追想の青

#N 透明の青(いつかどこかの始まりについて)

小さい頃のことはよく覚えていない。あるいは思い出す必要もないようなことだったのか。私が私になったのはいつの時だっただろう。『私たち』は皆同じように学校に入れられて同じように育てられる。みなと違う挙動をすることはない。『私たち』はいつまでも『私たち』で、能力は程度の差こそあれど平均値から大きく外れることはない。それは水に例えられた。自己という薄皮に包まれながらもひたひたと温度を分かつ『集団』は均質で、そこに濃度のグラデーションがあるとしても、総体としての『私たち』に断絶は存在しない。私たちは一つだった。水の一滴は樽いっぱいに溶け合っている。それが道理だ。そのはずだった。

私だけが違った。私だけが特別だった。私だけが奪われた。未来を。過去を。輝く青に変わるはずだった幼い黒の髪が色を変えることはない。背が伸びれど、髪が伸びれど、薄い胸は薄いまま。私は二次性徴を迎えないまま大人といえる年になってしまった。


あるいは、大人になれないまま時を止めてしまったのか。S型第二世代は偉大なる実験場だ。その名を背負って生まれる者の姿かたちはよく似ている。それが道理だった。『違う』のだと気が付いたのはいつだろう。私たちはみな、同じ神によって生み出されたS型の子供だった。

第二世代は皆が皆兄弟。親も子もなく皆が『きょうだい』であるというその意味を知ったのは体の異変に気づいてわりあいすぐのことだったように思う。S型は全員が『第二世代』だ。第一世代(親世代)はもういない。遺伝子は拡散しきって『オリジナル』は影もない。私たちは交配する。薄まった血を掛け合わせ、決まった配列の中で少しずつ違うバリエーションを作る。作り続ける。この世にもういない親世代の再現がなされるまで延々とそのサイクルは回される。第一世代のための礎。それが、それこそが、S型第二世代がこの世に生まれた理由だった。


私の抱え持った体は、繰り返し繰り返し生まれ死んだS型第二世代の中で、ほかの誰よりも元型に近かったのだと聞いた。それが本当だったのか、私に知るすべはない。拒否することもできないまま、慣れ親しんだ体を少しずつ融通させられるこの状況だけが証拠だった。まずは手足、次に体。首を開いて、腹を裂いて、顔をなくして。あのランプの付いた白いベッドに寝転がるたび、私は少しずつ減っていった。

細い体躯は置換された重い臓器を持て余し、弱い構造部を支えるため体はまた重くなっていく。自慢だった長い髪も、甘く匂った体臭も、ピカピカに磨いていた爪だってもうない。ずっと腹の中にしまわれていた内臓は捨てられ、新しいものが詰められた。黒曜石みたいな髪もサファイアの瞳も大理石のようだといわれていた肌も失って、私へ本当の最後に残ったのは脳だけだった。何の因果か、私を私と規定する存在の全てを失ったというのに、手元には私という意識だけが残った。それはわずかな幸運だったのかもしれない。もしくはこれ以上ないほどの不運だったのかもしれない。

切り離された私の体は手の届かないところへ行ってしまった。『あれ』は確かに私であったのに。分かちがたく結びついていた二つは無情にも分かたれた。規定は意味をなさない。測るための絶対的尺度はここにはない。遠くへ離れもう帰ることはない。慣れ親しんだ私を作る外郭は、脳も神経も名前も、身分さえ、新しいものへ替えられて、確かに私であったはずのそれは、別のものになり果てた。

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