#25 インクの青(なんでもない日常について)
机の上に広げられた紙はシミ一つ無い真っ白だった。そこへ、インクを湛えたニブがそっと降ろされる。慈しむように触れる鋭いペン先はしかし、めまいのするような紙の白へ、惑いも怯みも見せること無く、未踏の雪原めいた紙面上をするすると滑っていく。足跡は戻ることも逸れることもない。端正なブルーブラックが一文字一文字綴るのと並列して、静かな部屋に声が上がる。
「差出人、モルフォから、親愛なる、アズール、へ。ご機嫌、いかが、ですか。元気で、やっている、ことかと、存じます。初めて、の、お便り、ですね」
ドローイングペンはゆっくりと、しかし滑らかに、文字を綴っていく。モルフォの他には誰も居ない、時計の針が鳴る以外はどこまでも静かな空間だった。
「日ごとの練習の、成果、が、出て、わたし、も、満足に、字が、書けるように、なりました。きょう、は、協力者たる、メタの、助力もあり、こうして、筆を、取った、次第です」
短い舌で内容を精査していく。声は歌うようだ。手は止められる事無く滑っていく。紙の上にインクが踊り、まっさらでどこまでもひと繋がりであった紙へ均整の取れた段を作っていく。
「このたびは、紐の洋服が許されたこと、大変、名誉に思い、ます。この調子で、これからも、立派な、『レディ』を目指していく、所存です」
声は止まない。紙にシミができることは無い。紡ぐ言葉への迷いによって、インクだまりができることはない。白い紙には、くすみひとつ、靄ひとつ無く、そこにあるのはつややかで鋭い稜線のみだ。ペンは踊る。
「アズール、は、海を、見た、ことがありますか。わたし、は、いつか、見てみたいと、思って、います。たくさん、の、水は、わたし、たち、の、故郷、だと、聞きます。たくさん、の、ひと、たくさんの、水。わたし、は、この、たくさん、と、いうのを、実際に、見て、みたいと、思い、ます。海と空と、水。あたたかくなれば、数多の、星が、空を海を、飾り、ましょう。青く、輝く、海というのは、きっとすごいもの、なの、でしょう。また、思い出した、ときにでも、学校のおはなし、聞かせて、くだ、さい。お返事、待っています……『モルフォ』」
モルフォは紙の上と下に柵に似た模様を描いた。軽いタッチで引かれる線は青く。強く押し込まれる点は暗く。書き手の動きをなぞるようにインクは残り、乾いていく。便箋から濡れた部分が完全に消えたあと、モルフォはそれを二つに畳んで封筒へ詰めた。
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