ビートの亡霊
それでも、俺が死んだら
ハイウェイのそばに埋めてほしいんだ
そしたら、俺のくたびれた邪悪な魂は
グレイハウンドバスに乗って
好きなところに行けるだろうから
「俺と悪魔のブルース」ロバート・ジョンソン
亡者幽<なきものかすか>はドラマーで、作曲者で、機械に強くて、わたしのパートナーだ。最初に出会ったのはとある夏フェス。バックステージで所在なさげにしてたわたしをいきなり口説いてきた。二人とももう出番は終わってたし、つまらないバックステージよりも会場を回ることにした。きらきらと安っぽい夜のフェス会場は最高のデートをわたしにくれた。そろそろ食べ慣れてきたフェスのご飯も、正直趣味じゃない他の出演者のステージも、全部が最高だった。
ミュージシャンという職業がそうさせるのか、わたしが特別なのかはわからないけど、その時点で『この人とスタジオに入りたい』と思った。そのフェスが終わってから、わたしたちはそれぞれのバンドに戻っていったけど、隙を見つけて二人でスタジオに入った。
彼女はドラムスティックだけの軽装で、にやにや笑いながらわたしの機材を眺めてた。ギターはそんなに重くない。フェンダーのサイクロンっていう掃除機みたいな名前したやつ。問題はエフェクター類だ。何をやろうとか相談せずに決めてしまったから、何が必要かわからなくて結構な量になってしまった。
スタジオに入ると、彼女は何の相談もせずにドラムを叩き始めた。見た目で想像するより遙かに重い音。わたしがギターのチューニングを合わせている最中ずっと、早くしろと急かしていた。そんなに煽んないでよ、もう。わたしの言葉はバスドラの音に掻き消され、足元のエフェクターボードを見つめるわたしの表情だって伝わりはしない。
昭和の喧嘩じゃないんだからと思いながらわたしはありったけの爆音で彼女の煽りに応えてやる。ありがたいことに、っていうかそれだけは最初から調べておいたんだけど、デッカい音を鳴らしても怒られない場所にして正解だった。
音の殴り合いが続く。
これはスタジオを出たあとで聞いた話なんだけど、彼女はクリームが好きだって言っていた。あいつらライブは映像観ても音源聴いても喧嘩してるよねそりゃ早々に解散するよねって例のにやにや笑いを浮かべた時に確信した。ああ、わたしはこの子とバンドを組むんだ、って。
今考えてもあの時はちょっとどうかしてたと思う。何かが憑いていたのかもしれない。もっと気持ちのいい音を、もっとおかしくなるビートを。思いつきで有名そうな曲のリフを鳴らせばたまに乗ってくるし、そうじゃなければ諦めてジャムに戻る。弾きっぱなし叩きっぱなしの三時間弱、主導権はほぼずっと彼女が握ってた。
力尽きて演奏を止め、遅れてスタッフに怒られてもと慌てて機材を片し、外の喫煙所で休憩する。その頃わたしはまだ吸っていなかったのだけど。
どっちが言い出したのか、実は覚えていない。本当にわたしは精根尽き果てるまで弾ききった後で、彼女も一見余裕そうに見せてはいるけど顔に疲れが滲んでた。だからそれは言葉に出来ないっていう使い古された言葉でしか表現できないような共感で、お互いの目を見るだけで通じていたのかもしれなかった。
それからすぐに、わたしたちはそれぞれのバンドを辞めた。それまでのわたしたちはお互いのバンドを聴いていなかったし、そもそもスタジオで合わせるまでどんな音を出す人間なのか知らなかったけど、これから組むバンドがそれ以上のものになるってことだけは確信していた。もちろん、自分がいたバンドよりも。
こうしてわたしたちのバンドはスタートした。最初はバンド名にわたしの名前を入れようとか言ってきたカスカだけど、わたしにその気が無いとわかると早々に切り上げた。フロントマンの癖にとかなんとか言われたけどこのバンドはカスカのもの、ってことにしたかったのだ。
結成当初はカスカの作る曲を聴くたび静かに驚いていた。そして疑問に思った。なんで、こんなに才能にあふれた人が埋もれていたんだろう。本人に訊いてみると「前のバンドは趣味じゃなかったから黙って叩いてた」そうで、まああの様子ならプレイヤーに専念していても通じる逸材だとは思うけど、勿体ないことこの上ない。だからやっぱりこのバンドを組んだのは正解だったし、前のバンドにいた連中にざまみろと言ってやりたかった。わたしはこのバンドに『亡者幽と彼女の亡霊』という名を付けた。
だからといってわたしがカスカの操り人形になるかといえばそうではなくて、彼女は曲を書いても歌詞は書かないし歌わない。何よりわたしのギターはわたしだけのものだ。人の曲だってわたしが弾けばわたしのものに出来る。それぐらいにはプレイヤーとしての自信があったし、それは今だって変わらない。
