ツギハギテディベア

▼とくに本編とは関係がない

▼もしも〇〇だったらの話

―――






今日は一つしか見つからなかった。


声をかけたら抵抗されたので、中身が傷つかないように大人しくさせた。そのせいで大の男を担いで歩くはめになったが、それくらいなんてことない。薄汚い裏路地の脇に止めてある車の後部座席に男を放り込んでから、助手席に無言で乗り込んだ。


「俺がなに言いたいか分かる?」


深くかぶっていたフードを下ろすと、運転席の男が低めの言葉を漏らした。

目線をやると、色の抜け始めた赤髪の隙間からじっとりとこちらを見つめる瞳とかち合う。その質問には答えずに、後ろポケットから取り出したスマートフォンに視線を移しながら、


「いいから出して」


とだけ言い放つ。

男は「あっそ」と吐き捨てるようにため息をついて、キーホルダーがジャラジャラとついた車のエンジンキーを捻る。キュキュキュという不安げな音ともに、古ぼけたエンジンだけが小さな抵抗をみせた。


「着いたら起こして」

「あーはいはい。かしこまりましたよ斑サマ」


短いメールを送信して、上着のポケットにねじ込む。

固いシートにもたれ掛かって目を閉じるも、奥のほうがずきりと痛い。目的地に着いたらなにか飲もう。そういえばずいぶんとまともな食事もとっていない気がする。お情け程度のチーズが挟まれたエッグマフィンとしなびたポテト、氷で薄まったオレンヂジュースを胃袋に流し込んだのは、一体何時間前のことだっただろうか。

座席のシートを少し倒したのと、不機嫌な中古車が進み出したのはほぼ同時だった。






***


ピ、ピ、と規則的な機械音が聞こえる。

目の前にはガラスがある。その向こうには清潔な空気と白いベッドと、たくさんの管に繋がれた久万さんが眠っている。本当に死んだように眠っているので、心電図からの機械音がなければ、ひどい錯覚を起こしてしまいそうだ。

意識はあるのに泥の中を這うような感覚に、ああこれは夢だと気付く。過去を反芻するような夢。何度も何度も目にしている光景を夢の中まで見なくてはいけないなんて、なんてひどい悪夢だろうか。


(久万さん)


夢なら目の前にあるガラスを通り抜けて、眠っている久万さんを揺り起こすことぐらいできそうなものなのに、ガラスの前から動くことすらできない。


(ねえ、起きてよ久万さん、帰ろうよ)


体は動かず、声も出ず、額にガラスの冷たい温度だけがまとわりついている。

ほんの、ほんの一瞬だった。

自分を凶刃から庇おうとした久万さんが、目の前で瀕死の重傷を負ってしまったのは。

あふれ出る血と臓物を、どうして、どうしてと混乱する頭で繋ぎ留めた。血の気が引いて冷たく震える手にまとわりつく生ぬるい温度が気持ち悪くて仕方なかった。どうして自分なんかを庇ったのか。どうして久万さんでなければいけなかったのか。どうしてこんなことになったのか。何もかもが分からなかった。

そこからのことはまったく記憶がない。気が付いたら病院地下の長椅子に座らされていて、若や杜松組の人たちに今は休めと言われたのを覚えている。


――斑、怪我はないか。


(そんなこと、頼んでない)


――ああ……、お前が無事なら、それでいい。


(そんなこと頼んでない。望んでなんかないのに)


心から安堵したように微笑む久万さんの顔がフラッシュバックする。それと同時に、医師から説明される呪文のような言葉が、何度も何度も繰り返される。出血性ショック、それに伴う多臓器不全、臓器移植が必要、それでも数年後の生存率は……。


(……一人にしないで)


完全に乾ききってしまった血まみれの両手を見下ろしながら、自分が“何をすればいいのか”だけははっきりと分かっていた。





***


「おい、おい斑、起きろ」

「ん……」


男に肩を揺さぶられて目を開けると、目的地――病院の地下駐車場に着いていた。


「着いたぞ。んで、さっさと後ろの下ろしてくれる? 俺の愛車はカワイイ女の子しか乗せたくねーの」

「ああ、分かってる。……ありがと」

「“こんなこと”で礼言われたって嬉しくなんてねーんだけど?」


だるい体をのそりと起こして車を降り、後部座席から男を引きずり出す。そして、蛍光灯のチカつく通用口に向けて歩き始める。


「……、言っとくけど、俺はお前がやってることには賛成してねーから」


半分だけ開いた運転席の窓から、サラの低い声がこぼれてきた。

担いだ男の肩越しに振り替えると、すがるような琥珀色の眼と視線がかち合う。


「ありがとうサラ」


にこりと、笑えていただろうか。

それだけ言うと、再び歩き始めた。


「……っ、久万さんもそう言うと思うぜ! 上手くいったとしても、お前、ぜってー死ぬほど怒られるんだからな!! 二度と顔合わせてもらえなくなってもいいのかよ!」


通用口のドアが閉まりきる前に、後ろからサラの怒鳴り声が聞こえた。

久万さんは望んでいない?

久万さんに死ぬほど怒られる?

久万さんに二度と顔を見せるなと言われる?


(そんなこと、ハナから分かってるよ、サラ)


また一緒にご飯を食べたい。

料理をしているのを見ていたい。

服を脱ぎ散らかして、その辺に置いておくなと怒られたい。

少し離れたところで、タバコを吸っているのを眺めていたい。

困ったように笑うのを見ていたい。

……こんな願いが、何一つ敵わないようなことをしてしまっている自覚もある。目覚めた久万さんに罵倒されようとも、拒絶されようとも構わない。すべては、久万さんを取り戻すためだ。


(この世界に久万さんがいないこと自体が、間違ってるんだから)


誘導灯の緑の光を頼りに、慣れた足取りで夜の病院を歩き進む。


今日は一つしか見つからなかったけれど、これでだいぶ入れ替えも進んだはずだ。交換し終わったら、またどこか適当な路地裏にでも放置しておこう。


(勝手にいなくなるだなんて、……絶対に許さない)


ああ、本当に、“能力トクベツ持ち”でよかった。






/end

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