生命の青

#7 ラクトフェリンの赤(飴について)

「機嫌良さそうだな。どうしたんだ、モルフォ。アズールに何か用か?」

「あ、メタ! ごきげ、ご、ごきげんよう!」

つっかえながら言い慣れない挨拶をしたモルフォは、メタの周りをぐるっとまわってから目の前に立ち止まる。そうして、楽しそうな様子のまま、メタへ不可解な提案をした。

「一緒にミルクキャンディ当てゲームしない?」

「ミルクキャンディ……なんだって?」

にっと笑ったモルフォは手をぱたぱたと動かして背伸びをした。『耳を貸せ』のジェスチャーだ。なんだなんだと思いつつ、メタは体を傾げて、モルフォの背が届くようにしゃがんでやった。

「ね、そこにアズールがいるでしょ。わーって走っていって、ミルクキャンディがどのポケットに入ってるか当てるの」

「うん? そう、そうか……」

そうか、とは言ったもののメタにはいまいち理解ができない。首をかしげつつ曖昧に頷くメタへ、見てて、お手本を見せてあげる、と言うや否やモルフォは駆け出し、止める暇も無くアズールへ突っ込んでいった。

「アズール! ここでしょ!」

モルフォは白衣に飛びついて、膨らんだ胸ポケットをぱたぱたと叩いた。アズールは鷹揚に笑う。

「ざんねんだったね、これはいちごドロップだよ。ほらごらん、三角形だ」

「ええー」

不満そうな声を上げるモルフォへアズールはいちご味の飴を摘まんだまま『いいかい』と言った。

「そんなこと言うもんじゃないよ。この飴をポケットにしまって……じゃじゃーん」

アズールがポケットに入れていた手を取り出すと、軽く曲げられた指の隙間の全てにミルクキャンディの包みが挟まっていた。見ていたモルフォから歓声が上がる。メタは怪訝な、あるいは困ったような様子でそちらへ近づいた。

「なんなんだ、手品か? 一体ここでなにが行われているんだ?」

「楽しい午後のお楽しみタイムだよ。さあモルフォ、三つあげよう。大事に食べるんだよ」

「わーい、やったあ。メタにもいっこあげる」

なかよしだから、とモルフォは言った。メタは小さな飴をつまみ、躊躇いがちに受け取った。急に示された友愛の証にメタは惑う。たどたどしくも礼を言えば、モルフォは嬉しそうに笑った。

小さな飴は手の中で転がる。食べる事もしまうこともせず、じっと手の中を見ているメタをモルフォは不思議そうに見た。

「どうしたの? メタ、ミルクキャンディはきらい?」

「いや…… 別段嫌いではないが、その…… なんだ、普段あまり食べないから……」

言葉に詰まり、もごもごと濁す。モルフォ相手だとどうも調子が狂うな、とメタは思う。

「どうしてあんまり食べないの? メタの分、アズールにとられたの?」

予想外の発言が飛び出して、メタはまた返事に詰まる。彼女の中で自分たちの力関係はどうなっているのだろうな、と感じつつ、メタは急いで返す言葉を探した。

「そういうわけじゃない、俺には食べる習慣がないってだけだ。……モルフォはなぜそう思ったんだ?」

「うーんと、食べ過ぎだって前にいってたから、メタの分も食べてたのかと思って」

「ああ、なるほどな…… ここにある飴は全部アズのものだ。最初から」

きょとんとした顔をしたモルフォは、そっか、と言って少し考え、メタの手に自分の手からイチゴの飴を一つ足した。メタはモルフォの気遣いに礼を言いつつ、言い方を間違えたな、と思った。



モルフォが行った後、メタはアズールを呼び寄せた。

「どうかしたのかい。追加の仕事なら受けないよ」

違う、と半ば反射的にメタは言った。アズールはきょとんとした表情のまま首をかしげた。だったら何だ、と言わんばかりだ。

「仕事を頼みたいわけじゃない。少し聞きたいんだが、さっきのあれは、その、情操教育の一環ってくくりで良いのか? ああ、いや、文句が言いたいわけじゃない。俺は子供の世話については良くわからないし、教育者としての監督責任はアズールにある」

