#36 死体喰らいの青(解答について)

「やばいやばい、死んじゃう死んじゃう」

メタの影に巧妙に隠れつつ、アズールは先へと走る。どこか呑気さを感じさせる声に、メタは苛立つ。さっきも思ったが、人を盾にするのにためらいがない。大きな動きで走り回りながら射線をよける技能はいっそ芸術的ですらある。跳弾に足を止めたメタは、振り返って射手の頭を打ち抜く。ぱっと赤が散った。

「今回いつもよりまずいんじゃない? 滅茶苦茶狙われてるじゃんか、命の危機だよ」

「そう言いながら俺を弾除けにするんじゃない! 砲台付きの盾だと思って貰っちゃ困るぞ」

「いや、きみは当たっても死なないだろ!? 僕は死ぬんだよ!」

ごもっともだ、と思う。思うものの。

「自業自得だろ! 諦めて冥土へ行け!」

「嫌だ! モルフォを嫁にやるまでは安心して死ねない!」

「世迷い言を! まだ言っていたのか!」

短い白衣の裾をはためかせ、メタは華麗に蹴りを繰り出した。アズールは無事逃げおおせたようだった。メタは息を吐いた。もう残弾が無い。砲台から自立盾に退化したな、とメタは思う。いや、もう庇わねばならない人間はここにはいないのか。鉄クズだな、とメタは思い、その発想に至った自分の心を嘲った。

「畜生め、これはやりたくなかったんだが」

脇をすり抜けて後ろをとり、身体を擦り付けるようにギリギリと締め上げる。口をこじ開け、腕の排気口をあてがった。そしてそのままハッチを開く。くぐもった、しかし鋭い悲鳴と、抵抗。気持ちが悪い、と思う。いくらクローンといえども生き物だ。『仲間』の悲鳴は士気を大きく削ぐだろう。メタは三秒待ってから息を吐き、これ以上苦しむことのないようにそのまま首を折った。



破られた扉を越える。こじ開けられた痕跡を見た瞬間から悪い予感はしていた。見慣れていたはずの倉庫。アズールの庭は今、見る影もないほどに荒らされている。それはまるで嵐が通っていったようだった。アズールはためらわず中へ踏み込む。

「あっ……」

広い倉庫の奥、濡れた床と散らばったものを見てアズールは青ざめた。ラベルの張られていない瓶が割れ、中身が飛び散っている。でも、この瓶は、この容器は。総のついた布には見覚えが。ここはアズールの庭だ。研究員アズールの身体の一部だ。間違えるはずも無い。背後から足音がして、アズールはびくりと震えた。指が知らずポケットの中を探る。

「随分と荒らされたな。これ、誰の脳だったんだ…… 重要なものか?」

足音の主は追いついてきたメタだった。アズールは探り当てた注射器から指を離した。顔は青く血の気の引いたままで、脳はめまいに揺れいていたが、それでも、この惨状を目にして驚きこそすれ、気のない態度を崩さないメタに僅かな反感を覚えた。

「……ここに大事じゃないものが一つでもあると思っているのか。……ああでも、ラベルがない。待ってくれ、悪い、参照しないとちょっとわからない……」

少しいつもの調子を取り戻しかけたアズールも、割れ砕けた瓶を目にしてまた元のようになる。どうして良いかわからないとでも言うようにおろおろと見回し、アズールは首を振った。とにもかくにもかき集めようと、ふらふら引き寄せられてしゃがもうとするアズールを、メタはとっさに掴んで止めた。

「諦めろ、ここまで崩れたらもう戻らない。それに……誰のかわからないなんて嘘だろう。あなたが自分の管轄のものを全部余すところなく把握しているのは知っている。誰が処分して、誰が加工したかまでの詳細を記憶しているのはわかっている。たとえそうでなくても記録は残してあるはずだ。ラベルが無いのはあなたが『そう』したからだろう。どうして隠そうとする? いや、わかりきったことだ。……それで、これは誰の脳だ。言えないような人間のものなのか。また、誰か殺したのか? 俺がいない間に……誓いを破ってまで?」

怒りと失望がないまぜになったような表情で、メタは言った。アズールは再び首を振った。

「ち、違……」

「誰のだ、言え」

責めるような瞳に、ごくり、と喉が鳴る。アズールは怯えるような目をむけ、口を開いた。

「メ、メタ、きみのだ……きみの、脳だ」

アズールの告白にメタは驚き、あっけにとられたような顔をした。

「呆れた。捨ててなかったのか」



「この際だから俺の秘密を教えてやろう。あなたが俺の脳を保存していたことで何が起こったのかもだ」

倉庫を後にし、早足で駆けながらメタは言葉を探す。

「俺は体を狙われていたんだ。いや、あなたの思うような意味じゃない。俺が狙われていたのは『体のマテリアルそのもの』だ。早い話、この肉体の塩基配列には価値があった。それこそ途方もない価値だ。値段の付けられないほどのな」

