#16 区域の青(学校教育について)
「中等教育のカリキュラムも終わったって言うのに一向に容量が増えていかないね。変だな、なんでだろう。質問にはちゃんと答えるからテープの吸いこみが阻害されているってことはないと思うんだけど」
覗き込んだメタは眉根を寄せた。高次教育も中程の段階としてはいっそ不可解なほど空きがある。確かに妙だな、とメタは思う。
「仕方ないな、アズール、あれを出せ」
「あー、やっぱりそうなるよね。ちょっとまってね。どれだったかな。ええと、えーっと。ああ、あった。これだ」
アズールは鍵付きの棚から引っ張り出したケースのインデックスを確かめ、箱ごとメタに手渡した。ケースの縁に薄く積もった埃が落ち、ふわふわと糸くずのように舞う。
「ねえアズール、それなあに?」
「ダミーデータだよ。脳の容量が埋まらないときにスペーサーとして使う。なんと僕の脳にも入ってる」
箱の中身を改めながら、そりゃ入っているだろうよ、とメタは思った。研究所に来るような人間なら、多かれ少なかれ入れている。トートロジーだ。メタはケース添付のリストにあるナンバリングの通りにテープを並べ替えようとして、ケースの中身を半分出した。
「スペーサー? 容量を埋めるだけ? それって何の意味があるの?」
「さあてね。これが入ってるとそれだけで優秀な人間として扱われるから入れといた方がなにかと得だよ。フルセット入れてるんだけど、僕の就職もこれで決まった」
勝ちまくりモテまくりのおまじないだよ、とアズールは言う。それに対し、モルフォはなんとも不服そうな声を上げる。
「えー? そういうもの? なんの働きもしないダミーなのに? それって無駄じゃないの?」
「周りの目は変わるから無駄って事はないんじゃないかと思うけど、確かに恩恵がないと納得しづらいかもね。これを入れるためにズルして怒られる人もいるんだよ」
並べ替えたテープを詰め直しながら、『ズル』の内容に思い至ったメタは背筋がすっと寒くなった。子供になんてことを教えているんだ、とメタは思ったが、それより今は問いたださなければならないことがあった。
「いや待て、アズール。フルセット? そう言ったのか? 今?」
脈絡なく話に割り込んできたメタへ、アズールはゆっくりと頷いた。
「うん、入ってるよ、フルセット。おかげで卒業が四年遅れた。あれ、六年だっけ? もっとかも。優秀な癖にっていって学校じゃ散々罵倒された気がするな」
「散々なのに気がするなの?」
「楽しくないことなんか忘れちゃったよ」
肩をすくめるアズールにメタは歩み寄る。入っていればただそれだけで優秀だと見なされるブロック。容量を埋めるためのスペーサー。それは社会における単純化された役割の一側面でしかない。
「……ダミーデータというのは嘘だ、中身は」
「ん?」
アズールが顔を上げる。メタは何事かを言おうとして、自身に向けられたモルフォの視線に気がついた。
「いや、何でもない。なあ、アズール、フルセットっていったのは本当か? 俺の聞き間違いじゃなくて、本当にそうなのか?」
少し興奮したような早口で尋ねたメタへ、アズールはゆったりと答える。
「そうは言うけど、学校ですることほかになくない? ああいや、そうか、メタはS型じゃないんだよな。高次教育は任意だし、それだけ在籍してたら入れられるとこまで入れようって話に……」
「ああ、いや、すまない。そこの説明は大丈夫だ。わかっている。俺もS型第二世代のなかで暮らして長い。『優秀な』人間をここに来て初めて見たから少し動揺しただけだ」
視線をさまよわせ、顔を伏せたメタに、アズールは肩をすくめて鷹揚に言う。
「初めてじゃないだろ。見つめてくれたってかまわないぞ。それこそ穴が開くほど」
「アズール、穴があくの?」
「あくとも」
モルフォは少し不機嫌そうな顔のメタをチラリと見やってから視線を戻した。
「……それって脳天?」
