#24 静脈の青(ハンカチについて)

自分と入れ違いに部屋を出ようとしていたモルフォをメタは呼び止めた。青い目は『こんにちは、メタ』と言う。いつも通り挨拶が返され、いつもとは違って懐から小さな包みが差し出されるのを、モルフォは不思議そうに受け取った。

「これを。よかったらもらってくれ。別段年の変わり目でもないが」

「うん? 開けていいの?」

「開けてみてくれ。気に入ってくれるといいんだが」

包みの中から出てきたのはシャーリング地のハンカチだった。水に溶かしたようなブルーグレイの地は端へ小さな蝶が刺繍されていて、縁はスリット糸でかがられている。流通するものの中でも、比較的手の込んだ品だった。モルフォは目を瞬く。

「ハンカチだ。前に貸してくれたやつの、別の色?」

「そうだ。またああいうことがあるとも限らないし、モルフォも一枚くらいは持っていた方が良い」

お節介だろうが、とメタは決まりが悪そうに言った。モルフォはそんな様子のメタに首をかしげた。青い睫毛がゆっくり開閉する。

「ううん、嬉しいよ。これ、ふかふかだね。端もキラキラしてる」

「ああ、どういうのが良いかわからなかったから使いやすそうなものにした。好きに使ってくれ」

滑らかな起毛へ頬を寄せ、モルフォは、わたしのもの、と言った。それから、手の中のものに目を落とす。ふわふわした口調のモルフォは喜びを示した。

「メタとおそろいだ」

やったやった、と嬉しそうに言うモルフォに、メタは曖昧に笑った。お揃いがそんなに嬉しいのだろうか。喜んでくれたのなら何よりだ。メタはなんと声をかけて良いかわからなくなって、ぴょんぴょん跳ねるモルフォを眺めていた。こういうところも、アズールに似ているのだろうか。少し、似ているのかもしれない。嬉しいときに、嬉しいという。驚いたときに驚いたという。怒りや悲しみはわからない。この先も知ることがないのであれば、それが一番だろう、と思う。

「そういえば、近頃は手紙のことを聞きに来ないな。進み具合はどうだ? 完成しそうか?」

「んー? うん、今はね、書くこと考えてるの。挨拶はできてるよ」

モルフォはちょっとはにかんで笑う。順調そうだな、とメタは思った。

「そうか。またなにかあったら教えてくれ。困難があれば力添えをしよう」

「うん。ありがとう」

モルフォは畳んだハンカチを広げては眺めている。刺繍の凹凸を指でなぞっている。『贈り物』について、メタは少し考える。

「……冬の祭りもじきにくる。ティーンになったお祝いに、アズールは何をくれるんだろうな」

顔を上げて、モルフォはメタの顔をじっと見た。青い目がまっすぐにメタを射貫く。そこには喜びも無く怒りも無い。メタは意図の読めない視線に狼狽える。モルフォは睫毛を開閉させて、唇を開く。

「ねえ、メタ。冬の祭りって何? ティーンって?」

急に殴られたみたいな顔をして、メタは絶句した。

「……ああ、悪い。忘れてくれ。S型の冬には、お祭りがある。すまない、知っていると思ったんだ」



「ね、メタの言ってたこと、アズールにはどういうことかわかる?」

「そうだね、どこから説明したものかな……」

S型の冬には生誕のお祭りがある。皆が皆、一様に歳をとる関係上、生まれた季節がいつであれ、学年の差がそのまま年の差だ。メタはそれを知っていて、モルフォもそのような習慣を持っていると思ったのだろう。自分の至らなさによってモルフォが傷つくと思ったんだろうな、と、その潔癖さがいっそ哀れになる。知らないことは一種の鈍さだ。モルファはなぜメタがショックを受けたのかも、ひょっとすればショックを受けたことさえ、わからなかっただろう。

「……学校ではね、生まれたことへのお祝いを冬のお祭りの日にみんなでするんだ。モルフォは今14で、13歳……つまりティーンエイジャーになることは少し……特別な意味を持つから、お祝いも少し特別なものになる。メタはそういうことが言いたかったんだろうね、きっと。そのほかは何も聞かれなかった?」

「わかんない、今言ったのでお話は全部だと思う」

その言葉に、アズールはほっと胸をなで下ろした。

「しかし、大人のメタがその話をするのはちょっと妙だな。研究所では大々的な催しはしていなかったような気がするんだけど。どうも学校以外のところじゃあんまりやらないみたいなんだよね。外にはそもそもそういう習慣自体がないし」

「先生だったのかも。前に聞いたときは学校の関係者だって言ってた気がする」

「ああ、そうかも知れないね。どうりで詳しいわけだ」

そう返しつつも、学校の教師ではないだろうな、とアズールは思っていた。S型のいる屋敷に呼ばれた家庭教師あたりが妥当だろう。S型における『学校』は非常に排他的な空間だ。異物は目立ちすぎる。そんな場所に他人種のメタが入り込んで受け入れられるとも思えなかった。

「それで、贈り物って何をするの?」

「それは当日のお楽しみだよ。みんな貰うものがなにか、箱を開ける瞬間までずっと楽しみにしているんだ」

「箱の中に隠しておくのはわかったけど、当日のお楽しみなら、箱の中身はいつ用意すれば良いの? 朝?」

アズールはモルフォの言葉を反芻し、問いと答えのかけ違いに気が付いた。

「……もしかしてあげる側の話してる?」

「うん、そうだけど…… みんなであげたり貰ったりするんじゃないの? もしかして違うの?」

急な問に口ごもってしまう。思ってみれば、ピンポイントでこの説明を求められたのは生まれて初めてかも知れない。皆誰かしらに聞いてなんとなくは知っている事だと捉えていたが、そういえばメタが口を噤んだのならあとはもう僕しかいない。さもありなん、とアズールは納得する。

「ええと、通常は大人から子供へあげるんだ。貰った方は、自分が大きくなったときに目下の者へ渡す役目を担う。目下、つまり、自分より小さい子にだ」

「大人にはあげちゃダメなの? そういう習慣はない?」

「えー、どうだろ。外でやる冬のお祭りはそういうんじゃないし、メタは喜ぶんじゃないかな。ああ、でも、メタは『冬に生誕祭をやる』って事を知っているのか。モルフォの贈り物を『その』文脈で捉らえるだろうから、あげる時に『外のお祭り』っだってちゃんと言わないとまずいかもな」

モルフォは首をこてんとかしげた。

「言えば良い? よね?」

「うん。言い忘れないようにね。さて僕は何を渡そうかな」

贈り物なんて一体何年ぶりのことだろうな、と思いつつ、アズールはメタの喜びそうな品について考えた。モルフォから相談までされたのに、自分だけ何も用意していないとなったら、きっと薄情者だと思われてしまうだろうな、とそこまで考え、アズールはちょっと笑った。きっと料理の用意はメタがすることになる。アズールは刃物を持てないからだ。なにか真の意味でメタに報いるものを供さねばいけないな、と思った。

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