第2話夢魔

ちいさく肩を揺らされて彼女は目覚めた。

「ちょっとミキ先輩、駅つきましたよ」

そう言うのはミキの職場の後輩百合子であった。

「あ、百合子ごめん」

電車の車内でつい寝入ってしまい、後輩に起こされてしまった。

「最近変ですよ。しっかりしてくださいね」

口をとがらせて叱る百合子の顔をばくぜんと眺めなから

「うん、ありがとう」

と答えた。

「じゃあね、百合子」

ちいさく手を降り、ミキは百合子と別れ、電車を降りた。

「はい、また明日です」

百合子は軽く頭を下げた。

電車の中の百合子を見送った後、ミキは改札口を出て、近所のスーパーで晩御飯を買った。

どうも、足元がふらつき、軽いめまいを覚える。おそらく夜にきっちりと寝ることができないのが、原因だと思われるが、理由がわからない。

昼間、やたらと睡魔に襲われる。

今日も百合子におこしてもらわなければ、寝過ごしていただろう。

どうにか自宅のマンションに帰り、適当な晩御飯をすませ、シャワーを浴びた後、ミキは倒れるようにベッドに横になった。


遠くの方でミィンミィンという蝉の声がする。

ひどく蒸し暑い、薄暗い部屋にミキはいた。

湿り気を帯びた空気が不快だった。

古い畳が足の裏をチクチクと刺激する。

何気なく手のひらを見るとその小ささに驚いた。


まるで子供みたい。


自分の身体に視線をおくると花柄のワンピースが見えた。

懐かしく、見覚えのあるものだ。


小さい時、よく着ていた服だ。


亡くなったお母さんに買ってもらったお気に入り。

ミキはぐるりと部屋のなかを見渡した。


見覚えがある。


子供の頃、母親と二人で暮らしていたアパートだ。古く、独特の匂いがする部屋だった。

なぜ、私はこんなところにいるのだろう。

そう思いながら、母親がよく使っていた鏡台の前にたった。

その鏡台は使わないときは紫色の布がかけられている。

ゆっくりとその布をあげる。

鏡の中に写し出されたのは小学生低学年ぐらいの自分の姿であった。


ひぃっ。


息をのみ、ミキは声をあげた。


わたし、子供になってる。


ガチャガチャ。


ガチャガチャ。


ガチャガチャ。


玄関のところで鈍い金属の音がする。

恐る恐るミキはその音の場所に行った。

金属音がさらに激しさをます。

外に誰かいる。

ゴクリと唾を飲み込んだ。

誰かが外からドアを開けようとしているのだ。

たが、鍵がかかっているのであけることができない。


思い出した。


昨日はここで目が覚めたのだ。


ここは夢の続きなのか。


ドアを開けようとする音は、だんだんと激しさをましていく。

耳をおおいたくなるほど、うるさい。


ガチャガチャ。


ガチャガチャ。


ガチャリ。


ついに、鈍い音をたてながらドアの鍵部分が壊れてしまった。

チェーンロックだけがつながっている。

わずかな隙間ができて、何者かが中をのぞきこんでいる。

白目のない黒目だけの瞳がそこに見えた。

言い様のない恐怖に襲われ、ミキは腰を抜かした。

全身に力が入らない。

黒目だけの瞳にみつめられると、どういうわけか、力が抜けていく。

ドアの隙間からその瞳の持ち主はふしくれだった手を差し入れ、チェーンに指をかけた。

外と中を分けていたチェーンは、いともあっさりとその指によって引きちぎられた。

バラバラと鎖の破片が、床にばらまかれる。

ゆっくりとドアをあけ、そいつは室内に侵入した。

そこに立っているのはどす黒く汚れた強大な猿であった。

黒い瞳でミキをみる。

にやぁと気味の悪い笑みを浮かべた。

長い舌が垂れている。

子供の腕ほどはある太く、長い舌だ。

なまぐさい涎をたらしながら、大猿はミキの細く小さな肩を掴んだ。

抗いきれぬ力で押し倒される。

頭を強くうち、じりじりと痛む。

太い舌がミキの頬をはう。

あまりの臭さに吐き気を覚えた。

臭くてたまらない舌がミキの頬をなでた。べっとりとした粘液のような唾液が頬にへばりつく。

顔をそむけるが、その舌から逃れることはできない。

ついに舌はミキの口の中に侵入した。

無理矢理口を開けさせられ、その舌を受けいれさせられる。


ううっ。


うはぁっ。


おぅっ。


食道の奥までその汚ならしい舌は何度も出たり入ったりを繰り返した。

その度にミキは苦悶の表情を浮かべ、嗚咽を繰り返した。

涙を流し、両手で舌をつかみ、引き抜こうとするがそれは完全に無駄な行為であった。

いっそのこと意識がなくなればいいのにと思ったがそうはならない。

意識だけははっきりしていて、苦痛だけがつづく。

数分後にようやく解放された。

大量の唾液とともにミキは息を吐き出した。

ゲホゲホと何度も咳き込む。

今度はあろうことか股間の当たりを舌はまさぐり出した。

べたべたとした粘液が太もものあたりにへばりつく。

首をふり、必死に逃げようとするが、その度に猿の強靭な力によって押さえつけられる。


その時、ミキは思い出した。

母親が夜中に怖い夢を見て、起きてしまったときによくきかせてくれたおまじないを。

「夢食みさん、夢食みさん、夢食みさんお願いです。怖い夢を食べてください……」

藁にもすがる気持ちでミキは言った。

「やあ、呼んだのはきみかい」

場違いなほど明るい男の声が室内に響いた。








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