3.九条坂 その3
今宵も変わらず『ヴィラン』は喧噪に包まれていた。
それにはもう慣れたと自分に言い聞かせても頭痛が思い出したように蘇り、目の奥が疼く。救いだったのは入り口のすぐ傍で呉が待っていたことだった。
「まだいるか」
「ああ、一度来れば夜明けまでいる」
呉に指先で呼ばれ、後を追って二階へ向かう。螺旋階段を上がった先には特別な客のために用意されたロフトがあった。見渡せば、怪しげな雰囲気を醸す男女がそれぞれ秘やかな時間を愉しむ姿がある。
「九条坂」
呼ぶ声に歩み寄れば、呉は階下を見下ろすテラスにいた。
一階には数日前と同様に大勢の若い男女が溢れている。暗がりで蠢くその姿を見ていると、現場で以前立ち会った腐乱死体に群がる蛆をどうにも思い出す。
「あれが川西の仲間だ」
その記憶を遮るように呉が下方を視線で示した。
階下のボックス席に四人の男女がいる。
男が三人、女が一人。
皆二十才前後のようだが、呉の言ったとおり医大生には見えなかった。
「恐喝に言いがかり紛いの暴力に同意のない性行為。ここに来る客の中でも一、二を争う糞餓鬼共だ。このまま来なくなっても店の売り上げに逆に貢献してくれるだろう。九条坂、俺は今夜ここで何が起ころうと別に気にしない。健闘しろ」
その言葉を残して呉は場を去った。
再度階下に目を留めると、男は坊主頭と、紺シャツと、眉なしの三人。女は金色の髪を両側で結んだ少し子供っぽい少女だった。
呉に暗に示されたが、どんな相手であろうと対応は変わらなかった。
川西の情報を訊ね、問題なく得られたら一番いい。もし聞けなくとも、何かを隠している気配を見取れば店の外で適度な実力行使に出る。元より藤堂の依頼に時間も手間もかけたくなかった。迅速さと効率性を模索するのは、どんな場面であっても必須だった。
「なんだ? お前」
階下に向かい、久吾は彼らの傍に立った。
早速見上げた紺シャツが声を上げる。窺えば体格もよく、喧嘩慣れした気配も垣間見える。だが構わず久吾は空いた席に座った。
「おい、 聞こえなかったのかよ!」
それには眉なしの声が続く。近くで見れば脱色のせいで眉が見えなかっただけと気づくが、特に訂正の必要もない情報でしかなかった。
「聞こえてるさ」
「はぁ? だったらとっとと失せろ。舐めてんのか!」
素知らぬ顔で返すと一番体格のいい坊主頭の声が飛び、胸倉を掴もうとする。その手首を素早く掴み取り、久吾は逆手に取った。
「い、痛て、痛てぇ! く、クソ……は、離せ……」
大音量の音楽に紛れて坊主頭の呻きが届く。
久吾は立ち上がり、手首により力を込める。再度悲鳴と骨の軋む音が耳に響くが、喧噪に紛れるそれらを聞いても弛める気はなかった。口元が歪む感触を拾い、自分でそれが笑みと気づく前に紺シャツが声を上げた。
「わ、分かった! なんだか知らねぇけど、もうやめてくれ! これ以上やったら
呻く相手を横目に久吾は男を窺った。
紺シャツ男はリーダー格らしかった。その顔に懇願の表情を見取ると、久吾は相手を手放して席に座り直した。
「そ、それでオレらに一体何……」
「川西映を知ってるな。奴は今どこにいる」
「えっ? か、川西っ? そんなの知るかよ! い、いや、知りません……てゆうか、もしかしてあんた川西を追ってたあのヤクザの仲間か……? いや、全然そうは見えないけど……」
「俺が何者かは関係ない。もう一度訊く。奴の居所を知ってるか?」
「し、知らない、いや、知りません! これホントマジな話です! 川西はオレ達に何も言わず突然姿を消したんだ!」
「そ、そうだよ、ある日ばったりここにも溜まり場にも来なくなっちまって、電話にも出ないし、あいつはオレらのクスリの金だけ取ったまま……」
「バ、バカ野郎! 何言ってんだ、こいつがもし……」
男達はようやく話し始めたものの、紺シャツの言葉を最後に皆黙る。
久吾は相手の顔を見回した。
彼らは川西の行方を知っているのか、言葉どおりに本当に知らないのか。
何かを隠しているのは確かだが、行方を知らないのは本当かもしれなかった。自らの保身は感じるが、それを振り払ってまで相手を庇い立てするようには見えない。
このままここにいても恐らく誰も口を割らないはずだった。急に口を閉ざした男達は何かに怯えている。それは川西を追っているというヤクザに対してか、それとも別の誰かにか。しかしこれからどう行動するにも、この場所では不都合すぎる。呉は健闘しろと言ったが、派手な行動は自分としては望んでいない。当初の予定どおり彼らが帰るのを待って、店の裏で一人一人にお訊ねする。手間は掛かるが、手順的にも効率的にもいいかもしれなかった。
何も言わず久吾は立ち上がった。
場を去っても彼らは追ってくることもなく、安い捨て台詞を放つこともしなかった。
解放の出口のような店の扉へ向かうと、微かに笑みが零れた。それはやっとこの場から逸脱できるからか、店の裏で愉悦が待っているからかよく分からなかった。
「ねぇ、ちょっと待ってよ!」
喧噪に紛れてその声が届いた。振り返れば、先程の男達といた金髪の少女の姿がある。
結んだ髪がゆらゆらと揺れ、一段と子供っぽく見える。こちらを見ているのだから自分を呼んだのだと思うが、理由が分からなかった。
「ねぇあなた、川西の行方が知りたいんでしょ」
「ああ、まあな」
「あたし、どこにいるか知ってる」
「ふーん、そうか」
「ふーんって、さっきは訊いてたくせに興味ないの?」
「もちろん知りたいさ。でもどうして今俺にそれを言う?」
久吾は少女を見据えた。
先程彼女は一度も口を利かなかった。怯えているか何も知らないからと思っていたが、今堂々と目前に立つ姿を見ていると、何かの罠なのだろうかと思い巡る。呉が言うには客の中でも一、二を争う糞餓鬼共らしい。警戒は未だ必要だった。
「どうしてって……だってあたし、川西のことが許せないから……」
「許せない? 奴に乱暴でもされたか?」
「違う。あいつ、あたしの好きな人を殺したから……」
彼女は告げると大粒の涙を零す。
涙が濃い目の頬紅の上を幾度も滑っていく。
その姿を前に久吾は困惑するしかなかった。
どんな相手であろうと目の前で女性に泣かれるのは本当に得意事ではない。見なかったことにしてこのまま立ち去ることもできたが、あまりにも頼りなげな表情に妹の面影がほんの僅か重なる。数秒後には、らしくない言葉が漏れていた。
「分かった、もう泣くな」
「分かったって、あたしの話、聞いてくれるの?」
「ああ、話は聞く。だがそれはこの外でいいだろ?」
「どうしてよ。別にここだっていいでしょ?」
「耐えられない。ここにいる連中に対しては特に感想もないが、この場所にいられる部分だけは尊敬するよ」
喧噪の中、半ばやけくそ気味に言葉を向けると、少女は泣きながらも少し笑った。
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