#20 星はじける眼裏の白(”関係”について)
ズボンのベルトを抜き、平たい靴を床に放る。服を取り払う。椅子の背に投げかけていく。さっさと終わらせてしまいたかった。手袋を付けようか迷い、一瞬の逡巡の後にそれも机に放った。薄膜を外殻に被せ、巻いた固定ベルトの留め金をかける。慣れた動作だ。けれど親しみはわかない。憂鬱だった。億劫だった。でも仕方がないことだった。アズールは下着姿で早くこっちへこいとばかりにだれたような目を向けてくる。メタはため息をつき、壁のスイッチを半ば殴るようにして部屋の明かりを消した。腹をくくろう、と、苦いものをぐっと飲む。
「本当に、あなたは、仕方のない人だな」
一言ことばを絞り出す度に吐き気がした。数歩進めばつく距離の寝台までがいやに遠い。そちらへ進みたくないと心は訴えかけている。もうどうにでもなれと思えたならば、きっとずっと楽だっただろうにな、とメタは思って、唇を噛んだ。
◆
見るな、とわめき散らしたくなる。見るな、喋るな、黙って伏せっていろ、何もするな、動くな、俺に触るな。頭を掴んで命令したくなる。言うことを聞け、と耳元で怒鳴りたくなる。自分の知らぬところで、勝手に始まって勝手に終わってくれれば良い、と思う。嫌だ、と思う。身体は勝手には動いてくれない。関わりたくないのに、もうここには居たくないのに、動かない身体を強いて、機嫌取りに微細な調整をし続けなければならない。アズールを喜ばせるためのやり方は一から十まで知っている。でもそれがうまくこなせない。メタは感情が思い通りにならないと言うのがどういうことかを実感する。感じたくない事を感じ、見たくないことを見る。焼けた鉄を押しつけられるような疼痛に、早く殺してくれ、とさえ思う。
アズールは混沌だ。自分は清浄でありたかった。律し、整えられ、整列した状態でいたかった。ただそれだけが叶わない。通常であるならば、いっそ些細とも言えるメタの望みを目の前の『これ』は滅茶苦茶にしていく。今日はこちらで動くのが具合が良いらしく、寝転がったアズールは不快な声を上げて身体をくねらせる以外に何もする気がないようだった。嫌なことに変わりはないが、好都合と言えばそうだろうか。うざったいあの手が抱擁を求めて伸びてくるとき、多弁なあの青の目が強請るようにさらなる奉仕を訴えてくるとき、メタは癇癪を起こしそうになる。殴ればおとなしくなるだろうか、と考えてしまう。メタは度々そう思い、気持ちの悪さに耐えきれず時折実際そのようにした。蹴れど殴れど、行動は変わらなかった。もとよりメタは近距離の銃撃・格闘戦を想定されたスペックの戦闘サイボーグだ。そんな身体の、力を込めた打撃に人間の身体が耐えられるわけがない。殺してしまわないよう威力を制限されて繰り出される打撃ではアズールの狂気が怯むことはなく、それは生命の危機にさしかかっても変わらなかった。狂気と抑圧によって殺しをさせられるのは、メタにとって不本意以外の何物でもなかった。身体や事情がどうであれ、刑法は罪を等しく裁く。メタは他人のために、それもこんな男のために、牢へ入るなどというのはまっぴらごめんだった。
ギリ、と握った手指と、熱っぽく吐き出された息でメタは正気に返る。許されるのであれば、ずっと上の空で居たいと思うほどの嫌悪が腹に詰まっている。アズールが息も絶え絶え口を開いた。
「きみは不感の気があるね、あっ、喘ぎもしないし……汗もかかない……」
「黙ってろこの淫乱が、殺されたいのか……」
メタは半ば衝動的に手をあげそうになるが、二本しかない腕は身体を押さえつけていたために自由にならず、幸か不幸か不発に終わる。氷水で冷やしたように凪いだ下半身とは反対に、殺意がむくむくと膨らんでいく。手足は冷たいような気すらするのに、脳はしびれて熱っぽい。部屋の暗闇にアズールの悩ましげな唸り声が響く。頭は茹だるように熱いのに、脳の芯が冷えていく。後ろからがつがつと犯されるアズールは身をよじらせ、指を絡めたシーツに涎を垂らした。汚いな、とメタは思った。
「腹上死と、腎虚ってやつには、興味がある、よっ…… あ……」
抜かれた『もの』を追うように体をねじり、アズールはメタの胸を蹴りながら仰向けに転がった。足の指を噛み千切ってやろうか、と思ったが、へらへらと力なく笑うアズールは刺すような視線を一顧だにしない。腹の上では彼同様にぐったりとした彼の性器が欲望に身を温めつつも力なく横たわっている。『だめ』になるまでやって欲しいと言う。それがいつものパターンだった。しかし。
「きみには関係のない話だった、かな」
どこかへつらうように放たれた吐息混じりの独り言は、メタの怒りを誘うのに十分だった。メタにはサイボーグという特性上、生殖能力がない。つくりものの陰茎は自ら硬度を持つことはなく、精巣のない体は当然射精することもない。メタは望みの有無にかかわらず、子供を作ることができない。たとえ精巣が生きていたとしても同じことだ。メタの体の持つ熱は蛋白質を変質させ、完膚なきまでに焼き滅ぼしてしまう。用をなさないそれがなんになろう。彼が彼である限り十全な性機能を持つことは構造的にありえない。更に言うならば、メタはそのことを『アズールに』指摘されるのを何より嫌がった。
「……黙っていられないのか?」
メタはアズールの青い髪をわし掴み、わからせるように腰を押し付けた。顔を上げさせられたアズールは腹をえぐる感触に、蕩けた目で気味わるく笑った。笑いに歪められた口が次第に息を求めるように開いていく。殴りたい、まともにできないのかと怒鳴りつけて頬を張って気の済むまで痛めつけてやりたい。かっと身体が熱くなったような心地がして、メタは指を引きつらせた。いましめの解けた頭はシーツを滑り、快楽を得た胴は打ち上げられた魚のようにもがいた。張り詰めたような身体はがくがくと痙攣して、喉は掠れた声を上げた。それが終わりの合図だった。
「……気は済んだのか」
腹へ飛んだ体液の、時間経過で粘度を失い垂れていくそれを、メタは気持ち悪そうに指で拭った。
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