第5話 自己紹介
「ヨカゼさん、朝ですよ。起きてください」
女の子の声で目が覚める。あれ、俺いつの間に恋愛ゲームの世界に転移したんだっけ。眠い目をこすりながら起きると、エーコが優しい眼差しで俺を見ていた。彼女はボーっとしている俺にパンを手渡してくる。
「そのパンは朝ご飯です、食べたら村の皆さんに挨拶に行きますよ。いいですか、第一印象はとても大事です。丁寧な対応を心がけてください、乱暴な言葉は使ってはいけませんよ」
そんな注意受けたの小学生以来かな、俺は手にしたパンを齧りながら頷く。俺がパンを食べている間、彼女は掃除をしてくれていた。
「準備万端だ。待たせてごめんな」
エーコに声をかけると、彼女は掃除をしていた手を止めてこちらを振り向く。
「大丈夫ですよ、それでは私について来てくださいね」
家を出て彼女についていく。昨日の夜は暗かったので良くわからなかったが、周りには民家と畑くらいしかなく、ここが田舎ということをあらためて実感する。少し歩くと畑で農作業をしていた四十歳くらいの男性に出会った。
「こんにちは、今日も良い朝ですね」
「おお、こんにちは。あれ? そちらの方はどなただい」
男性は俺のことを不思議そうに見る。まあ知り合いの少女が知らない男をつれてたら、当然そうなる。
「この方はヨカゼさん、昨日私が魔物に襲われていたところを助けてもらった命の恩人です」
俺と農家のおっさんは驚きながら彼女の方を見る。頑張って思い出そうとするが彼女を助けた記憶なんてない、俺も異世界に来てついにボケが始まってしまったのだろうか。
「それは本当かい、エーコちゃん」
「ええ、その証拠にこれを見て下さい」
彼女は俺の服を掴んで引っ張り、竜に噛まれた肩の部分を男性に見せる。
「これは凄いな、魔物の歯形がくっきりと残っているじゃないか。しかも、この歯形をみるとそれなりに強力な魔物だろう」
目を細める農家、回復魔法をかけてもらったがまだ歯形の跡は残っていたのか。俺は全然気づいていなかった。
「彼は魔物に襲われていた私の盾になって守ってくれただけでなく、魔法でその魔物を退治してくれたのです」
俺のことをべた褒めする彼女、やめてくれ聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。
「見かけによらずやるな兄ちゃん。女の子の盾になるなんて一度はやってみたいねぇ」
満面の笑みのおっさん。俺は恥ずかしさのあまり顔がにやけ顔になって固まってしまう。
「そのお礼として、彼の肩の傷が治るまで村に滞在してもらいたいと思うのですが」
「この村にかい? 兄ちゃんが良いなら別に文句はないよ」
「しばらくの間お世話になりますが、どうかよろしくお願い致します」
俺は丁寧に礼をした、おっさんはニコニコと笑っている。
「こんな田舎がいいなんて変わってる青年だ。この村の若者はエーコちゃん以外、みんな町の方へ出ていっちまってるっていうのにな」
それは当然だろう、こんな娯楽のない村は若者にとっては地獄に等しい。むしろエーコがこの村に残っている方が不思議だ。
俺はもう一度大きく礼をして男性と別れる。エーコはその様子を見て微笑んでいた。
「よくできましたね、あんな丁寧な言葉が使えるなんてびっくりしちゃいました。てっきり、貴方の世界の人達は乱暴な話し方しかできないのかなと思ってました」
果たして彼女の目にはいったい俺がどんな人物に映っているんだろうか、甚だ疑問である。というか俺のせいで地球の人々が舐められてしまっている、まああんなところどう思われてもいいか。
「エーコも何だよ、さっきのあの嘘は。俺は自分からすすんで竜に喰われただけだぞ」
「それは私の前で良い格好をしたかったからですよね。つまり私のために体を張ってくれたと考えることもできますよ、それなら全くの嘘というわけでもありません」
ニヤリとするエーコ、物は言いようだな。そんな彼女の笑顔を見て恥ずかしくなり、顔を背けると、彼女がくすくすと笑う声が聞こえてきた。
その後も、同じような流れで村の人々への説明を行う、皆からの反応はなかなか良好であり、ある子供なんかは俺のことを勇者様みたいと言ってきた。もう恥ずかしくて家に帰ってベッドの中で叫びたい気分だ。村の人達への紹介が終わると、二人で俺の家に戻ってくる。