「物騒だな! やめてくれよ、モルフォ。メタもだ、その目をやめてくれ」
「いや……ああ、どうしてもというなら開けてやってもいい。その綺麗な顔を吹き飛ばしてやってもいいぞ、どうする」
低く奇妙にひそめられた声に、ああ、モルフォがいるからか、と納得するが、変な気の使い方をするくらいなら言わないでいてくれたらもっといいのにな、とアズールは思う。
「いや、遠慮しておく。というか待ってくれよ、僕が一体何をしたって言うんだ……?」
日頃の行いだ、とメタが言うので、アズールは、執念深いな、と思った。
◆
「アズール、なあ、アズ、ちょっと解析結果を見せてくれ」
「うん? いいよ、何か気になることあった?」
言ってから、気になることがあったとしたら嫌だな、とアズールは思った。忘れかけていたが、モルフォの出自をつつかれると自身の存続が危ういのだ。今すぐメタに急用ができてうやむやにならないかな、とアズールは紙を出しながらぼんやり思った。
「ああいや、違う。これじゃない。見たいのはモルフォじゃなくて、アズ、あなたの解析結果だ。どこにある?」
「……? どうしたんだ急に」
ぐ、とつっかえたようにメタが口を閉ざす。珍しい事もあるものだ。いつもなら二言目にはストレートな怒号が飛んでくると言うのに、メタは居心地の悪そうな様子でもごもごと言い訳めいた言葉を重ねる。
「この間スペーサーの話をしただろう、ストレージの全貌がどんな様子か少し気になって」
「ああ、なんだ、そういうことか。フルセットって言ったのが未だに信じられないんだな。まあ無理もない。そういえば在学中に投げかけられた心ない言葉のトップは『信じられない』だった」
投げやりに言い、ベロベロとプリンターから吐き出される紙を待っていると、そわそわと落ち着かない様子のメタに気付く。アズールは首をかしげた。
「そういえばS型じゃない人間には脳容量を見せ合う習慣はないんだっけ? 君が何をそんなに気にしているのか知らないけど、別段恥ずかしいことでもないし好きなだけ見てきなよ。必要ならコピーをとっても良いし」
「同僚の解析結果を見るのは初めてなんだ……それにしたって開けっぴろげに過ぎないか? いや、いい。まずはデータの開示、感謝する。ちょっと失礼」
紙をつまみ上げ紙面に目を落とす。数値を追っていたメタの表情が次第に険しくなっていく。
「どうだい。何か面白いものはあるかい」
「見られて恥ずかしくないと言っていたのが嘘じゃないのはわかった。一分の隙もない『優秀な人間』だ。オプション込みのフルセットなんて初めて見たぞ」
「君からお墨付きがもらえるとはね。長生きはするものだな」
「順当に行けば出世街道を進んでいるスペックだろうに。こんなところにいるのがなにかの間違いじゃないかってくらいの数値だ……いや、なんでこんなところにいるのかは知っている。飛ばされたんだろう。あなたは最悪だ。俺があなたの上司でも間違いなく同じ事をする。恥を知れ」
「褒めたかと思えば急に悪口言い出すんだよな。まあ、いいけど」
しばしの沈黙の後、アズールはふと思い出して尋ねた。
「そういや君はどんな感じなんだい」
「プライバシーの侵害で訴えるぞ……じゃないな、俺に生体の脳がないのは知っているだろう。メーカーに問い合わせてくれ。わかるとも思えんが」
「あー、そうだったね……」
メタに答えながら、コレクションの並びに浮かぶ脳を解析器に入れるのはもう無理だろうし、これだったら手術の前に頼み込んでデータ取らせて貰えば良かったな、とアズールは詮無いことを考えた。モルフォのことは無論、脳の保存だってメタには秘密でやったことだ。うかつなことを言ってバラせばまた死ぬほど怒られるんだろうな、と思い、アズールはそれきり口をつぐんだ。
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