#10 フィルムの青(ある種の映像について)
畳んだ段ボールと梱包材を脇に抱え、廃品置き場を目指していたメタは、途中で同じく紙の束を抱えたアズールとぶつかった。
「やあ、偶然。飛び出してくるからびっくりしたよ」
「大丈夫か? しかし横合いからぶつかってきて『飛び出してきた』と言われても困るが…… ところでその筒と紙の束は何なんだ?」
「ああ、これかい。チラシだよ。束の中に壁掛けのカレンダーが入っていたからモルフォにあげようと思ってね。ほら、立派な紙だろ」
アズールは丸めて抱えていたカレンダーを広げ、べろべろと振って見せた。下の端にはクローニングの機材を扱うメーカーのロゴが入っている。
「確かにそのまま捨てるのは忍びない品だ。しかしこのご時世に紙の広告? 一体どこからだ? 怪しいものじゃないだろうな」
「どうだろうな、ええと、建設会社と広報と……これはビデオショップからだね。成人向けではあるけど合法のものだよ。ほら」
メタは嫌そうな顔をして紙を受け取った。広告写真には背の低い黒髪の女性が水辺に座って微笑んでいる様子が映されていた。その目は澄み渡る空のように青い。目が青い、つまり成人なのにも関わらず、髪が青く兆していない。
「悪趣味だ。どの層が買うんだ?」
「S型第二世代を対象にしたコンテンツを買うのは他の人種だけだよ。S型の身体的特徴から児童愛好の向きが強いようだ。その場合は髪を濡らすのが特に好まれる。場合によっては染色もあるけど、それはまあ酷いもんだ」
僕らの感覚としてはそうだけど、そこが逆に一部のマニアに受ける場合もある。そう言ってアズールはメタの突き返してきた紙を受け取り、束ごと丸めてポケットに突っ込んだ。
「嫌に詳しいな」
「こんなことは誰でも知ってるよ。そりゃあ個人差はあろうけどこの業界で暮らして長いしさ。いや、それは君もか。君に……馴染みはなさそうだね、それもまあ、そうか」
性的な話題の俎上に載せられたこと、同じ立場にあるはずのアズールが自分を下に見るような言動をしたこと、誰でも知っている、という決めつけ。そのことごとくに対してメタは小さな不快感を覚えた。実際のところ、『誰でも知っている』というアズールの言葉は、自分だけが殊更に性産業に精通していると思われたくないがための放言であったのだが、メタには知るよしもないことだった。
「変な想像をするな、馴染みがあってたまるか」
「悪かったよ」
メタに睨まれながらアズールは形だけ謝罪する。きっとメタは売るほうも買うほうも縁がないのだろうな、と思う。S型に深くかかわる仕事をしている中で、それはきっと幸福なことだ。
「本当に悪いと思ってるんだろうな……?」
不満げにこぼすメタのつぶやきを、聞こえなかったふりでやり過ごす。メタはそれ以上の深追いはしてこなかった。メタはもとより、まじめで神経質で潔癖だ。誠実さを重んじる気質のため、自由恋愛の範疇を超えてメタに『誘い』をかける者はおらず、 清廉を貴ぶあり方ゆえに身柄の売買もしない。その精神性を持ちながら揶揄の対象になるのはたまったもんじゃないだろうな、というのがアズールにも理解できる。
「しかし広告に印刷費が出せるってことはこの辺結構儲かってるのかな。デザインもそれなりの品質のようだし。ほら、印刷も良い」
どこか不機嫌さの残るメタの気を逸らすため、アズールは声を上げ、大げさに感心してみせる。狙い通りメタは食いつき、手元の紙を覗き込んでくる。
「アズール、デザインの良し悪しがわかるのか?」
「どうかな、わかるってほど詳しいわけでもないけど、最悪とまあまあの違いくらいはさすがにね。最高とそれなりはちょっとわからないな。君は?」
ふむ、とメタは言った。意識をそらせるのには成功したな、と思った。あのまま話を続けていたら今頃は過去の話を蒸し返されて怒られていたはずだ。そうならなくて良かったと思う。
「配置のことはわからないが罫線描きができる。得意というわけでもないが、技能としては一応」
「すごいな、今度何か描いてくれ。花とウサギの絵がいい」
「断る。時間も掛かるし面倒なんだぞあれ。それより、罫線のイメージでそれが真っ先に出てくるのは意外だな。経験者なのか?」
「あったはずだ。いや、あまり期待されても困るな、色のある絵はどうにも不得手で……飾り罫よりは図解イラストとかのほうが良く描くし、得意だ」
そう言うと、メタは少し顔を歪め、ああ、と合点がいったように頷いた。
「そういえば解剖図を描いてたのはあなただったな。いやに上手いと思ったが……」
せっかく話題をそらしたのにこれは失敗だったかな、と、どこか他人事のようにアズールは思う。さて、なんといえばメタの不興を買わずに話を終えることができるだろうか。メタは何かを考えている。説教じゃないといいな、とアズールは思う。
「……海賊旗みたいなデザインなら見栄えがするんじゃないか? 得意だろう、人間の骨」
「いや、うん? ごめん、なんだって?」
歩きながら派手に転んでみせるか、などと考えていたアズールは、言葉の意味を取りきれなくて聞き返す。メタは、つまり、と続ける。
「あなたが図解で描く中で罫線に仕えそうなものを考えていたんだ、メインに頭蓋骨を、あとは大腿骨当たりを組み合わせて並べたらいいんじゃないかと思ったが……」
メタはしばし黙った。
「全くなにも良くはないな。失言だ、忘れてくれ」
「あ、ああ、そうしよう……」
そうこうしているうちに廃材置き場に着き、メタは荷物を下ろすとさっさと一人で戻ってしまった。急なことに面くらいつつ、珍しいこともあるものだな、とアズールは思う。次いでメタの提案してきた物々しいデザインの便箋を想像したが、描いたら描いたで怒られるのだろうなと察せられたので、アズールは要求通りそれを忘れることにした。そうして、アズールはふと落とした手の中、一つ残した紙の白に、色を添えるペンがあったらもっと良い、と思った。
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