「まずは第一ステップ、村の人達に自己紹介するを無事に乗り越えることができました」
パチパチと拍手をする彼女、おいおい随分と低いステップだな。
「次はお勉強の時間ですね。ヨカゼさんは、この世界についてどこまでご存知ですか? 」
「悪いが全く分からないぞ、この世界の名前すら知らない」
「成程です、これは教えがいがありそうですね」
彼女は腕まくりを始める、その目には使命感に燃えていた。
「まず、この世界は【エールス】と呼びます。そしてここから……」
こんな調子で彼女の授業を受ける。勉強が終わった後は、彼女の家で夕飯もご馳走になる。食事の内容は小さなパンと野菜で、味はあまりしないが、一緒に誰かと食事をするというだけで結構嬉しいものがある。
「今更だけど、エーコは聞かないんだな。俺が別の世界から来た理由とその方法」
食べかけのパンを皿においてエーコに聞いてみると、彼女はにっこりと笑って答える。
「自分が住んでいる世界を捨てるなんて、よっぽどのことがあったのですよね。貴方が話したくないのであれば別に言わなくてもいいですよ」
「そうか……」
こんなに優しい彼女になら事実を言っても良いのかもな。本当のことを言ったら少しは気が楽になるかもしれない。
「実は、前の世界では神様に嫌われちゃったみたいで。理由は分からないんだけど」
俺が苦笑いしながら言うと、彼女は呆気にとられたように口をポカンと開けた。
「あー、成程……」
「そこ納得するとこ? 」
うんうんと頷いている彼女に思わず確認をしてしまう。
「だっていきなり神の使徒を名乗って、神の裁きを与えるとか言ってるような人ですからね」
「いやいや、神の使徒を名乗ったのはこの世界に来てからで、前の世界では大人しく過ごしていたんだ」
「ヨカゼさんなら無意識に神様を怒らせてしまった可能性もありますよ」
くすくすと手を口に当てて笑う彼女。無意識に神を怒らせるって何? それ存在すること自体がダメな奴じゃん。
「それで、エールスにはどうやって来たんですか? 」
「世界と世界の間を移動する魔術を使ったんだ。ただ必要な道具はもう手に入らないからもう一回やるのは難しいかな」
「そんなことができるんですか! ヨカゼさんの世界は随分と魔法が発展しているのですね」
「皆ができるわけではない、俺のような変わり者だからできたのかもな」
俺の世界では科学が発展していて、魔法なんてものは物語上の存在だが、今その説明をすると話がややこしくなるので言わないでおく。
「あー、やっぱりヨカゼさんは変わり者だったんですね」
ニコニコしながら明るい声で言うエーコ。俺は喜んでも良いのだろうか。そんな調子で食事と雑談を続けていた。
そして夕飯を食べた終えた後、俺は家に帰って硬いベッドに寝転がって、今日あった出来事を振り返りながら、今後の身の振り方を思考する。
みんな優しい人達だったけどいつまでも甘えているわけにはいかないよな、頃合いを見てこの村から旅立つことも視野に入れておかないと。
肩の傷は一ヶ月もあれば多分治るだろう、それまでの間は村の人達の手伝いでもやろうかな、何もしないで居座るのも居心地が悪いし。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠りについていた。
しかし、俺はエーコや村の人達の優しさにどっぷりとつかってしまい、のんびりと村の住人として過ごしているうちに何と、約一年経過してしまったのだ。
何という意志の弱さであろう。ちなみに一年の長さは地球と同じである、すごい偶然だ。
だって仕方がないだろう。
肩の傷が治ったことを報告した後も、皆はまだここにいて良いと言ってくれて、農夫のおっさんは俺に農業のコツを教えてくれたし、子供達は美味しい木の実の場所を教えてくれたし、エーコは勉強を教えてくれた。
朝に会うと皆、明るく挨拶をしてくれるし、エーコはご飯を一緒に食べながら気軽な雑談をしてくれた。
もし、日本でこんな生活ができていたら異世界転移なんて考えなかっただろうな……。
そんなことを言い訳にしながら、ずるずるとのんびりしたスローライフを送っていたのであった。
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