#30 氷菓子の白(ポケットの中の弾丸について)

それまで何の話をしていたのだったか。眠気に揺れる意識はゆるゆると浮き沈みを繰り返す。いくらかのやりとりの中で、夏が嫌いだ、とメタは言った。照りつける太陽光も、むっとするような熱さも、他人の汗も、薄着で外に出る人間も何もかもが気に入らない、とメタは言う。ぼんやり暗いシルエットを薄目を開けて眺めながら、そうだろうな、とアズールは思う。メタは自身の身体が熱を持つことを過剰に恐れる。深部温度が上がることを異常に怖がる。逃げ場の無い炎天下に飛び出すのは耐えがたい苦行だろう。身体を冷やそうにもアイスクリームを食べることはできず、夏の名物とばかりに安売りされる炭酸飲料を飲むことも叶わない。メタの身体ではクリームソーダを飲むことができない。その点に関しては同情の余地があるな、とアズールは思う。アズールは舌を潤す脂肪分を思い出す。不透明な白、とろっとした舌触り、冷たさを鈍らせる甘みに、再凍結のさりさりとした食味が加わって、渇きと高温に萎えつつある夏の身体を喜ばせた。パチパチとはじける炭酸の刺激とさわやかな花の香味が舌を洗い、法悦をますます盛立てる。あれが十全に感じられないのは、なるほど損失に違いない。


寝転がったままあくびをする。何か食べたいな、とアズールは思った。昨日はここに来るために、アズールは食事の一切を摂らなかった。寝台に横たわって雨のように落とされる享楽を広げた身体で受けるのはアズールにある種の清涼感と心地よい眠りをもたらすが、当然それとは別に腹は減る。食事をしないというのならなおさらだ。こんなときは飴が良い、とアズールは思った。袋いっぱいの甘い粒。舌を潤すねろりとしたテクスチュア。『後』のことを考えなくて良い手軽さも魅力的だった。想起されるミルクの芳香に喉が鳴る。

いつの間にか閉じていた目をぼんやりと開ければ、さっきまで言葉を交わしていたはずのメタは座ってむこうを向いていた。もしくは最初から目を合わせずに話していたのか。どちらでも良いことだ。寝転がっていたアズールに知る由も無い。それよりも、自分がこうしてここにいるのに、こんな風に黙っているのは珍しいな、と思う。眠っているのだろうか。それだって珍しいことには違いないが、文句を言われなのならそれでいい。アズールは頭を擦り付けるように寝返りを打った。首元に服の襟がまとわりついて鬱陶しかった。


顔に垂れる髪の匂いを嗅ぎながら、腹が減ったな、と思う。アズールは乳脂肪の多いタイプの氷菓を好むが、数ある氷菓子の中で、メタが食べられるのはかき氷だけだ。それも、掻いた氷を器に盛っただけの、味も何もついていない正真正銘のかき氷。それをメタはサクサクと崩す。几帳面な食べ方をする、というのがメタの『まともな』食事を初めて見たアズールの感想だった。人前で成される、『接待』のための食べ方とは違う。品良く、丁寧で、しかし自分から求めて食べるやり方。大きな山の手元を崩し、匙の先で丸く集めてからすくい上げて口へ持って行く手つきを覚えている。あれはいつのことだったか。去年か、おととしか、その前か。それでも確か夏だった。この先また見る機会はあるのだろうか、とふと思う。


夏が嫌いとメタは言う。アズールは季節に頓着しない。研究所内は暑くも寒くもなく、アズール自身、気温の寒暖に左右されにくい身体を持っている。夏が嫌い。暑いのが苦手。では寒いのは? そこでふと、いってみれば逆の、冬が好きだという話も聞いたことが無いな、と気がついた。まあ、それもそうか、と思う。メタの格好は通年同じ半端な丈の白衣だ。排熱のために誂えられた格好は冬の過剰なまでの防寒具の中では少しばかり目立つのだろう。難儀なものだ。アズールは眠気の残る頭でそんなことを考えていた。

扉を開ける音がする。光が差し込んできて、アズールの意識を少し引き戻した。首を動かして部屋のなかに目をやれば、メタが座っていたはずのそこには誰もいなかった。だから、アズールはメタが音もなく立ち上がって挨拶もせず出て行ったのだとわかった。アズールはゆっくり起き上がり、部屋をもういちどゆっくり見回す。見慣れたはずの室内にはどこか違和感があった。くっつく目をこすり開け、じっと目をこらす。そこでアズールはようやく目を覚ました。あるべき場所にタンスがない。よく見れば椅子の位置も扉の位置も何もかもが違う。よくよく見慣れた室内は、メタの私室ではない。着ている服を確かめてみれば、襟のボタンは二つ外され、ネクタイは畳んで机の上に置かれていた。机の上には書類の山が雑多に積み上げられている。ここは自分の部屋だ、とアズールは思った。そうしてぼんやりしたまま、アズールは昨夜自分がメタの元を訪れないまま眠りについたことを思い出した。


来るだけ来て何もしないまま帰って行ったメタに、一体何をしに来たんだ、と思うものの、当のメタはもうここにはいない。そういえば最初になにか聞かれたような気もしたが、それもよく思い出せなかった。腹が減ったな、と思う。アズールは伸びをして、まずは着替えて食事をすることにした。

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