#12 クォーター・ジンクスの青(四つのサムシングについて)
アズールは今後起こるであろう様々なことを複合的に考慮し、モルフォの出生届けを出すことに決めた。『隠し子』を得た未婚の研究者は書面を作成するにあたり、この世に存在しない『モルフォの母親』を誰だったことにしようか考えていた。未婚で、S型で、来歴に問題がなく、故人。できるなら十数年前に接触のあった人物が好ましい。それに該当しそうな人物を思い浮かべようとしたが、ぼんやり行き当たりばったりに生きてきたアズールには少し荷が勝った。そうでなくとも十年は長い。思い出すことを早々に諦め、アズールは研究所の記録を引っ張り出してくる。
さてどこを見るべきかと捲っていた記録帳の、廃棄物の項目にふと目を留め、クローン鍵だったことにしたらいい、とアズールは思いついた。彼らは用が済めば殺される使い捨てだ。でも仮に、それらが生き延びたとしたら? 未加工の女性型なら間違いなく生殖能力があり、S型第二世代同士なら青い髪の子供が生まれる。これだ、と思った。自分がロマンスの対象になるというのは少し想像が難しかったが、子供がいるということは何かしらの動きがあったんだろうな、と無理に納得する。
アズールは時期に無理の出ないもの、自分が『処分』したもの、女性だったもの、と順番に印を付けていって、残った一人の名を書き込んだ。アズールはそれから少し考えて、備考の欄にクローンであった旨を足した。禁止法の施行前なので、露見しても罰則はなし。カバーストーリーとしては完璧といえよう。『オリジナル』が知ったら怒るかな、とちょっとだけ思ったが、考えても仕方ないことだと気付いたので忘れることにした。そもそも自分の知らぬところで作られた複製ならば、複製を作った人間がいるはずで、クローン当人との合意が取れている場合なら怒りは無断複製者に被って貰うのが筋であるはずだ。アズールはペン先を眺める。
書面をしかるべき機関へ送付し、証明書を発行すればモルフォは晴れて『血の繋がった』自分の子だ。血の繋がった、とアズールは反芻する。おかしな話だ。S型第二世代である以上、自分たちは皆同じ先祖から生まれた兄弟であり、それから外れる『血の繋がっていないもの』などいないというのに。ともかく、アズールは息を吐く。きちんとした証明があればメタは疑わない。メタが疑わないのであれば、他の同僚達は納得せざるを得ない。完璧だった。メタの言うことはいつだって正しい。書面に添える長ったらしい挨拶を別の便箋に書き、サインをしてから乾かして封筒に入れる。これでようやく肩の荷が下りた、と思いつつ、アズールは封書を出しに行った。
◆
そんなことがあったからかも知れないな、とアズールは思う。机に両肘をついて、モルフォが夢見るように「結婚ってどんなものなのかな」と言うのがやけにはっきり聞こえた。紅茶に入れるクリームを計っていたアズールは瓶の蓋を閉めて、スプーンに残ったクリームをなめた。僅かな甘みとまろみのある、形容しがたい粉クリームの味がした。結婚。自分の知らないものだった。
「どうだろうね。幸福なものも、そうでないものもある。興味があるなら調べておこうか」
「うん。わかったら教えて」
モルフォが答えると、それまで黙っていたメタがぐるりと振り返り、毅然とした態度で首を振る。
「いや、モルフォは嫁には行かせない」
「どうしたんだ、急に」
どうしたんだ、と言うほかなかった。不断や迷いを感じさせない、妙にはっきりした声だった。メタは少し、怒っているように見えた。有無を言わせない態度がそう錯覚させたのかも知れない。
「めずらしいね、メタがそういう言い方するの。どうして?」
モルフォが問えば、聞き返されると思っていなかったのか、一拍遅れてメタは答える。
「どうしてって、どうしてもだ。モルフォには幸せになるべきだ。他のところになんて怖くてやれるものか、そもそも……」
モルフォの無垢な瞳がメタを見返す。続きを口に出そうとしていたメタが、それは言ってはならないことだと気づき、すんでの所で口をつぐむ。『そもそも、結婚したとして大事にされるとも限らない』。それをモルフォは知っているはずだろう、とメタは言おうとしたのだ。メタは先ほどの勢いを失って黙り込む。婚姻関係こそ定かではないが、モルフォはアズールの娘で、大事にされなかったであろう青色の娘は彼女の母だ。モルフォをそうはしたくない。させるつもりはない。けれどもそれを当事者である彼女に言うのは憚られた。働いて、一人で立派に生きていけるならそれ以上のことはない。経済的な自立を得て、誰にこびることもなく生きられるのなら。言いたいことと言ってはならないことが喉元で渋滞を起こし、メタは目を伏せる。
「……俺は、パートナーを定めることには反対だ。相手次第で持ち得た可能性が狭められてしまうなんていうのは、あってはならないことだろう」
沈黙を破り切り出された言葉がそれであったので、もしかして、遠回しに文句を言われているのか、とアズールは思った。相棒は広義のパートナーであるといえるが、それにしたって文句を言われるのは今更なので、アズールは続きを促し、詳細を聞くことにした。
◆
話を聞く限り、メタはモルフォを働きに出したいようだった。アズールはそれを聞きながら、ああやっぱり外の人間の考え方だな、と思う。第一に、S型第二世代は特性上、社会的な差別を受けやすい種族だ。S型のコミュニティは密だ。優秀な人間は内にこもるか『家』に入って出てこない。外の社会に出るのは自然、一定水準以下の箸にも棒にもかからない人間ばかりになる。甘く見られるわけだ、と思う。メタはどうもそのあたりのことを知らないようだが、彼自身が評価される側でない以上、事情に明るくないのも無理からぬ事か、と思い直した。差別は実際にされてみないと存在を認識しづらい。アズールはその実力と類い稀なる性質故に外社会にもある程度の溶け込みを果たしたが、他の多くではそうも行くまいというのが鈍感なアズールにも肌感覚としてわかる。
見た目では区別の付けづらいS型のなかで『優秀な』子女を保証するのは、学歴だ。残念ながらモルフォには出生の工程上、レールに沿った肩書きはない。貴族の夫人として召し上げられる者、モデル、娼婦、屋敷の小間使い……外では能力よりも見た目を珍重される場合が多く、立場は弱い。その上見た目は大同小異ときている。程度の差こそあれ、S型は替えが利くと思われがちだ。メタの監視の中、苦労してここまで育てた子供だ。アズールはモルフォを消費物の扱いに甘んじさせる気は毛頭ない。だから『外』に出すわけにはいかなかった。
そして逆に、イレギュラーに慣れていないS型第二世代のコミュニティでは浮いてしまうのもわかっている。モルフォはイレギュラーだ。誰もが当然のようにわかる物事に理解を示さない娘へ、周りは辛く当たるだろう。学歴と能力の揃っていたアズールでさえそうだったのだ。職に就かせず、『外』の信頼できる『家』に婚姻という形で隔離しておくのが一番なのだとアズールは知っている。無論正妻として、だ。身内で固められたコミュニティは中にいる人間を外圧から守ってくれる。アズールはそのためにモルフォへ嘘の来歴(架空の母親)を見繕ったのだ。かみをくるくると弄っているモルフォを眺めながら、早いところ話を纏めておかなくちゃなあ、とアズールは思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます