沈静の青

#21 朝ぼらけの青(時間について)

静かな時間だった。曖昧な時間だった。夜の狂乱が身を潜め、明け方に向かう体が眠りにつく頃の、もしくは深い夜闇に眠っていた意識が徐々に目覚めへ引っ張られる頃の、誰もがあやふやな眠りの内に沈む時間であった。冷たい空気の中でただ一人、メタだけがはっきりとした意識を保っている。メタは椅子に腰かけて何をするでもなくじっと黙っていた。誰もが眠っている。手の届く世界のすべては身じろぎもせず、淡い靄の中に揺蕩っているように感じられた。メタは少し、よりどころのないような気持になる。

覗き込んだ引き出しの、底を覆う厚地のハンカチは繭であろうか。大きさも色も違う、柔らかな繭。包まれているものは多岐にわたった。丸いお菓子と三角の飴玉。樹脂のかけら。石の指輪や真珠のブローチ。薄いレースの手袋。ウランガラスの小物入れ。大粒のターコイズ。小さなシリコンのリストバンド。少し曲がったプラスチックのカード。そのすべてが無造作に巻かれて木製の引き出しへ投げ込まれている。メタは少し開けた引き出しを、ため息とともに閉じた。暗い部屋に、ぱたん、と音が鳴る。

「メタ、何してるんだい、こんな早くに」

背後から聞こえた声に、メタの剣呑な赤い目が振り返る。有無を言わせないような睨みつけに、寝台の上で寝そべっていたアズールは間抜けな声を出した。

「起きていたのか。さっさと着替えて出ていけ」

「ひどいなあ、たった今起きたんだよ。君がノブに手をかける音でね」

ふあ、と大きな口を開けてアズールは欠伸をする。メタは見るからに不機嫌だった。いつものことだ、とアズールは思う。メタが上機嫌で朝を迎えたことは、アズールの記憶上一度だってない。服着ないとなあ、とアズールは起き抜けのぼんやりした頭で思った。メタはタンスの前で座っている。引き出しの中には何が入っているのだろうな、とアズールは思うが、それを今聞くのは憚られた。メタの寝起きは最悪だ。アズールは一度、寝床からけたたましい罵声とともに蹴り落されたことがある。

「さっさと起きろ、シーツを替えたい」

メタは立ち上がってアズールを退けた。ブランケットとシーツの下には防水布が敷かれている。相変わらず几帳面だな、とアズールは思う。下着を着て、シャツに袖を通している間に、メタはそれらをぐるぐると巻き取って洗濯機に放り込んだ。そうして洗剤と、洗剤じゃないものをドバドバ入れる。そういえばメタの部屋には洗濯機があるのだよな、と夢うつつに戻りつつある脳は的外れなことを考えた。戻ってきたメタが新しいシーツを敷く。ベッドメイクの様子をぼんやり眺めていると、シーツから上げられた赤い目が迷惑そうに細められた。

「洗濯をしたいから出ていってほしいんだが」

口を開く度にめちゃくちゃ追い出そうとしてくるなあ、とアズールは思う。これも、まあいつものことだ。

「うう? 何洗ってるの?」

「白衣だ。ぼうっとしてないで目を覚ませ……そうだ、丁度いい、アズール、弾薬持ってないか。『余り』があるだろう」

アズールは閉じかけた目を緩やかに開いた。弾薬、と繰り返す。弾薬は備品だ。性質上持ち出しが許されているとはいえ管理はされているので、私用で消費するにはちょろまかした分から出すしかない。つまりそれは横領だ。こういうことをメタのほうから言い出すのは珍しいな、とアズールは思った。

「持ってるけど……今は試験場に入らないほうがいいよ。向こうの棟で使ってるから人がいる。撃ったらばれるし、ひと死ぬよ」

「あー、ああ、そうか。そういえばなんか言っていたな……」

手のひらを握ったり放したりするメタの手は、今は何もつけていない。指の白は暗闇に映えて、発砲を予測させる仕草でさえ今は冷たく艶めかしい。メタは手袋を外さない。唯一の例外が発砲の時と、こうして部屋に居るときだけだ。

「白衣の替えってほかにないの?」

「この間一着だめにした。こう見えて特注品なんだぞ」

その言葉に、アズールはメタの表面温度が理論上、二百度オーバーまで上がるらしいことを思い出した。実際そこまで行く前に停止するとは聞いているが、つくづく恐ろしい特性だな、とアズールは思う。まるでアイロンのようだ。それともボイラーか。フライヤーかもしれない。なんにせよ難燃繊維製の白衣は高そうだなと思いつつ、アズールは自分の着ている上着の組成を確かめた。皴の入ったシャツにはコットンと表示されていた。

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