔をしている。そう、神は実在するはずだ、しかし俺達の目の前に一度も現れたことがないことも事実である。
「ならもし、ネーサルに会えるとしたら、会ってみたいか」
「ええ、神に仕える者としては一度はお目にかかりたいですね」
そう言って首をかしげながら俺の方を見てくるエーコ。
今までずっと悩んできたが、今この場を逃してしまうと次はいつの機会になるか分からない、俺は意を決して口を開く。
「エーコ、俺は旅に出ようと思う。世界中を巡る旅だ」
彼女は目を丸くしている、突然の言葉に何を言っているのか分からないという表情だ。
「世界中を旅して、ネーサルを見つけ出してこの場所まで連れてきてやる」
「ネーサル様をですか? 」
「そうだ、エーコみたいな優しい子が一生懸命祈りを捧げているのに、顔も出さずに引きこもってすみませんでしたって、女神のやつに謝らせてやるよ」
その言葉を聞いて彼女は驚いた様子を見せると、俯いて何かを考え始める。おそらく俺のことを止めようか、もしくは自分もついていこうか等と考えているのだろうか。
俺はそんな彼女に向かって話を続ける。
「きっとすぐに戻ってくるから、安心して待っていてくれ」
そう言うと彼女は顔を上げて抵抗するような目で見てくるが、俺が彼女の目をじっと見つめ続けると、しばらくして彼女は諦めたような表情になる。
旅には危険がつきものだ、今の俺では彼女を守り切れるかどうかは分からない。少なくともこの村にいてくれれば身の安全は保障されるだろう。
「いつかこんな日が来るんじゃないかって思ってましたよ。でもなんで私の為にそこまでしてくれるのですか? 」
「この世界に来て右も左も分からない俺をここまで面倒見てきてくれたお礼かな」
「ふふふ、私ちょっと頑張りすぎてしまったようですね」
彼女は恥ずかしそうに舌を出した後、俺に尋ねる。
「出発はいつでしょうか? 」
「明日だ、すぐに行動をしないと決意が鈍ってずるずると先延ばしになりそうだからな」
「別に一週間後とかでも良いのでは? 旅立つならゆっくりと準備をするべきですよ」
天使のような少女の悪魔の囁き。俺はこの誘惑に打ち勝たなければならない。
「その一週間の間に、エーコは俺を引き止める策でも考えているんだろう」
「さすがヨカゼさん、鋭いですね。五つくらいは作戦を考えていました」
右手を広げながら、何か企んでいる子供のような笑顔で彼女は答える、何を考えていたのかは分からないが油断できない娘だ。
しばらく黙って二人でそのまま見つめ合っていたが、彼女はふとネーサル像を見上げながら言う。
「本当に女神様を連れてくるなんてできるんですかね」
そんなことはできないだろうと微笑している彼女に向かって、俺は自信満々に言う。
「俺は元・女神ネーサルの使徒だからな。昔の主人を連れてくることなど容易い」
その言葉を聞いて、エーコは驚いた表情をした後、口を押えながら笑い始める。
「成程、そう来ましたか。ヨカゼさんなら、もしかするとできるかもしれませんね」
俺とエーコはお互いに笑いあうと、その声が教会内に響いた。そしてしばらく無言で見つめ合った後、彼女が口を開く。
「必ず無事に帰ってきてくださいよ」
「ああ、帰って来るさ。その時は女神も一緒にな」
俺はそう言って彼女の肩をポンポンと叩く。彼女は少し目を潤ませながらも笑顔で俺のことを見てきた。
俺達はその後、お互いの家に戻る。
俺は明日旅立つための準備を整えてから眠りにつく。
俺はどんなに祈っても神が何もしてくれないから嫌いになってしまった。
今は問題ないがもし今後彼女の周りで不幸があったら、俺と同じように神が嫌いになってしまうかもしれない。
彼女には俺と同じようにはなって欲しくない。
そのために一度女神ネーサルという奴にあって確かめてみなくてはいけないな。
エーコが祈るに値する神であるのかどうか。
――翌日の明朝 side エーコ
「ヨカゼ、体には気を付けろよ。村は俺達だけでも大丈夫だ、安心してくれ」
「また一緒に遊ぼうね、約束だよ」
村の人達がヨカゼさんを見送っている。私は昨日一晩中泣いてしまったから目が腫れてひどいことになってしまっている。こんな顔を見せても心配させてしまうだけなので見送りには行けない。
私は教会に行き、ネーサル様の像の前に立つと、今までと変わらずネーサル様は微笑んでいた。
「ネーサル様のせいでヨカゼさんが旅立ってしまったのです。私、貴方のことがちょっぴり嫌いになってしまいました」
何を言っているんだろうあの時、私も一緒に連れて行ってと言えばよかったのに。
だけど昨日、ヨカゼさんが私を心配して待っていろと言った時、何も言えなくなってしまった。もし私がついていってしまったらあの人は私を守るために必死になるだろう、そして私はあの人の足枷になってしまう。
でも結局は、私に勇気がなかっただけなのだ、それをヨカゼさんのせいにして、ネーサル様のせいにもしてしまっている。自分のことは棚に上げて……。
「私なんかがネーサル様に会う資格あるのかな? 」
思わず自嘲してしまう。昔から良いこと悪いこと全てネーサル様のせいにしてきたツケが回ってきたのだろう。
私は教会から出ると、村の人達が見送る声は聞こえなくなっていた。どうやらあの人はもう行ってしまったようだ。
ヨカゼさんが向かっていった先を眺める。もしかしたら、一年前のあの時のように祈りを捧げたらまた目の前に現れてくれるかもしれない、そう思って私は目をつぶってネーサル様に祈る。
私は祈り続けた、頭の中が擦り切れそうになるくらい。そよ風が私の体を撫でる感覚を感じた後、僅かな期待をこめてゆっくりと目を開けた。
そこには誰もいなかった、まあ当然だ。思わずため息をついてしまう。
「ヨカゼさん、どうか無事に帰ってきてください。私ができることは祈ることくらいです」
私はまだ姿も見たことないし、声も聞いたことない女神様に再び祈り始めた。
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