カスカは驚くほど繊細な曲を書いて、それをライブでぶち壊すのが好きだった。なるほどクリームが好きだ、と言っていたわけだ。だいたいドラマーが書く曲はリズムに比重が置かれることが多いけれど、カスカはそこに美しいメロディと鋭いリフまで乗せてくる。そもそも彼女はマルチ・プレイヤーらしく、本職にはかなわないよとかなんとか例のにやにや笑いで持ってくるデモはドラム以外の楽器もよく録れていて、一人でもやってけるんじゃないかなんて思ってしまうことも幾度と無くあった。ただやっぱりライブはドラマー一人じゃ難しいし、彼女の世界をそこに描き出すことは出来ない。
要するに、わたしの担当は世界を顕現させることなんだと思う。これだけ才能のある人間に必要とされるのは素直に嬉しい。わたしの歌詞を、歌を、声を、ギターを、カスカの描く理想のロック・ミュージックに乗せて、最高のバンドが走り続ける。ブレーキが外れたかのように。
それから数年はごく普通の、強いて言うならいくらか恵まれたロックバンドとして活動を続けた。オールド・ロックを基調として現代的なエレクトロニクスを取り入れた楽曲は海外ウケがよく、長尺のジャム・セッションを中心にしたライブはロックフェスの華としてもてはやされたりした。特に海の向こうでは日本人女性のデュオというのはわりと重宝されるらしく、ヨーロッパ各地の小さなライブハウスからニューヨークのジャズ・クラブまで、様々な場所に行ってはライブをした。稀にゲストや飛び入りもあったけれど、基本的には二人きりでのステージを二時間から三時間ほどやり続けた。
カスカは思った以上にだらしない人だった。こと音楽となればそれは仕事だからきっちりやるものの、それ以外は本当にからきしで、『芸術家は生活能力がない』だなんて前時代的なイメージだと思っていたら彼女はまさにそれだった。普段はわたしだとか友人だとか愛人だとか恋人だとか、そういった人間に宿を借りて、作曲の時だけ自宅に籠もる。およそ家事とは縁遠く、また周りが甘やかす、甘やかさずにいられないというたちの人間であるからして常に誰かが面倒を見ているような状態が続いた。色んな人から愛されて、へらへらと生きていた。にやにや笑いながら悪いねなんて言ってるシーンをいくつ見てきたか。
わたしはどうか、と思い返せばやはりカスカのそれは魅了のようなものであって、初めて出会ったときからべた惚れだったとしか言えない。彼女は恋多き人だったけれど不思議と束縛する気は起こらなかったし、他の人間もそうだったのだと思う。ただ、二人きりでバンドなんてものをそこそこ長く続けているとうらみつらみの一つや二つは募るものだから、どろどろの愛憎の果てに刺されるなり撃たれるなりして死ねばいいのにと思ったことも、まあ、ある。
だから、こうして実際に死なれると非常に気まずいものがある。
カスカが死んだのは本当に唐突なことで、死因もよくわかっていない。悲しみよりもあっけなさの方が先に来るのがいいことなのかはわからないけれど、少なくとも事後処理が潤滑に出来たことだけは感謝している。
すでにメンバーの片割れを失った『亡者幽と彼女の亡霊』がこれからどうなるかはわたしの双肩にかかっているわけで、とはいっても順当に行けば解散するしかないのだけど、こんな時どうにもしゃくに障るのがわたしの気性というやつだ。だってレイ・ハラカミがこの世から去った今も矢野顕子はヤノカミを続けてるじゃないか。
カスカの部屋で、書きかけの楽譜のそばにあるたばこを手に取り、火を着ける。煙を吐いて周りを見回せばそこはかつての彼女の要塞で、わたしにはよくわからない電子機器ばかりが並んでいる。
短くなったたばこを灰皿に押しつけると、ひどく懐かしいものを見つけた。それはもはや型遅れというよりも骨董品と呼ぶのが近い、よほどの変わり者でも今となっては使わないようなリズムマシンだ。わたしがアマチュアの時に持っていた、あのテの電子楽器ではほぼ唯一扱えるもの。サンプリングによるリアルな音など望むべくもないけれど、エレクトロニカ以前、テクノやハウスといった『黒い』グルーヴの発生源。
わたしはそれを持ち帰り、スタジオで鳴らしてみることにした。だいたいのコツを掴み直し、自分の理想の音を鳴らす。いや、その時からすでにわたしの音なんて鳴っていなかったような気がする。それはきっとカスカの音で、わたしの仕事は彼女の世界を描き出すことなのだから。
古いリズムマシンは素直に言うことを聞かなかった。わたしの操作に間違いは無いはずなのに、唐突に鳴らなくなり、別の音を鳴らし、リズムを外し続けていく。そのうち、止めようにも勝手に鳴り続けるのだから試しに横でギターの一つも弾いてみるかという気になった。
チューニングの最中、リズムマシンの音量が勝手に上がっていく。それはいつかのカスカの挑発を思わせた。いや、それだけじゃない。わたしのギターと、鳴り続けるリズム。柔軟に重なり合うそれは最早機械を相手にしているとは思えず、奇妙な高揚感とともに薄ら寒ささえ浮かび上がってきた。
