#32 蒸気の白(過ぎ去りし過去について)

部屋に戻ったアズールは机の上に揃っている弾薬の箱が空になっているのを見つけた。そこには空箱の他に、白紙の申請書と、『後は頼む』とだけ描かれたメモが置かれていた。この異様に整った印刷物のような字はメタの肉筆だろう。それを見て、ああ、なるほど、と思う。弾薬横領の隠蔽を成すための偽装。そしてその書類作成。アズールはメタが自分の元を訪れた理由にようやく思い至った。


部屋に置いてあった『弾薬』は全て持ち去られている。おそらくは前の『外出』で使いすぎたのだろうな、とアズールは類推する。メタが弾薬を欲しがるときは大体これだ。もしくはそれ以外か。外出からしばらく期間が空いているし、それも考えられなくはない。メタはいつでも予備の弾薬を切らさないようにしている。いくらクローン製造禁止法が施行されたとはいえ、脱法クローンが送り込まれるのは今でも『それなりに』あることだ。研究所への襲撃、防衛。外で起こる何らかへの報復。のっぴきならない事態への対処。様々なロケーションで、メタは選択肢の一つとして『銃』を使う。身体に組み込まれた一体型の機構は大がかりな予備動作を必要としない。流麗な動きで手袋の外された手がひらめく。そうやって、一切のためらいのない訓練された射撃の腕に、アズールも何度か命を救われている。弾薬は命綱たり得る。だから、アズールは備品の数をごまかして有事の備えとして持っておくし、メタもそれを表立っては咎めない。ああしてメタのように銃が使えたらきっともっと便利だろうにな、と思わないでもなかったが、アズールは銃の携帯・発砲許可を受けていないし、おそらく申請してもこの先永遠に受理されることはない。アズールの持つ社会的な咎というのはそういう類いのものだ。アズールは紙をつまみ上げ、筆記の場所をあけるために箱を退かし、崩れかけた書類の山を積み直していった。


メタは時折、私的な用途に弾薬を使うことがある。攻撃的な意図を持って人や物に弾を撃ち込むのではない。銃を使用した際の『銃からの』排熱はメタの体温を即座に上げるので、それをなにか別のことへと使うのだ。アズールは昔のことを思い出す。夜間、ボイラーが動かなかったときに、メタへ湯をねだって怒られた事もあった。かっとなって怒鳴りつけてくるメタは、さながら瞬間湯沸かし器のようだ、と思う。あのときは確か、ボトルの水と即席麺を差し出したアズールへ、怒りの表明としてメタは銃口を向けたのだった。あるいは銃口を向けたのではなかったかも知れない。ともかく何らかの物理暴力かそれの示唆によってメタはアズールを退けた。それだけは確かだ。二度とするな、と言われたのでそれからはしていない。いなかったはずだ。おそらく。多分。アズールは開いたスペースに申請書の紙を広げ、ペンにインクをさした。ぼんやり浮かんでは消えていく思い出に、ああ、そんなこともあったな、と思いながらペンを走らせる。途中インクがにじみ、指先を青く染めた。


怒りの表明、もしくは牽制のために、時折メタは『殴るぞ』と言う。銃を出していもいなくても、メタは武力に頼ろうとするようなところがあった。武力行使は肉体的な力がものを言う。これは『外』では男性に課せられる役割であった、はずだ。つまるところが『男らしい』。男らしいというのはどういうことなんだろうな、とアズールは少し考える。『それ』がある人を伴侶に選びたい、と人は言う。一般的なS型第二世代の中においては比較的外交的な人間だとはいえ、外の作法や不文律は曖昧でわかりづらい。慣例的にそういうものなのだという知識はあっても、アズール自身には実感として理解の及ばない類いの事柄だった。


力が強いというのは良いことだ。それはすなわち肉体の健全性の指標でもある。そういった意味では、メタは褒められるべき性質を持ち合わせているのだといえるのかも知れない。ただ、殴られるのは嫌だな、とアズールは思う。何より痛い。実際に手を出す前に宣言をするのがメタの優しさなのだろうか。伴侶選びは優しさというのも評価の対象であったな、と思い出す。確かに自由恋愛市場においては身体を損なうような相手はリスクばかりが大きいだろうな、と思う。いつだったかメタは異性にも好かれやすいのだと風の噂で聞いたことがある。性的魅力。個体を繁殖につなげていくためのアピールポイント。S型的でない、数値で表れない類いの評価項目。S型第二世代である自分にはわからないことが多い。こと、外の文脈においては、自分が感じているよりもメタはすごい人なのかもしないな、とアズールは思った。このあたりは引き続き考察の余地がある。


アズールはペンを置き、息を吐く。書類の端まで埋める頃には指先は完全に色を変えていた。途中、額を触ってしまったのでおそらく顔にもついていることだろう。こうもインクが漏れるのはペン先が開いてきているのか。ブロッターの吸い取り紙を替えながら、近いうちにどうにかしなければな、と考える。引き出しをさぐって小さな鏡を取り出せば、頬に青く擦った跡があった。あと、なぜか右の耳たぶにもインクがついていた。アズールは顔をしかめ、半ば面倒に思いながら、風呂に入る算段を立てた。思えば、湯船に『間違えて』水を張った際に、試験場帰りのメタに加熱を頼んだこともあった。この手のお願いを断りがちなメタにしては珍しく、嫌な顔の一つもせずに承諾してくれたが、メタの熱を移した湯は沸騰してしまい、湯船が釜のようになってしまったがために計画は頓挫した。埋めればなんとかなるのでは、との意見もないではなかったが、埋めるにはいささか量があり、そもそもうすめたとしても硝煙くさくて使えたものではなかった。爪の間に溜まったインクを眺めながら、あればかりはどうにもならないんだよな、と思った。フィルターがある関係で体内を通過した水に異物が混じることはあまりないが、それを求めるとメタは烈火のごとく怒り、手が付けられなくなる。まったくもってどうしようもない。

立ち上がったアズールは風呂場に向かいながら、そこでふと、メタにシャンプーハットを切る相談をしに行こうとしていたことを思い出した。

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