7.秋   その2

 一番地区に程近い二番地区の一等地。その中心地で偉そうに門を構える実家はいつも厚顔無恥な顔つきで訪問者を見下ろしていると、秋は思う。

 父、はじめは長年この街で反社会的組織を率いていた。だがその家業は父が母と一緒に車の事故で死んだ時に、呆気なく終焉を迎えた。でもそれから三年が経ち、今もこうしてここに家があるのは、父が死んだ直後から長男の冬人ふゆひとが家業を構築し直し、現在は貿易会社として以前より多大な利益を得ているからだった。


「じゃましゃーす」

 出迎える者がいない広い玄関で秋はスニーカーを脱ぎ散らかした。兄が仕切るようになってから最低限の使用人以外置かなくなったことで、家の中は必要以上に静かになった。

 沈黙が降り積もる廊下を進むと、次は広い庭を見渡せる外廊下に出る。

 父の生業が成り立っていた頃の名残である日本家屋は今も一見の価値を残すが、秋は昔からこの家があまり好きではなかった。風情はあっても古い造りのせいで、家のあちこちに暗がりが多い。子供じみていると言われても、そこに何かがいるようでいつも落ち着かなかった。ここにいた頃より、兄が借り上げたマンション住まいになってからの方が毎日を快適に過ごせていた。


 辿り着いた居間の前で秋は一度深呼吸し、最後の覚悟をして襖を開けた。

 そこには胡座をかいて、こちらを見上げるビジネスマン風の男がいる。相手にかける言葉はとりあえずなかったが、心配せずとも向こうから声がかかるのは分かっていた。

「秋、久しぶりだな。この間からお前には何度連絡したと思ってる? もしかして家に戻る道を忘れて迷子にでもなってたか?」

「はは、何それ、おもしれー」

 間髪入れず兄、冬人の厭味が放たれる。でもそれには速攻で慣れた軽口を返す。これで実家に帰ってきたと実感するが、同時に避け切れない圧迫感も感じ取る。


「退学してどれだけ経つ? 俺の呼び出しも無視するくらいだから、さぞ忙しいんだろうな。実の兄に連絡も寄越さないほど多忙なお前は、一体毎日何をして過ごしてるんだ?」

「さーねぇ、一体何してるんだろうなぁ……まぁゲームしたり、ピザ食ったり、コーラ飲んだり、小便したり、クソしたり、街に出て女引っかけたり、その女とヤッたり……」

「そういうことを訊いてるんじゃない」

「ああ、そうだよな、分かってるよ、分かってるから言ってるんだ」


 座ることもせずに秋は兄を見下ろす。

 自分がスネかじりのクソ野郎だと自覚はあるが、改善する気がないのは兄の金を吸い上げてやろうというクソすぎる思惑があるからか、もしくは自分が本当に骨の髄までクズだからか、その両方か。

「そんな立派な口が利けるなら、もっとマシな生活をしろ。それと俺の会社に風俗だとかキャバクラだとかの請求を回すな」

「へーい」

「おい、本当に分かってんのか? 秋」


 毎度同じことを、グチグチグチグチとうるさい。

 スネかじりのクズに相応しい言葉を秋は心の中で巡らす。

 相手に告げることで完結の意味を為す言葉を発しているのは、兄も分かっている。

 受ける方もそれを分かっている場合はこんな言葉しか返せないだろうと、自虐のような感情を過ぎらす。そういえば歳は少し下だが、やたらと偉そうなところは櫂の兄である九条坂に似ていると秋は思う。留可るかは春からずっと九条坂に夢中だが、あんな男のどこがいいのか分からない。彼女の考えていることは双子の片割れである自分でも、ほぼ理解できない。


「留可の方はどうだ?」

 そんなことを考えていると、以心伝心したのか冬人が訊ねていた。

 彼女とは顔も似ておらず考えも読めないが、思考の根っこはどうにも似る妹のことを秋は思い浮かべた。

「さあ? 二、三日見てないけど、あいつの方は俺と違っていろんな標的を見つけられる学校が大好きだよ。どーにかうまくやってんじゃねーの」

「お前達の同居は留可自身が強く望んだから許したんだ。当然俺もだが、お前も兄だ。お前には妹を守る義務がある。留可のことを、妹のことをちゃんと見てろ」

「あのさぁ、あんた自分が何言ってるか分かってる? 俺がいくら見てても、あいつがやろうとすることは誰も止められない。それは兄貴だって変わらない、分かってるだろ?」


 告げると、冬人は何も応えなかった。

 留可と自分が似ていない事実と同様に、自分と兄も似ていない。兄はどちらかというと死んだ父に似ていた。父と兄、二人の中身は全く異なるが、それは兄自身が強く望んだ結果でもあった。

 そこにいる男は、感情の裏を家族であっても垣間見せることはない。

 両親が死んだ時、。突然の二人の死は兄が意図したものではないか。でもその真相を知る術はもうどこにもなく、もし兄の心中にあったとしてもそれを覗き見ることは不可能でしかない。しかしたとえ両親がどんな死に方をしたとしても、それが兄が意図したものであったとしても、過ぎ去った事実に隠された真実を知ることは、ただ現在を生きるだけの秋にとっては既にどうでもいいことでしかなかった。


「話はそんだけか? もう帰っていい?」

 こんな言い方をすれば相手の怒りが増すのは分かっていたが、長居したくなかった。

 夕刻になれば家の闇がより増す。昏い畏れや怯えが頭の中の出来事でしかないと分かっていても、その一片を垣間見る前にここを立ち去りたかった。

「秋、待て……」

 襖に手をかけると、声が届いた。足を止めようと思わなかったが、自分がどうしようと言葉が背に降りかかるのは分かっていた。

「なんだよ、冬人」

「秋……お前はもっと賢い人間のはずだ。生き方を変えれば、全く違う将来もあるはずだ。だがお前はそれをドラッグや自堕落な生活で無駄にしようとしている……」


 歳の離れた兄は、闇に怯える弟の心情を昔から理解できていなかった。

 彼は酒やドラッグのやり過ぎで自分が目を抉ったと思っている。

 クソ九条坂は妹のことが好きな変態だが、あんたは男の尻を舐めるのが好きな変態だろ? 

 秋は伝わっても意味を為さない言葉のお返しにそう言ってみたくもなるが、クズを自認しても言っていいことと悪いことの判別は時にはつく。

「このままだといずれお前は道端で野垂れ死ぬ」

「へぇ、そっか……でも兄貴、俺達家族にそれ以外の道が?」

 秋は言い遂げると居間を後にした。自らにも向けた言葉の意味は、もしかしたら彼の方が分かっているかもしれなかった。

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