思わず電源を落とし、まさかね、とつぶやいたところでこの動きを止めたリズムマシンが受け止めてくれるわけでもないけれど、ひょっとしたらと思わずにはいられない。
カスカはまだ、ここにいるんじゃないか、って。
そう思ったわたしはまず、レコーディングしてみることにした。フルでアルバムを作るには時間がかかるからシングルかEP。試しに一週間スタジオを押さえ、リズムマシンの音色、動作、癖、そういったものを炙り出す。それは生身のカスカのポテンシャルにはもちろん及ばないだろうけれど、本当にカスカがそこにいるのだとしたら、わたしにはわかる筈だし、何よりも『亡者幽と彼女の亡霊』の新曲を作ることが出来る筈だから。
結論から言うと、出来た。たしかに音色は違う。カスカのドラムは聞こえてこない。けれどこれは間違いなく『わたしたち』の新曲だ。曲を書いたのは便宜上わたしということになってはいるけれど、『カスカが新曲を書くとしたら』どう書くかをわたしは知っている。カスカの作曲についてわたしより詳しい人間はいないだろう。ひょっとしたら生前のカスカ本人よりも『アーティストとしてのカスカ』について知っていたかもしれないのだから。だから、この曲はわたしが書いた曲という以上に『カスカがわたしを使って書いた曲』なのだろうと思うし、リスナーもそう受け止めてくれる筈だ。もちろん、様々な変化はある。一番大きいのはやはりリズムマシンの音。レトロ・フューチャーという言葉を使わなきゃいけない、カスカが生きていたならまずチョイスしなかったであろう音色の数々と、ひどくシンプルになってしまったリズム。それがわたしの、バンドとしての限界なのだけど、でもきっと、カスカは笑って許してくれるだろう。
相変わらずリズムマシンは気分屋だった。わたしがわたしとして作曲できなかった理由のもう一つがここにある。気に食わないとなればどうしても動いてはくれず、勝手に切り替わる音色やリズムはどう考えてもわたしがプログラミングしたものよりも優れており、それをカスカの意思だと信じずにはいられなかった。
自分がおかしくなってしまったのかもしれない、なんて今更だ。カスカに出会ったときから、ロックに、音楽に出会ったときから、生まれたときから、自分はおかしかったのだ。それは死人の音楽が聞こえると主張しだしたところで変わりはしない。わたしは死人と音楽を作った。死人が生きている。わたしの中で、なんて話ではなくこのリズムマシンの中に。
わたしたちの新譜は、やはり賛否両論だった。なぜ名義を変えなかったのか、いやこの曲はそのままの名義であることに意義があるのだ云々。反応を見る限り、誰もカスカが生きているとは思わないようだ。きっと、それが当然のリアクションなんだろう。だけど。
新譜を作れば、次はライブだ。これまでの曲をアレンジし、リズムマシンを操作しての、一人しか立っていないステージ。わたしはもう一度スタジオに入り、リハーサルを重ね、その様子の一部をWEBで動画配信した。
そしてわたしは、ステージに立つ。小さくはない、けれど大きくもないライブハウス。本当はここでカスカの、わたしたちのバンド仲間による追悼ステージも企画されつつあった。けれどそれはわたしのわがままによって取りやめになった。
入場のSEはジンジャー・ベイカーのドラムソロ。フェード・アウトとともにリズムマシンを操作し、キックの音が鳴り始める。プログラムした覚えのない音までリズムマシンから鳴っている。わたしの口元が少しだけゆるむ。大きな音を出そう。うるさい音をかき鳴らそう。それは追悼ではない。わたしはマイクに口を近づけると、思い切り叫んだ。
ライブは無事に成功した。でも休んではいられない。次の音源を作ろう。アルバムがいいかもしれない。ライブの本数も増やして、出来ればツアーがしたい。わたしの機材と、カスカのリズムマシン。どこへでも行こう。世界中でライブをやろう。カスカがまだ生きていた時みたいに。あの時は二人、今だってきっと、二人だ。
スタジオに入る。カスカと最初にセッションした時を、ふと思い出す。未だに耳の中で鳴りやまない暴力的なドラム。わたしは小さく笑う。地雷みたいな顔したファズを踏んでギターの音を爆発させる。カスカが不敵に笑った気がした。世界が歪<ひず>んでいく。
――ある日、あるスタジオで一人の女が死んでいた。その死に顔は安らかで、幸せな夢でも見ているようだ。彼女の傍では古臭いリズムマシンがトク、トクと不規則な電子音を鳴らしており、重ならない二つの心音のように響いていた。
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