意を決したようにメタは呟いた。

「本人かの確認を、あいつらは遺伝子情報で見る。当然か。価値があるのはそれそのものだ。……一体どこから漏れたんだろうな。ともかく俺は狙われていた。身体のひとかけにいたるまでが、略取の対象となった。……脳をチップに替えたのもその対策のためだ。いや、もちろんそれだけじゃない。この体と脳は相性が悪いのは知ってのとおりで、その対策という側面も当然あった」

それに限っては今言ったのが八割だ、と言ってから、メタはそこでいったん言葉を切った。

「……しかし脳が残っていたとはな、燃やしたと思っていたが、あなたが回収していたとは。一体どうやったんだ? いや、まて、やっぱり聞きたくない……」

「す、すまない……」

言いかけたアズールははっとして目を見開いた。

「待て、メタ。今、遺伝子って言ったな? 身体のマテリアルそのものに価値が? それがこの研究所と紐付けられている?」

アズールはメタの腕を掴んで引っ張った。メタがよろめき、たたらを踏む。

「危ないな、何をする……アズ、待て、どこへ行く!」

「説明は後だ、良いから来てくれ! モルフォが危ない!」



白いタイルの床。濡れたような艶やかな黒髪。幼さの残る青い目が暗闇の中爛々と輝き、二人を射抜いた。

「お父様」

口が動き、パン、と鳴る破裂音と共に赤が散る。

「モルフォ!」

駆け出そうとしたアズールの髪の数本が蒸発した。モルフォを狙った狙撃主を床の染みに変え、メタは構えた砲身を降ろした。

「どういうことなんだ、アズ。モルフォはあなたの娘なんじゃなかったのか? なぜ彼女が狙われる?」

「……騙して悪かった、モルフォは、メタ、きみの子だ。クローンなんだ、あの子は。その、そのはずだ」

力なくつぶやき、今度こそアズールはモルフォに駆け寄った。メタは人目も憚らず、チッと舌打ちをした。

「よりによって俺のか! なんて事をしてくれたんだ」



「動いちゃだめだ。モルフォ、今鎮痛剤を……」

床に倒れて動かないモルフォのそばに跪いて、顔を汚すギラギラした赤色を白衣で拭った。アズールは自分の手が震えていることにその時初めて気がついた。震える手を強いて注射器を組み立てる。何人もの同族を殺してきた手は難無く使命を全うする。アズールもこのときばかりは少し、無意識に習慣づいたそれを恐ろしく思った。

「……知っている、知っているわ。わかったの。カミサマを作ろうとしたの、青色に溶け、混ざり合ったカミサマを再構成する。S型第二世代は大いなる実験場だった。知っているわ。そして、残念ながらわたしはここまで。第一世代は生まれない。カミサマは不完全なまま」

青い眼を見開き、小さな口でモルフォは憑りつかれたように言った。アズールは注射器を持つ手を止めた。

「モルフォ……?」

「S型第二世代。無作為の組み合わせが、いつか意味を持つものになる。それはきっと今じゃ無い。でも。いつか、いつか必ず『そのとき』が来る」

「何を言っているんだ、モルフォ、モルフォ!」

「きっと忘れないで」

モルフォは言い、目を閉じた。アズールは注射器を取り落した。いつの間にか傍に立っていたメタはしゃがみこみ、落ち着かせるように言った。

「……アズ、治療を」

「わ、わかってる。生き返らせるのは得意じゃない。こんなことなら蘇生の訓練をしておくんだった。練習、練習しておけば良かった。機会はたくさんあったのに」

「……物騒なことを言うな、そういうのはもう止めるって誓っただろ。打たれたのは夜光のペイント弾だ。こぼれているのは血液じゃない。今あなたが動揺してどうする。脳震盪だろう、死にはしない」

うん、うん、と上の空で頷くアズールに布を取ってこさせ、メタはモルフォの身体を包んでベッドまで運んだ。白いタオルに巻かれ、かかえられたモルフォを見てアズールはぼろぼろ涙をこぼしたが、メタはその理由を高負荷のストレス反応だと解釈してあれこれ言うことはしなかった。

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