#15 性規範の青(差異について)
取り立てて言うようなことも無い。たいした問題も起こらず、『勉強』はつつがなく進んでいく。
モルフォの勉強を見てやりながら、メタは自分の学校時代を思い出していた。鉛筆が紙をひっかくリズム。ページを一枚ずつめくるときの空気を孕んだ独特の音。長い髪がノートに擦れて起こる、微かな音が耳に届く。懐かしいような景色に、自分にもこんな時があったな、と、どこかぼんやりメタは考える。
今日の分は終わり、とモルフォが言って、座ったまま大きく伸びをした。放り出された鉛筆が転がって天板から落ちようとするのを、メタはそっと指で抑えて止める。
「頑張ったな、今日はこれからどうするんだ?」
「んー。アズールも来ると思うから、もう少しここにいる」
メタの差し出す鉛筆を受け取ってペンケースにしまったモルフォは、積んであったテキストに手を伸ばし、読むでもなく眺めはじめた。熱心なことだ、とメタは思う。モルフォが黙ってしまったので、手持ち無沙汰になったメタは積んであった残りの参考書を手に取り、軽く中を覗いては、ああ、こんなこともやったな、と思った。忘れてしまったかと思っていたのに、意外と覚えているものだ。メタは懐かしくなって先を読んだ。
「ねえ、メタ、男の子と女の子って何が違うの?」
ぱらぱらと紙をめくりながら何とはなしにモルフォは言った。参考書から顔を上げたメタは少し戸惑って、赤い目をぱちぱちさせた。
「わたしは女の子でしょ。それで、メタは男の人。アズールもそう。二人は大人。でもそのことはいいの。何が違うの? なにか違うの?」
ぐるぐると指でクエスチョンマークを描きながらモルフォは問う。メタは困惑に顔を歪め、なんと答えたものか言葉を探す。男女の違い。なんと言えば、モルフォは納得するだろうか。ゆっくりと参考書を閉じ、真剣に考えていることを示す。男女の違い。人間の性別を分けるもの。それは。それは?
「……別にその二つに違いなんてない。いや、たぶん……そうだ」
顔をしかめたままメタは途切れ途切れに言った。他に言いようもなかった。モルフォはちょっと不思議そうに首をかしげる。
「そう? メタはそう思う? あ、ねえ、アズールは? アズールはどう思う? ちょっときて!」
モルフォが遅れてやってきたのであろうアズールを呼んだので、メタは若干いやそうな顔をした。性別の話から性的な話へシフトすることを直感的に恐れたためだ。何もこんなタイミングで来ることもないだろうに、とすら思う。そんな事を知ってか知らずか、アズールはやってくる。
「んん? ぼくを呼んだ? なに? え、男女の差?」
「そう。何が違うの? それとも、なにも違わないの?」
一緒に考えて、と急かすように言うモルフォの疑問へ、アズールは少し考えるようにしてからのんびりと言った。
「うーん、何もかもが全く一緒ってわけでもないだろうけど、大きなところは対して変わらないな。歯の数も一緒だし指が特別多いって事もない。成長のピークが来るのが早かったり内分泌系の関係で力が強くなりやすかったりっていうのはあるけど、それも個人の資質によるところが大きいし、歴史的な役割の別はあったみたいだけど今はもうたいして関係ないし……そもそも僕らはS型だしね。あと、骨格は多少違うかな、でも骨の数は同じだったような。まあだいたい一緒って言っていいんじゃないかな。疾患の出方に差はあるけどまあ、僕らには関係ないよ」
「そっか、そうなんだ」
恐れていたようなことのことごとくを口にしなかったアズールを見て、メタは少し驚き、粘膜の造形について話すとばかり思いこんでいた自分を恥じた。アズールは話し続けている。
「どうだろう。見た目の傾向って言うのは多少変わるかもね、でもモルフォが聞きたいのはもっと白黒はっきり分かれるような区別の話だろ? 普段生活する中でわかるような違いっていうのはないんじゃないかなあ。見た目といえば、服装の形式っていうのがあるけど、それだって本質じゃないしね」
一緒だよ、とアズールは言う。
そこでメタはようやく、アズールがそれなりに話題を選んで話していることに気がついた。その手の話題は『あえて』避けているのだろう。可能なら普段からやってくれないものかとメタが思ったが、メタの視線にアズールは気が付かない。
「一緒かあ」
唇を尖らせてふむむ、と言ったモルフォに頷きかけたあと、少し思いついてアズールは付け加えた。
「……ああ、そうだ。ひげが生えるよ。男の人は」
生えても結局剃っちゃうから、普段見える違いには入らないかも知れないね、と言ってアズールは話を締めくくった。それだって人によるんじゃないのか、とメタは思ったが、それ以上にモルフォの返事が引っかってうやむやになってしまった。
外見の話でなぜこんなに動揺したのかはわからない。納得したような表情のモルフォは頷いてただ一言、『目には見えないところに違いがあるんだね』と言ったのだ。
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