#18 真夜中の青(密事について)
紙でつくった花の冠を頭に乗せ、モルフォは得意げに歩く。少し気取った様子のモルフォに、ランウェイを歩くモデルみたいだな、とアズールは思った。時折くるりと回り、なびく髪をはにかむように抑えるのが、年頃の少女らしい。モルフォはうきうきとした様子で少しも曲がっていない花冠を直している。
「似合う?」
「よく似合うよ。まるで花の精みたいだ」
そういえば彼女の名の由来になったのは蝶だったな、とアズールは思った。蝶と花。アズールは胸に挿していた青薔薇の花をくるくると回してまた元のように戻す。白と青でできたミニブーケは、きれいにできたから、とモルフォがくれたのだった。優秀な子だ、と思う。そのうち髪の結い方も教えなければ、と考えていると、向かいから珍しい格好のメタが歩いてきた。こちらに気付いたのか、何か言うよりも先にずかずかと近づいてくる。
「やあ、どうしたんだ」
「アズール、少し出かけてくる。風呂を用意しておいてくれ」
「ん……ああ、わかった。任せてくれ」
メタは胸に挿した薔薇を見たようだった。いるかい、と手振りで示せば、首を振られる。ガラスの反射に顔を写していたモルフォは振り返り、不思議そうに二人の顔を交互に見た。
「アズール、こういう時は『いってらっしゃい』だよ。いってらっしゃい、また、あとでね、メタ!」
「ああ、いってきます、モルフォ。それ、似合ってるぞ。詳しい話は帰ってから聞かせてくれ。それから……アズール」
頷く。モルフォの前だから抑えられているが、メタはどこか不満げだ。言われずとも、と思った。
「『行ってらっしゃい』 ……大丈夫だ、わかっている」
「ならいい」
メタは振り向かずに部屋を出た。アズールは背中に向かって手を振った。メタが見えなくなったタイミングでモルフォが白衣の裾を引く。どうしたの、と問えば、幼い瞳はアズールを見上げて不思議そうに尋ねてくる。
「なんでお風呂なの?」
「用意がしてあればそのまま入れるだろ? 遅くに帰ってきて、それから水をためて、ってするのは大変だ。だから僕が手の空いている間にやっておく。そういう約束なんだ」
役割分担ってやつだよ、とアズールは続け、上を向いたことで頭からずれたモルフォの冠を直した。
「夫婦みたい。ねえ、そういえばアズールはなにがわかってるの?」
アズールはどちらの語句に反応するべきか一瞬だけ考え、後者を選んだ。
「約束を忘れないように、ってね。僕は、そうだね。忘れっぽいから。さあ、もう少ししたら眠る時間だ。先にお湯を浴びてしまおう。シャンプーハットは今日も要りそう?」
「ばかにしないでよ。わたしにもまぶたがあるんだから」
「そうだったね」
目を細めて笑いながら、約束、忘れないようにしなくちゃなあ、とアズールは思った。
◆
長く伸びた幼い髪を洗う。黒と青のまじりあう髪の隙間から覗く首は白い。メタに会わせてしまった以上、モルフォを殺せばこの先、もうどこにも自分の居場所はないのだろうな、とアズールはなんとはなしに思った。それは、そうだろう。それが道理というものだ。目を閉じて額を抑えていると、べっとりと濡れた手が頬に触れる。アズールが生暖かい感触に目を開けると、泡だらけになったモルフォが顔を覗きこんでいた。
「アズール、大丈夫? 変な顔してた。調子悪いの?」
「ん、ああ、平気だよ。ちょっと目に泡が飛んだだけだし、今はもう良くなった」
かぶりを振って笑顔を作る。安心させるように。それでモルフォは納得したようだった。つむじから覗く白い地肌の渦を見ながら、危なかったな、とアズールは思う。あのとき自分が一人だったなら、きっとメタは、自分が帰ってくるまでにモルフォを寝かせておけ、と言うつもりだったのだ。そう思って、アズールは笑いそうになる。『それ以外』のことをアズールが考えていると知ったら、メタは出掛けなかっただろうな、とも。ああ、メタはそういうやつだ。他でもない、この身が知っている。
アズールは心の中で笑い続けた。誰に言われなくとも、『殺しをしない』という『約束』を破るつもりはない。いままでだってうまくやってこれた。だから、大丈夫だ。そう、大丈夫。
「そうだ。今日は圧縮テープを試してみよう」
「うん。それってメタのよく言うすごいやつ?」
そうだよ、とアズールは言ったが、『メタのよく言うすごいやつ』という響きには懐疑的にならざるを得ない。メタは折りに触れて圧縮テープの有用性を説くが、効果のほどを実感したことがないアズールにとって、目の前のそれとメタの話とはまるで別物だ。いったいメタには何が見えているんだろうな、と思うが、納得のいく答えが返ってきたことはこれまで一度だってなかったし、これからだってきっとない。おそらくそれは、『そういう』ものだ。
「普通にやると八時間くらい掛かるんだけどね、八時間じゃ終わらないかもしれないし、次に目が覚めるのがいつになるかもわからないから先に伝えておくよ。知らないと目が覚めたときびっくりしちゃうだろうから」
「それってそういうもの?」
「使うのはこれが初めてだからね。何度か試してればわかるようにはなるよ。メタなら見ただけでわかるんだけど、僕はだめだ。向いてないのかな、どうも勝手がわかんなくて」
モルフォはふんふんと頷いた。
「なんでかは知らないけどメタはこれが大好きなんだ。とりあえず八時間の入れてみるから、使ってみてどんな感じだったか、明日の朝教えてもらってもいいかな」
「任せて。明日はアズールに圧縮テープのことを教えて、それが終わったら花の冠を褒めて貰う。メタって明日の朝はいるよね?」
「起きたときにはもういると思うよ。寝てる間か、明け方になるんじゃないかな。まあでもモルフォは寝てなきゃいけない時間だ。さて、洗い流したら髪を乾かしてベッドに入ろう。明日の朝を楽しみにしておいで」
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