第3話夢食みさん
声の方向を見上げると一人の背の高い男が立っていた。
黒い大きなハンチング帽を頭に乗せ、黒コートに黒いズボン。ワイシャツと顔の色だけが白い。細い目に薄い唇。肩には二メートルはあろう長い木刀をかついでいた。
「呼んだのは君だね」
再び男は言う。
男にしては高い声だった。
ミキは頷く。
「俺の名は夢食み貘。悪夢を食らう妖怪さ」
そう言い、男は長い足で猿の顔を蹴りあげた。
それは凄まじい力であった。
猿は一気に吹き飛び、玄関の扉にめりこんだ。
強烈な一撃であったものの、倒したわけではなさそうだ。
猿はゆっくりと立ち上がろうとする。
「ここではやりづらいな」
夢食み貘と名乗った男はミキを小脇にひょいと抱えると、部屋の窓の方に駆け出した。
窓を勢いよく開け、外に飛び出した。
外は真っ白で何もない世界だった。
「ここは君の精神世界だ。どこか広い場所を想像してくれないか」
ミキは夢食み貘の言うとおり、広い場所を想像した。
日差しが眩しい。
太陽が照りつける。
砂ぼこりが舞っている。
遠くに見覚えのある校舎が見えた。
そこはミキが通っていた小学校のグラウンドだった。
「いいねぇ」
ニヤリと夢食み貘は笑う。
ミキを地面に下ろす。
男はハンチングをかぶり直し、クセの強い黒髪を中におさめた。
「さて、すぐにあいつが追い付いて来るだろう。その前に聞きたいことがある」
そう言い、パチンと指をならした。
子供の姿であったミキが大人の姿に戻る。
「君を襲った化け物。あれは夢魔だ。人の記憶にとりつき、精神を食らう妖怪だ。やつらは恐怖や嫉妬、憎悪、怒りといった負の感情が大好物なんだ。人の身では到底対抗できない」
コートの内ポケットから煙草をとりだし、口にくわえた。煙草は勝手に火がついた。彼はふうと紫煙をくゆらす。
その煙を見てミキの脳内に過去の記憶が甦る。
あれは小学生低学年のとき。
一人で留守番をしていたミキは見ず知らずの男に襲われた。
当時の彼女は何をされているのかわからなかった。
ただ、痛くて、悔しくて泣くしかできなかった。
口を抑え、必死に吐き気を、我慢するミキに
「俺は夢魔を食らう妖怪だ。俺ならやつを倒すことができる。だが、それは君の記憶ごとやつを食らうということだ。食らったら最後、記憶は二度とよみがえらない。それでもいいのかい」
ときいた。
「いいわ、夢食みさん。食べてしまって。あんなの、思いだしたくない……」
とミキは言った。
「了解した」
病的に白い顔に微笑を浮かべ、夢食み貘は言った。
どすりという着地する音が、校庭に鳴り響いた。
砂煙の中から現れたのはあの黒い大猿であった。
長く赤い舌をたらし、こちらを見ている。
べたべたと涎をたらしている。
突如、舌がのびた。
夢食み貘にそれは高速で襲いかかる。
その舌を夢食み貘は持っていた長大な木刀で受け止めた。
ぐるりと舌は木刀に巻きつく。
「さあ、夢太刀。怖い夢を食らおうか」
そう言い、木刀をなでるとそれは銀色に輝いた。
キラキラと太陽のように眩しい。
軽くふると、舌がぶちりとちぎれた。
どす黒い鮮血がまいちる。
ギイヤァァァ。
耳をおおいたくなるほどのおぞましい悲鳴であった。
猿は地面をのたうちまわっている。
肉片となった舌を拾いあげると、彼は顎の関節がどうなっているかわからないほどの口をあけ、ゴクリと飲み込んだ。
「こいつは旨いな。恐怖と憎しみが熟成された良い味だ」
そう言い、銀色に輝く太刀を振り舞わす。
それは夢魔を滅ぼすことができる数少ない武器の一つで夢太刀と呼ばれるものだ。
舌を切断された大猿は立ち上がる。
両手をあげ、夢食み貘に襲いかかる。
その強靭な腕で握りつぶそうというのだ。
夢食み貘は地面をける。
音よりも早い。
流星のごとき動作。
ほぼ同時に大猿の両手両足を切断した。
流血を撒き散らし、大猿は後方にたおれる。
その毛むくじゃらの体に飛び乗り、夢食み貘は最後に首を切断した。
舞い飛び、落下した首をつかむ。
ポップコーンを口に放り込むようにその首を食べてしまった。
むしゃむしゃごくり。
と咀嚼し飲み込む音。
歯につまった肉片をどこからか取り出した爪楊枝でほじくりながら、夢食み貘はミキに近づいた。
「俺はこれからゆっくりと奴を味わう。君はもう二度と思いだすことはないだろう」
そう言い、くしゃくしゃとミキの頭を撫でた。
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