5.九条坂 その2ー①

 久吾は古びたデスク上の書類をまとめ、薄暗いライトを消した。

 今日は被害者達の職場や学校を含む行動範囲の再捜査を行ったが、新たな収穫は得られなかった。一昨日見つかった被害者の身元は判明したが今回も遺留品は発見できず、明日、遺棄現場の聞き込みを再び行う行動計画を立てて、本日の捜査を終えた。


 もし魔法のようにたちまち何かを見つけられるなら、前任者ももっと犯人に迫れたはずだ。櫻木は手がかりの欠片も見えない現状に落胆を顕したが、彼自身も簡単に進む事柄でないことは分かっている。

 幾度も角度を変え、関係性を見直し、情報収集を怠らず、それで手がかりの一片を掴むことができる。それを得られる時期が現時点でないだけだった。


 警察署を出た久吾は『宵』に足を向けた。

 行方の見えないもう一つの厄介事は、未だ手つかずだった。依頼相手を思えば放り出したい思いも過ぎるが、自らには必要なことでもあった。

 藤堂に渡された便箋には捜索人の名と現住所、僅かな経歴が書かれていた。


 いなくなった男の名は、川西かわにしえい

 二十二才の国立大の医学部学生。両親は藤堂の知人であることを裏づけるように、共に官僚。慢性的医者不足のこの街で医師資格を持ったなら、両親にも並ぶエリートにも成り得るはずだ。

 実家は一番地にあるが、現住所は四番地になっていた。そこには今日の昼間に一度行ってみた。マンションとは名ばかりの古い賃貸住宅のインターホンを鳴らしても誰も出ず、三週間前の消印を筆頭としたダイレクトメールとチラシがポストから溢れていた。


 実家にもおらず現在の自宅にも姿はなく、川西という男が行方をくらましているのは確かなようだった。だが若い男の失踪理由などこの街には幾つも転がる。女絡みか、金絡みか、もしくは街の未来を儚んでどこかに逃亡したか。どれが正解か今は分からないが写真の軽薄そうな顔を見れば、前者二つが該当するように思えた。

 男の足取りを辿る道筋は、生活基盤のあった四番地区にあると考えていた。大学からも遠い地に居を構えた事情を思えば、何らかの接点を持っていたと考えるのが普通だった。しかし関わりは長くても、闇の部分も多いその場所四番地区を久吾自身知り尽くしている訳ではなかった。この街で所在の分からない相手を捜すには、暗い足元を照らす案内人が必要だった。幸い行き詰まる捜査とは違い、その見当は自分にもあった。


「いらっしゃーい、って、なんだ……久吾か」

「随分と結構なお出迎えだな、ケイラ」

 深夜も近い『宵』に客はいなかった。美貌の店主目当てに来る客は少なくないが、場末の飲み屋が満席になるのは年を通してそうある訳でもない。だとしても週末に閑散とするのは少し珍しく、だが内密な話を持ち込もうとしていた久吾には好都合とも言えた。


「久吾、何飲む?」

「いいや何もいらない。水でいい」

「えー、そんなこと言わずに何か飲みなよー。私も飲むからさー」

 言い様用意していたかのように南瓜の煮物が置かれ、冷酒が並ぶ。

 ケイラはこう見えて料理が上手かった。その味を思えば拒む理由もなく、味の染みた煮物を肴に酒を一口呑む。コンビニで調達した食料で餌のような夕食は済ませていたが、懐かしさを思わせる彼女の手料理は少し有り難かった。


「で、何か話があるの?」

 ケイラが紫煙の向こうからこちらを見ていた。察しのいい友人はとっくに気づいているようだった。久吾は何も言わず写真を取り出すと、相手に差し出した。

「えーっと、何これ?」

「その男、ここに来たことがないか? 帝都大の医学生で名は川西映。三週間前からいなくなったそうだ」

 ケイラは写真を受け取り、検分するように眺めたが反応は薄かった。


「んー、見たことないね。この店あんまり若い人は来ないから。きっと久吾の相棒君が最年少」

「そっか、それじゃこの男をどこかで見たことは? お前この辺じゃ顔はかなり広いだろ?」

「えー、そんな言い方しないでよ。まるで私がこの辺りの主みたいに……だけどまぁそれは間違ってないけど、残念ながらこの人は見たことがないよ」

「そうか……」

「でも、心当たりはあるよ」

「どんなだ?」

「この先に『ヴィラン』って店があるのを久吾、知ってるよね? スリル好きの金持ちの子供が集まるちゃらけた店だけど、そんなのは商売だと割り切ってるオーナーとは結構仲がいいの。この川西って子、医大生っていうならきっといい家の子なんでしょ。そこには来てたかも」


 ケイラは言うと猪口の酒を一気に呷り、手元の洗い物を片づけ始めた。それを手早く済ませるとこちらをもう一度見た。

「なんだよ?」

「なんだよって、行くんでしょ? 『ヴィラン』に」

「行くって、店はどうするんだ?」

「もう閉める。どうせ今夜は誰も来ない」

「俺がこの前閉めろって言ったらお前、ものすごく怒らなかったか?」

「えー、だってそれは閉めろって言ったからよ」

 美貌の店主はそう言い放ってにこりと笑う。今は彼女に頼るべきであるが、その上から目線を思うと今後の危惧を多少感じ取って、久吾は微かな溜息を漏らした。

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