#26 亜硝酸塩の赤(お祝いについて)
冬の祭りはやってくる。目を覚ましたモルフォのもとへ略式の礼服を着たアズールがやってきて、モルフォを襟付きの服へと着替えさせた。アズールはモルフォの髪を上げ、首へは長いリボンを結わえつけた。モルフォは跪いて靴ひもを結ぶアズールの撫でつけた髪を、珍しそうに見ていた。立ち上がったアズールはポケットを探り、小さな箱を取り出す。そしてそれをモルフォの目の前で開けて見せた。
「少し早いけどプレゼントだよ。付けていくといい」
箱の中に入っていたのはサファイアのブローチだった。モルフォはリボンの結び目へブローチを付けた。銀細工のフレームの中で青い石がキラリと光る。
アズールは『おめでとう』という。祝いの席だった。食卓はどこかそわそわとした気配に満ちていて、そこにいる誰もがどこか浮足立っているようだった。にぎやかな色合いの花飾り。モルフォは座るよう言い付かる。湯気を立てる塊の肉。米を主体としたフライ料理。透明なスープ、温かいパイ。白いクリームと果物のケーキ。海産物とカボチャのサラダ。並ぶ料理の品々を取り分けて、アズールはモルフォへ食べるよう言った。小さな口を開け、モルフォは肉に歯を立てる。
「おめでとう。アズール。今日という日を迎えられたことを光栄に思う」
「やあ、おめでとう。今後のさらなる繁栄と発展を願って」
答えながらアズールは調理場から戻ってきたメタの格好に目を奪われる。糊のきいた高い襟のシャツにはっきりとした黒のリボンが結ばれて、腰には飾り帯が巻かれている。光沢のないズボンは毛だろう。手には白い手袋をして、ご丁寧にエナメルのシューズを履いている。エッジのあるシャツのシルエットに、すらりとした首筋と短く刈られた襟足が引き立ち、メタの持つ端正さが際立って見えた。
「えっ、すごい格好……その服、暑くない?」
「ご明察、その認識で合っている。が、今日はさすがにいつもの服ではダメだろう。何も起こらないことを祈って、おとなしくしているさ」
腕を組み、言葉を切ったメタはアズールを上から下までぐるっと見た。
「あなたもそうしていると別人のようだな。ずいぶん化けるじゃないか」
そういいつつも、メタはアズールの靴やズボンに皴が入ってるのを見逃さなかった。背筋を伸ばして立っているための服は、『それ以外』の動作を許容しない。着替えてからしゃがんだりしたのだろう。こうしていてもやっぱり、性根が技術者寄りの人間なんだな、とメタは思った。
「意外性があって良いってことかな? 嬉しいね。ずっと挨拶しててもあれだし、そろそろ僕も食事に移らせてもらおうかな。ああ、そうだ、これをあげよう。君の分だ」
アズールは花の香を移したフレーバーウォーターの瓶を持ってきた。メタは少し驚いたような顔をして、一抱えもあるような瓶を受け取った。
「ありがとう…… 開けても?」
「どうぞどうぞ。そのために持ってきたんだ」
アズールとモルフォが並んだ料理を片端から食べていくのを、メタはフレーバーウォーターを飲みながら眺めていた。あの窮屈な格好でよくもまあ、あの量を食べるものだ。グラスからふわりと漂うフローラルノートに、メタは目を細める。口に水を含んで冷たさを楽しんでいると、向かいに座っていたモルフォと目があう。
「メタはご飯食べないの? 放っておいたらアズールに全部食べられちゃうよ」
花の香りを飲み下し、意外と他人のことを見ているものだな、とメタは思った。
「ん、ああ、俺は良いんだ。モルフォとアズールで食べてくれ」
「えー、おいしいよ? メタも食べなよ」
なんと言ったものか、とメタは思う。変に話題を逸らしても追及は免れないと判断して、メタは言い訳をするべく口を開いた。
「ああ、祝いの席にそぐわないかと思って黙っていたが、俺には……食べられないものがある。食品アレルギーは知っているか? 対象のものが含まれている食品を口にしたとき、身体に不都合がでる疾患だ。それと同じように、俺も医者から食べるのを止められているものがたくさんある。だから、すまない。おいしいものを勧めてくれるその気持ちは非常に嬉しいんだが、俺は気持ちだけでいい」
「そう? じゃあ全部食べる。アズール、ここにあるもの全部食べていいって!」
モルフォはアズールに向かって言い放ち、フォークに刺していたカボチャを自分の口に入れた。モルフォの知らせを受けた『事情を知っているはずの』アズールからは歓喜の声が返される。このまま二人で食べ尽くすつもりなのだろう。こういうところはそっくりなんだよな、とメタは思った。
「メタは何がダメなの?」
「そうだな、動物性のタンパク質と、小麦。あと発酵食品と、色素の含まれたもの、非加熱の食品、とりあえずはそのあたりだ」
ふうん、とモルフォは言った。あまり突っ込んで聞かれたくないな、とメタは思ったが、隠すのもそれはそれで問題を呼びそうだったので、曖昧に言う。
「食べると大変なことになる?」
「なる。だから、このことは秘密にしてくれ」
「うん、わかった」
そのあと、モルフォがデザートのケーキを自分の手で切ってみたいと言ったので、メタはナイフの使い方を指導した。やわらかいクリームに苦戦するモルフォへ、アズールは『失敗した分は僕が食べるよ』と声をかけて、実際そのようにしたので、メタは取り分が減ったと主張するモルフォへ、冷蔵庫から別のケーキを出してこねばならなかった。
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