自分が何を言おうとしているのかを見失って、メタは言葉を切った。合ってるよ、それでそれで、と言ってアズールは続きを促す。だから、ええと、とメタは続けた。

「そちらが良いというなら俺は何も言うつもりはないんだ。あなたの手腕は知っているし、俺は所詮門外漢だ。……だから、俺が言いたいのは、つまり」

つまり、の先が出てこない。言うことくらい纏めてから話しかければ良かった、と今更悔やむ。しかし、門外漢、門外漢だ。言うに事欠いて随分自嘲的なことを言ったな、とメタは思った。モルフォをアズールの無関心から守ってやると誓ったのに。家庭の教育に他人が口を挟むべきではないというのはわかっている。それでも、親(アズール)が子に害をなすことがあるとしたなら、良識ある大人としてそれを除けてやる義務があると思った。だから、そのために、自分にできることをやるつもりで来たのだ。この男に声をかけて、何か気の利いたことでも言って、欠点があれば指摘をして、それから、それから。

「ははあわかったぞ。なるほど、メタ、きみ、ああいうスキンシップには馴染みがないかい。なさそうだね。しかし光栄だよ、君に褒められるとは」

話の趣旨に思い当たったのか、黙ってしまったメタに代わってアズールは話を引き継いだ。褒めてない、と言おうとしたが、うまく言葉にならなかった。代わりに、メタは必要なことを口にする。

「……その、なんだ。モルフォの教育のことで、あなたの決定に口を出すつもりはないが、なにか……必要があれば隣人としてのサポートはしようと言いに来たんだ。あなたが自身の行いによって破滅するのは勝手だが、そのしわ寄せが子供にいくのは避けたい。そんなのは、良くないからだ」

ああ、うまく言えた、と思った。絡まる舌をこれ以上もつれさせなくて良いことの安堵に、メタは胸をなで下ろす。

「そうか、助かるよ」

メタの言葉を受け、アズールは少し、嬉しそうにしたようだった。メタは苦い気持ちになり、内心舌打ちをする。ろくでなしのくせに、こうして人並みの感情を見せてくるところが嫌いだった。最悪の事態に陥った時、メタはアズールからモルフォを取り上げるつもりでいた。そのつもりで声をかけた。アズールはひどい男だ。それなのに、アズールは自身が孤立無援でなくなったことを喜ぶように淡い安堵の表情を浮かべている。

不安だったのだろうな、とメタは急に理解した。してしまった。研究所にこもって他人に疎まれながら仕事ばかりをしていたところに、急に子供を庇護しろなどと。わかってしまったことが悔しかった。人間のふりをするのはやめろと言うつもりであったのに。

怒鳴りつけてやりたいような気持ちのままメタは言葉を詰まらせた。こんな言葉一つでほっとする心がありながらなんで殺すんだと言いたかった。仕方ないのはわかっていた。それでも、通常、親は子を守るものだ。責任を果たせ、と言ってやりたかった。胸をひっかく激情はひとつだって言葉にはならなくて、結局澱のようなやるせなさだけが心に残った。

「……そうだ、これを返しておこう。俺は食べない」

重い心から目をそらすようにして、メタは手の中で転がしていた飴を差し出した。アズールは少しびっくりしたように遮った。

「これさっき君がモルフォから貰ったやつだろ? 僕の口に入ってもモルフォは喜ばないんじゃないかな。素直に貰っときなよ、君にって言ってくれたんだろ?」

メタは、道理の通らない人間から道理を説かれると頭にくるな、と思い、実際そのままを口にした。無意識に発された言葉にアズールは驚いてメタを見たが、手の中の飴を見ていたメタは気がつかなかった。

「そうか、まあ、そうか。確かにな」

包みをハンカチにくるみ、ポケットに入れると、メタは話を終わらせた。そうしてそのまま部屋に戻り、メタは丸めたハンカチを引き出しの中に放り込んだ。

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