#5 スピルリナの青(食事について)

「子供にはきちんと食べさせてやらなければ駄目だ。成長期なんだろう」

アズールとメタは食卓を挟んで押し問答をしている。モルフォは間に挟まって、言い争う二人の顔を交互に眺めていた。アズールはわかっている、と口に出していった。そんなことはわかっている、と。

「分かっていない。あなたは何も分かっていない」

「食べ物だろ。栄養だってある」

アズールが卓上に置かれた缶詰の蓋を爪で弾いた。コン、と鳴った重い音はモルフォの興味を引いたが、メタはいまそれどころではなかった。

「御託はいいからそのビタミン添加のレーションをしまえというんだ。その缶は夜食用だろう、なんでよりによって徹夜する人間用にチューニングされた缶詰を出してくるんだ。頭のどこか悪いんじゃないのか?」

缶の中身は咀嚼の必要がない肉入りのペーストだ。元はと言えばこれは研究所の備品の一つで、慣例的にはコーヒーと激務で胃を壊した人間が短い休憩時間に最低限の栄養を取るために開ける缶だった。柔らかな粥に毒性はないが、長期間摂取を続けることで内臓がそれ以外を受け付けなくなる副作用があり、積み上がった仕事を片付けるためと言っては何人もの人間が手を出し、そして抜け出せなくなった。未来ある子供にそんなものの味を覚えさせるわけにはいかなかった。メタは苛々と唇をかみ、さらなる非難の言葉を吐こうとした。それをアズールが遮った。

「やめてくれ、子供の前で。怒るのはかまわないが罵るというなら見えないとこで頼む、教育に悪いだろう」

『教育に悪い』。不適切な要素を練って固めたような男には言われたくない台詞だ、とメタは思う。メタは一度口を閉じ、端正な顔を歪ませ、ため息を吐いた。モルフォは机に手をのせてどちらを応援するでもなく問答の行く末を見守っている。

「ああ、わかった。それで、なんでこんなものを。調理マシンの整備中かなんかなのか」

「そんなところだ。フードプロセッサが壊れている」

そして僕は包丁を握れない、とアズールは続ける。知ってるよ、と返そうか迷い、メタは結局それには何も言わなかった。

「もういい、缶詰をしまえ。俺が作ってやるから座って待っていろ」



おいしい、と言って、モルフォは丸っこいフォークを掴んだままにこにこと笑った。皿の上にはメタ特製のオムライスが載っている。玉子の皮を裂けば、ほくほくとしたチキンライスが姿を現し、湯気を立てた。一センチ角にそろえられた人参をつつきながら、器用な男だ、とアズールは感心する。

「そうか。良かった。何か好きな食べ物はあるか? ここで作れるようなものなら用意しよう」

「んー、とね。みずあめ!」

「…………水飴?」

即答するモルフォに、メタは戸惑った。むぐむぐとグリンピースを食みつつ器をさらっていたアズールは顔を上げ、口の中のものをきちんと飲み込んでから困惑するメタへ補足した。

「どうやら麦芽糖がお気に召したらしくてね。ミルクの……ああいや、違った。それは、そう、別のやつだ……」

アズールは口を噤んだ。生まれたばかりのモルフォへは母乳の代わりに水飴を与えたが、それを明かせばモルフォが彼の娘でないことがばれてしまう。メタは不審な様子のアズールを特段疑うこともなく、ただ困ったように眉を下げた。

「……ミルクキャンディが好きなのはアズの方だろう。一日で二袋開けたの、忘れたとは言わせないぞ」

「ああ……そう、そうだったね。覚えているよ。あれは、そうだな。良い味がする」

つい、食べ過ぎてしまう、とアズールは心にもないことを言った。あればあるだけ、気が済むまで食べるし、どれだけ食べたか数えたこともない。食べ過ぎを自覚するのは、包み紙を捨てる段になって煩わしさを感じたときくらいのものだ。

「身体を壊すぞ」

「……ミルクキャンディ?」

興味を引かれたらしいモルフォがおうむ返しに言った。アズールは頷き、白衣のポケットの中から一つ探り出した。丸い飴玉がころんと手の中を転がる。

「そうだよ、モルフォ。ほらこれだ。年の数までは食べてもいいんだ」

その言葉に、机の向こう側から鋭い視線が飛んできた。

「アズ、あなたが五十歳だとは知らなかったな」

「ああ、なんだ……年の数よりたくさん食べても問題はないよ」

赤い目にじっと見つめられ、アズールは居心地が悪くなる。そのままそっと視線から逃れるように目を逸らした。

「一日五つまでだ。それ以上はやめておけ……体に毒だ」

「ああ……覚えておくよ……」

モルフォは二人のやり取りを見て、口の周りをべたべたにしたままけらけらと笑った。


◆◆◆


アズールとモルフォ、横に並んで食事をする二人を、メタは向かいの席から眺めていた。青の兆す髪やなだらかな肩に明るい皮膚。こうして並ぶと本当によく似ている。きっと母親もS型第二世代で、三人そろえば自分にはもう見分けがつかないのだろうなと思われた。このろくでなしの男にも家族がいるというのはなんだか妙な心地で、しかしそれと相反する納得感もある。全てを台無しにする中身を度外視するならば、条件は悪くないといえなくもない。頭は良く、身体が丈夫。器量もまあまあで、何より高給取りだ。性質は最悪の一言に尽きるので、家にいないのも回り回って加点要素になり得る。そうしてみれば、旦那にするにはいい男なのかも知れないな、とメタは詮無いことを考えた。

「モルフォ。ついてるよ」

「んん?」

アズールは取り出したハンカチをモルフォの口へ持って行った。白い布が垂れたソースを滑らかに拭い取る。メタは何か言おうとして口を開きかけ、また閉じた。人格破綻者のろくでなしと言って差し支えないアズールだが、実際手際は良い。あの手が多種多様なクローン達をまめやかに世話し、同じ数だけ殺してきた。なにも殊更に残虐なことをしたり、世話を放棄したわけではない。まめやかに世話をするのに、必要と見るや何のためらいもなく殺してしまう。このクローニング業界で『仕事ができる』とはそういうことだ。わかっている。自分の手を離れてどこへやら知らぬ場所へ行ってしまうことに頓着しない、きっとそれだけのことだ。眺めるメタの視線の先で、アズールが目を上げた。

「ん、どうかしたのかい? ……メタ? 疲れてるのか? 酷い顔だ」

かけられた声に惑う。自分の心とは裏腹に、心配そうな声音は本物であるように感じられた。

「……ああ、そうみたいだ。俺は先に寝る。なんかあったら起こせ。それと食器は自分で片付けてくれ、いいな」

メタはアズールが頷くのを見届けて、部屋を出た。何もかもを手放そうとする無関心から、あの子を守ってやらねばならない。そう思った。そのためにはどうしたらいい? メタは考える。


◆◆◆


二人だけになった食卓で、モルフォはアズールの袖を引く。アズールは、どうしたの、と屈み込んでやる。モルフォは睫毛をパタパタさせて、アズールへ訊いた。

「ねえ、アズール。メタって、どんなひとなの?」

「ん? そうだね。うーん、なんだろう、頼りになる人だよ。強いし、器用だし真面目だ」

「いつからお友達なの」

モルフォの問いに、お友達、とアズールは繰り返し、自分がモルフォに彼を友達だと紹介したことを思い出した。相棒と言われてもピンとこないだろうと思っての事だったが、そうしてみると自分とメタとの関係を端的に表わす語というのは思いつかない。

「ずっと、ずっと前に出会って、それからずっと『お友達』だ。もうずいぶん長いことになる」

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