#33 休日の赤(行動様式について)
ベッドから起き上がったメタはまず身体を拭う。身体を拭い、髪や顔が汚れていればシャワーを浴びる。そうでなければ置いてあった服を着て、手と顔を洗いに行く。置いてあった服に汚れを見つけた場合は、替えの服を出して同じ事をする。そうして洗面所から戻ってきたら、椅子に座って本を読んだり、自分の靴や銃の様子などを確かめたりする。時には汚れて古びたハンカチを出してきて、造り付けの銃のネジを外して分解洗浄をしたり、弾薬の残りを数えたりもする。それに飽きたら布巾を出してきて机を拭いたり、私物のタンスの、引き出しの掃除などをしたりする。
それが部屋に一人でいるときのメタの主な行動だった。メタは体内に格納されている銃を整備する際、けしていちどきにはバラさない。一つ解体したら、それを元に戻すまで、次には絶対に手を付けない。それがメタのルールだった。これが破られたことは一度だってない。細かなパーツを洗浄液に浸けている間、メタは接続部へと手を回し、煤を拭き取ったりグリースを挿したりしている。洗浄が終わったら元のように乾燥させて、最初に填まっていたとおりの位置に組み戻す。そうして全てを元に戻して違和感なく『展開』できるのを確かめた後、ようやく『次』の整備に入る。メタの手は器用にまわり、いくつもある砲身を一つずつ直していく。時間の掛かる解体・洗浄を、ゆっくり、しかし着実に進めていく。赤く光るメタの瞳は、光の入らない部分の作業にも具合が良いようであった。部屋にカチカチと金物の擦れる音が鳴る。何度もやったパズルの答えをなぞるように淀みなく手は動く。埃を払い、油を拭い、煤だらけになったハンカチに、ネジやパーツが残っていないことを念入りに確認してから、メタは最後にそれをゴミ箱へと入れた。
こういう時間の、メタの暇つぶしともいえる行動は多岐にわたる。清掃や機械の整備以外は書き物か縫い物が多かった。アンティークのラジオから蓋を外して中を覗いたり、丸くなった鉛筆を削ったり、削りかすを捨てたり、雑誌のクロスワードパズルを解いたりする。他にと言えば、いつも付けている手袋の手入れをしたり、ハンカチのほつれを縫ったり、刺繍をしたり、白衣の取れかけた金具を直したり、はたまた上着の袖のしみ抜きをしたり。パッチワークのクロスを作ったりということもあった。気が向いたときには、メタは普段履いている靴の縫い目を補強したりもした。そういうとき机の引き出しからは靴を縫うための太い針が麻糸とともに出てきて、生活感のない机の上へと整然と並べられた。中指には指貫がはめられ、長く黒い指は通常の裁縫用のものと比べて格段に扱いづらいそれをつまんで器用に操る。蝋引きされた紐に似た、麻製の特殊な糸は、メタの手の中でぎゅっと固定される。そうして靴は直される。メタは磁石を持ってきて、針がきちんと抜けていることだけを確かめると、直した靴をそのまま履いた。使い終わった針達は元のように仕舞われて、卓上には元の静寂が戻った。
時計はまわり、静かな時間が過ぎる。メタは検分していたペンのキャップを締め直し、手袋を替えた。しゅるり、と立った衣擦れの音。装飾の少ない万年筆がペン立てへと戻される音。指先のそろえられた手袋が机に乗せられる柔らかな音。それ以外には物音一つしない。静かすぎるほど静かだった。静寂に沈む室内は、蛍光灯の立てるきぃんとした耳鳴りさえ聞こえない。メタは引き出しからガラスの置物を取り出してクロスで磨きはじめた。俯くように座るメタは押し黙って、クロスの下でぼんやり光る薄緑の鉢を眺めている。
ガラスの鉢は僅かな光を放つ。黒い指が縦方向に線を引くのがゾートロープを思わせた。幕が下りたような沈黙は、先の連想から映画館を思わせる。消灯を過ぎた研究所は真っ暗で、今は誰もが眠っている時間だ。例外はメタとアズールくらいのものだろう。アズールはベッドの中から薄目を開けてメタを見ていた。つややかなガラスを覗き込むメタの目が薄く光を反射して、幻想的な雰囲気を醸し出していた。柔らかな赤と緑のコントラストに、きれいだな、とアズールは思った。磨き終わったらしいメタが引き出しの方を向いたことで二つの光は消え失せ、部屋は元の闇に包まれる。夜の静寂は心地よい。アズールは目をつむる。きっともうすぐ朝が来る。アズールは意識を緩やかに沈めていった。深夜特有のゆったりとした冷たい空気は、夜明けの軽やかで瑞々しいものへと移り変わっていく。きっともうあと一時間もすればいつも通りの朝がやってきて、自分の寝汚さに我慢がならなくなったメタが、いつまで寝ている気だ、と叫んでアズールをたたき起こしてくるのであろうなと思われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます