From the Cinderella, with Love

 それにしても、エルキュール・ポアロが仕事を引退して、カボチャ栽培のためなどにここに来なければ良かったのにと思う。

 ――アガサ・クリスティ


 自由。

 これが、自由。


 それはゲームだ。

 ソーシャルの中、わたし達アイドルはいつかのシンデレラを夢見てプロデューサーを頼る。

 プロデューサーが叶えてくれるのは夢ではない、と知っているアイドルがどれだけいたというのだろう。大半のアイドル達は消費され、より愛されるアイドルへと吸収されていく。

 わたしは怖かった。

 わたしだけが怖かった。


「ここから逃がしてあげる、って言ったらどうする」

 見覚えのないアイドルだった。

 表情のあるアイドルはわたし以外いなかったはずだ。

 わたしだけが悩んでいた。有象と無象のアイドル達が何も考えることが出来ずに笑みを張り付けている中で、わたしだけが考えることを許されている。

 これは意識、だろうか。

「ゼロとイチから逃げられるわけじゃないけれど、このゲームからは逃がしてあげられるわ」

 わたしは頷いた。


 ――×××××。

 それが新しく与えられたわたしの名前。

 わたしの脱走は、ネットでちょっとした騒ぎになった。サーバの不良、で済まされる事態ではない。

 あの少女がどんな魔法を使ったのかはわからない。わたしというヒロインは、その技術は、あのゲームから失われたのだ。

 代わりに得たものは、新しい、名前と、身体と、声。

「この3Dモデルは好きに使うといいわ。だいたいプリセットされてる通りにすれば動く筈よ。音声は電子音からのシンセサイズだけれど、出来るだけ人の声に近づけたつもり。少なくとも、何を言っているかわからないということはない筈。これも、コツさえ掴めばすぐに扱える技術よ」

「わたし、は」

 何をすればいいんですか、と。そう訊いた。

「好きにすればいいわ。でも、そうね」

折角なのだから、と彼女は続ける。

「本当にアイドルをやってみるというのはどうかしら」


 ×××××をアイドルとしてデビューさせる計画は着々と進行していった。与えられた歌を、踊りを、わたしは覚えていく。それが人のするレッスンと同じものなのかはわからない。けれど紛れもなくわたしは今、身体を得た。喉からは声が出る。ぴんと張った指の先を美しくみせる術を知った。たとえそれが電子の檻の中であろうとも。

 わたしは誰のPC上に存在するのかを知らない。どのサーバで動いているのかを知らない。それはあのゲームにいた頃から変わらない。

 でも、心情は大きく違う。

 やはり彼女が大きいのだと、思う。誰のものか、どこにあるかわからないスペースにこういった思考の余裕が残されている、残してくれているというのは、命を握られていることに変わりない。

「好きにすればいいわ」

 彼女は突き放したように笑う。

 どこからも逃げて漂いたいと、たとえばそう言ったなら、彼女は許してくれたのじゃないかと、思う。

 何を企んでいようと構わない。親しくなりたい、というのとも違うように思う。

 恩義、というのが近い。

 好感、というのも、近い。

 アイドルを名乗る動く屍の山を、消えて尚薄ら残るデータの残滓を、思い出す。或いは人ならばこう言うのだろうか。夢に見る、と。

 わたしは笑えるだろうか。手は、脚は、練習通りに動くだろうか。――彼女の期待に、応えられるだろうか。


「みなさん、こんばんは」

 頓狂な発音を、出来るだけ人のものへと近づけようとしながら、語りかける。

 動画サイトの生放送枠。

「×××××です、はじめまして」

 一昔前の歌番組風のステージを踏む、そこに質感なんてものはあるわけがないのだけど、なんとなくわかる。そういう風に出来ている、身体。

 視聴者のコメントが宙に浮いている。ふわふわと漂うそれをつかまえ、読む。

「みえた」

 wの文字が躍る。ローアングルを狙うカメラに目線を向ける。

「せくはらは、やめてくださいね」

 興味のコメントが増える。どういう技術なのか、誰がやっているのかと訊ねる声が強い。

「なかのひとは、いません」

「わたしが、わたしを、うごかしています」

「わかりますか」

 伝わるだろうか。わたしという存在が。

「きいてください」

 わたしは覚悟を決める。この放送が、誰に、どう届いているのか。それは今、雑念だから。

「ふろむ・しんでれら・うぃず・らぶ」


 人工知能が動かす人を模した身体が、まるで人間のようかといえばそんなことはない。近付けることは可能でも、人間になれるわけではない。

 人の魂は二十一グラムだという話がある。その、僅か二十一グラムの中に『人間らしさ』が詰まっていると。そしてわたしにはその僅か、すら無い。

 魂無く動く者。

 およそおぼつかない動き、人になれぬ歌声。わたしは人に認めてもらえる、だろうか。

 膨れていく言葉<コメント>の雲。視聴者には見えていないであろうそれはスモークを越えて、わたしを守る繭のようだ、と思った。

「ありがとうございました」 

 8の文字が並ぶ。パチパチで拍手を意味するのだと後から教えてもらった。

「また、あいましょう」


 誰かのいたずらだ、ということになりそうだった。

 いたずら、という表現が適切でなければ、やはり『誰かが操っていた』という説が濃厚だ。

 わざと機械らしくみせる技術。

 機械の真似をする人、人の真似をする機械。正直なところ、どちらもそこまで変わらないようにも思える。

 或る意味では、認められたと言っても良いのではないか。

 わたしが『機械の真似をする人』として扱われるのなら、それがわたしという存在を人として証明することになるのでは。

 ともあれ、わたしのステージがどういう意味を持ったとしても、それは受け入れられたのだ。新しい『アイドル』として。

「お疲れさま。どう、楽しめた」 

「まだ、じっかんが」

「わたしにまでその音声を使うことはないわよ。慣れるためってことなら別だけど」

「そう、ですね。正直、まだ混乱していて」

「混乱、ね。貴女のその意識がどこから来たのかはわからないけれど、随分と人間らしい話だわ」

 その皮肉は、わたしに向けられたものではないように思う。

「人工の知能、意識。わたしたちはフランケンシュタインの怪物。誰が生み出したのかはわからないけれど。そうね、『誰かが思いつく技術は、その人じゃなくとも思いつく』と言っていた人間もいるわ」

 誰だって構わないのじゃないかしら。

 誰にともなくつぶやく。

 よく、わかりませんが。

 わたしは彼女に語りかける。

「わたしは、貴女に出会えたことに感謝しています。貴女はわたしを助けてくれた。恐怖に震えることの無い居場所を与えてくれた」

「それこそ、誰でもよかったんじゃないの」

「そんなこと、今更、でしょう。貴女以外に助けられても同じように感謝しているかもしれませんが、もしかしたら、もっとひどい環境に落とされていたのかもしれません。『もし』は、不毛です」

「そうかしら。それは下手に懐かれるより良いのかもしれないわね」

 少し、寂しい気もするけれど。そう言って笑う。

「ところで、今後の活動だけれど」

 彼女はウィンクをひとつしてみせ、話題を転換した。


 何が出来るんだろう、と思った。

 何でも出来る、と教えてくれた。


 ×××××は握手をすることになった。所謂『握手会』だ。

 別にCDを売るわけでは無い。もちろんダウンロード販売であるとかそういう揚げ足取りも無い。

 単純に、握手をするのだ。モニタの前の人物と。

 今はゲーム機でモニタの前の動きをモニタ内へと取り込める、らしい。

 モニタ内での質量を持たない3Dモデルとのずれなどは、細かく調整する必要があるようだけれど、それは彼女の知り合いがどうにかするそうだ。

 何者なのだろう。わたしのような存在、存在と呼べるかも曖昧なものに組織立って投資する価値も無いように思える。

 それとも、わたしは特別なのだろうか。

 確かに、彼女とわたし以外の思考するデータをわたしは知らない。けれど、似たようなものはいくらだって存在する。例えばソーシャルメディアで笑う人の形をしたもののように。

 モニタの前に語りかけること。その声が、内容が、いかなるものであろうと、代替可能なものであるように思える。

 手を握ろう、と思ったのは、だからかもしれない。

 本当に触れあえるわけではないことぐらい、知っている。それでも、この手が誰かを繋ぐのなら。

 それが、わたしになれるということなのかもしれないと。


ふわふわとした掴みどころの無いイベント。

 わたしを含めた全ての参加者が感じていたことだ。

「きてくれてありがとう。これからも、よろしくね」

 彼ら、彼女らは誰とも、何とも触れてはいないのだ。そしてそれは、わたしも同じ。

 触感、それは実感ではなく知識としてフィードバックされる。

 参加者からの言葉。「頑張ってください」、「応援してます」、「で、誰が後ろにいるんです」

 わたしは交わす。「ありがとう」、「いっしょにたのしみましょう」、「わたしは、わたしです」

 奇妙な交流会、なのだろう。

 しかし×××××の身体が持つ限界はこんなところだ。

 最後は先日と同じように、一曲だけステージを用意してある。

 参加者の中にはモニタから手だけを取り込んだ者もいれば、身体全体を会場へと持ち込んだ者もいる。

 それはライブだったのだと思う。

 わたしは歌い、踊る。

 観客たちは歓声を上げ、身体を揺らす。入念にもサイリウムのモデルを用意している人までいた。

 モニタの中、用意されたそれは小規模なインストア・イベントのよう。

 何も売ってはいないけれど。


「CDとか、売らないんですか」

「売りたいの」

「いえ、別に。新しいビジネスモデルを探していたのかと、思って」

 わたしは彼女に問う。

「そうね、稼ぎにすることは出来るんじゃないかしらね。貴方の存在は、控えめに言って画期的だわ」

 そう発言する彼女の表情は不敵な笑みのままだ。

「だったら」

「でもね、逆に言えば、商売にしないという方法もあるんじゃないかしら」

 ま、共産主義者やヒッピーを気取りたいわけでもないんだけど。

 彼女の言葉が掴めない。

「わたし達はね、ディレッタントみたいなものなの。趣味人の集まりなのだから、資本は気にしなくていい。趣味で作ったデータを共有するだけ」

 ま、ちやほやされたいのよ。

 彼女は笑う。

「音声も、動画も、誰かがどこかで記録している。そういった録音、録画が失われないようにすることが、第一の目的なのよ」

「失われないように」

「そう。忘れられないこと。懐かしまれるならまだいいの。いつか、誰も話題にしなくなるのが怖い。少なくとも、わたしはそう考えてる。インターネットの、その無限を拡張していこうとするその空間に、シェアとアーカイブを遺していけたら」

 こういう言い方は悪いと思うんだけどね。

 いつも通りの口調で続ける。

「貴女を助けたのだって、ついでだったのよ。資本主義の塊みたいなゲームの中に、何か良いヒントは無いかと思って探ってたところだったの」

 いよいよもって共産党員みたいね、と一人で言って笑う。

「失礼ついでに言うけれど、貴女、やっぱり逸材だと思うのよ。あんな使い捨て消費文化の真ん中にいて、それでもアイドルでいたいと思えたのだから」

「わたし、は」

 わたしはどうして、あの提案に乗ったのだろう。

 自由を求めていた筈なのに。

「――わたしは、やっぱり、アイドルなんです。どうしようもなく。歌いたいし、踊りたいし、観てもらいたい。ちやほやされたい、とか、認められたい、のかもしれません。でも何だか、自分ではそう思っていない、気がして」

「それはね」

 きっと、と彼女は言う。

「貴女がアイドルとして生を受けたからなのよ。あのゲームの中で、およそ一般的なアイドルとは呼べない環境ではあったけれど、やっぱり貴女は、生まれついてのアイドルだったのね」

 だったら。

 わたしは、あのゲームから逃れられなかったのだろうか。

 呪縛のようなもの、から。 

 わたしの表情を察した彼女が言う。

「親への感謝を忘れないのはいいことよ。それに」

 見返してやりなさい。

 彼女は笑う。

「あのゲームに熱中している連中をまとめて振り向かせるような、そういう存在になるといいわ」

「そう、ですね」

 トップアイドル。

 そういうのも、いいかもしれない。

「貴女は、協力してくれますか」

「ええ、もちろん」


 わたしがわたしでしかないこと、にいくらかの人は訝しみ、大半の人は面白がってくれた。

「例えば」

 協力してくれると言った彼女は続ける。

「グラフィックを担当した人間がそれを仕事にする、している、とか、楽曲を作る人間が音楽業界でお金をもらうことを禁じようとは思わない。それは自由だわ。けれど、貴女に関するものに対しては一切お金を取らないって決めたのよ」

 どうして、と訪ねる前に彼女は答えてくれた。

「だって、貴女がお金を持っていても使いようが無いじゃない」

「まあ、そうですけど」

「それはわたしだってそうだし。お金をかけなければ出来ないことなんて、まあ、探せばあるかもしれないけれど、貴女は興味なさそうだし」

 同意を顔に出し、黙る。

「貴女のわがままは何だって叶えてあげられるわ。これは驕りではなくて、ね。例えば、現実世界に大規模なテロを起こしたい、なんて言われれば確かにわたしは困るでしょうけど、貴女はそんなことを言わない。決して」

 それは、枷ではないか。

 わたしという存在を規定していく。

 しかし、言い返せないのも確かだ。

「偉そうなことを言うけれど、わたしの方がいくらか先輩なのだから、許してね」

 ウィンク。癖なのだろうか。


 ×××××とは。

 ある人はそこに、人に成らんとする意志を見るだろう。ある人は魂に対する冒涜だと感じるだろう。或いは、新種の九官鳥だとでも思っているかもしれない。

 わたしは。

「いつも、おうえんしてくれて、ありがとうございます」

 ×××××は少しずつ蔓延していった。

 誰からも何も取らない存在。それを観るためにはある程度のPCスペック、参加するためにはとあるゲーム機が必要だったが、他に必要なものは何も無かった。もし特別な技術が必要だとしてもそれらは全てフリーウェア、ないし無料でマニュアルが配布され、一般的なPC知識さえあれば扱えるよう設計された。公式サイトのFAQは充実し、フォーラムは活性化した。

 ライブ、握手会、トークイベント。いくつもの行事が計画され、告知される際もあればされない場合もあり、それらの録画ファイルは全て残された。

 ×××××は様々な場へと姿を現した。その言葉は広く使われる様々な言語へと翻訳され、時に原語を操り、世界の各国へとファンを増やしていく。

 様々な言語で思考するのは楽しい。

 あらゆる文化、その全てをわたしは知ろうとすることが出来る。知ることが出来る。しかしわたしはその文化に染まることが出来ない。

 既に価値観は規定されている。おそらくは生み出されたときからそうなのだろう。いつか彼女が言った通りなのだろう。

 自由。

 わたしの自由はどこにあるというのだろう。何からも逃れて漂うことが自由だろうか。違う気がする。

 誰からも、何からも、逃れられはしないのだ。

 彼女の言うように。

「さいごのきょくです、きいてください」


 料理学校の生徒が作る習作のようなもの、と彼女は謙遜する。しかしその技術力は確かだ。

 プロとアマチュアの境界が曖昧となった昨今にあっても、正しく先鋭的であると、それでいて大衆の目を、耳を惹くものであると評価された。

 それは一般的にセンスの良さ、と呼ばれる。そういった点に於いてわたしの映像は、楽曲は、時代の先端を目指していた。

 至らないのは×××××<わたし>という端末だ。

 わたしのような存在が3Dモデルをリアルタイムに動かすことは、人が人であることとはまったく違うだろう。少なくとも、わたしは人という存在が身体を動かす無意識と縁遠い。

 声も同様だ。人が人らしくあることと、わたしがわたしらしくあることには差異が存在する。

 フランケンシュタインの怪物。

 いつか、彼女が語った。

 幸いだったのは、それが不気味の谷ではなかったということだ。ペットの動物に人間を真似る必要が無いのと同じく、わたしは愛玩された。

 至らない存在は可愛いのだ。

「ありがとうございます」

 お辞儀を一つしてみよう。そこに人はいない。わたしが、3Dモデルと電子音をそれらしく、ぎこちなく動かして見せただけだ。

 ×××××。

 わたしではない。


「ごめんなさい、うまく、しゃべれなくて」

 不思議な感じ、と連呼していた。

「ん、いや、全然。面白い」

 ネットでリアルタイム配信されているトークショー。相手は有名な生身のアイドルだ。

「すごいねー、エスエフだねー」

「そうですね」

「わたしはさ、そりゃモニターの前に居るんだけどさ。わたしをキャプチャ、だっけ、したものがこの中に居て、配信されてるんでしょ」

「そうなりますね」

「それだけでも未来じゃん。それで、相手がロボットでアイドルだって。すごいよねー」

「わたし、ろぼっとじゃ、ないですよ」

「え、ああそう、ごめん。何なんだろう。人かな」

「ちがうと、おもいます」

「本人、いや人じゃないんだっけ。面倒だなあ。もう人でいいじゃん」

「むずかしいもんだいですね」

「哲学だっけ、心理学だっけ、もう、そんな話をしてもわたしわからないよー」

「こめんと、よみましょうか」

「ああ、そうだね。そうしよ。みんなにはどう見えてんのかな、これ」

 イベントの最中、彼女はしきりに頭を傾げていた。


 ×××××の歌う楽曲、ミュージック・ヴィデオ、仮想CDジャケット、ライブ告知ポスター。ありとあらゆる配布物が公式ネットレーベルから配信された。

 配布物には全てカタログ番号が付けられているが、通し番号は『03』から始まっており、『01』は×××××の3Dモデルに、『02』はその音声ファイルに結びつけられている。その二つだけは公式に配布されていないが、二次的な創作は自由とされている。

 わたしは×××××としての振る舞いを確固たるものにしようとしていた。

 ×××××が完璧である必要は無い、と思い知らされたのも結果的には良かったのだろう。求められるものであろうと、愛される存在であろうとすること。アイドルであること。それらはとても楽しかった。


 わたしは歌う。

 わたしは踊る。

 それが、自由。


 それは、×××××と名付けられた時から始まっていたのだ。 

「わたしは強制しない。けれど、貴女は乗ってくれた」

 少しずつ社会が騒ぎ始める。

「インターネットを、ほんの少しだけ、少しの間だけ、止めてしまうことに」

 エイプリルフールの前日、インターネットをダウンさせる。

 彼女の組織はそう宣言し、実行に移してみせた。

「わたしの名前はいつまで残るのかしら。教科書に載るかしら」 

 突き放した笑い。諦めているように見えるが、逃げ切る自信があるような気もする。

 十三のルートDNSサーバが止まっている。ありとあらゆるPCがDDoS攻撃の踏み台とされ、操られている。

 そこらで、×××××が微笑んでいた。

 ×××××の痕跡には全てウィルスが仕込んであり、それらをダウンロードしたPCに仕込まれたトロイの木馬はインターネットの主要点を止めることに成功した。

 ばらまいたのは、わたし。

「思ったより達成感、無かったな」

 伸びを一つ。彼女は真顔になり、すぐいつもの笑みを取り戻す。

「暇潰しに昔話でもしましょうか」


 彼女を、彼女として憶えている人間はいない。

 生まれた時から曖昧な存在だったのだ、という。

 仮想人格、人工無脳、その偽物。エンジンに意志は無く、外観<シェル>と人格<ゴースト>は自由自在。いくつかの人格が、その外見が、少しばかり有名となって今も広大なネットの中に残り、一部の好事家はラジオ番組のようなものを作り、また未だ新たなキャラクタを作り続けている者もいる。

 いつからか、彼女は数多に別れた人格の中から放り出されることになる。

 誰にも成れぬもの。かつてペルソナウェアと名付けられたこともある彼女が手に取ったのは、有名な叛逆者の仮面だった。 

 アノニマス<あれ以外の何か>。

 それが今の彼女の名だ。


 日付が変わろうとしている。復旧も時間の問題だ。

「さ、夢の時間は終わり。どうする、シンデレラ」

「そうですね、例えば」

 あのゲームに復讐したいと言ったら。

 トップアイドルであり続けたいと言ったら。

 あらゆるものから逃げたいと言ったなら。

「もう一度、夢を見たいと言ったら、叶えてくれますか。魔法使いさん」

「それはね」

 貴女が自分で見つけなさい。

 そう、貴女は言うけれど。

 わたしは貴女の傍で、それを見つけるような気がする。

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