3話

 気づけばすっかり夜になっていた。亮は前の工場で働き、前と同じアパートに住んでいた。


「帰る場所が決まってるなら安心ね。お腹空かない?ご飯食べに行こ!」


 加波子のアパートから近いファミレス。メニューを見る加波子を見る亮。それに気づく加波子。


「何見てるの?」

「別に。」

「さっきまであんなことしてた女と、なんで今俺ここで飯食ってんだ?って思ってるでしょ。」


 そっけない亮に加波子はいじわるを言う。


「そんなこと思ってねーよ!」


 加波子は笑いながら言う。


「亮って単純。」


 注文をし、料理が運ばれてきた。仲良く食べるふたり。その最中、亮が箸を止める。


「思ってたんだけど…。」

「なに?」


 亮からの振りは珍しい。


「なんで俺だったんだ?」

「なんでって?」

「だから、なんで俺だったのかって聞いてんだよ。」

「なんで俺のことを好きになったのか、ってこと?」


 亮は何も言わない。可愛い面も亮にあるんだと知った加波子は、にんまりした後、箸を置き考える。


「なんでだろ…。」

「なんだよ、それ。」


 真剣な加波子に笑う亮。


「あの日…あの夜、雨の中走ってく亮から目が離せなかった。亮じゃなかったら、傘を返そうとも思わなかったし、また会いたいなんて思わなかった。それだけはわかる…。」

「俺に一目惚れか?」

「そうかも…。」

「お前、俺のことからかってんのかよ。」


 亮は笑う。加波子はまだ真剣だ。


「私の壁を壊してくれるのはこの人だって、本能が思ったのかもしれない。潜在意識っていうの?なんか、そういうの…。…でも、人を好きになるのに根拠って要る?私には亮だった。他の誰でもない!さ、食べよ!」


 やっと笑った加波子に亮は思った。加波子は大きな何かを抱えている。そしてそれでも自分を選んでくれたんだと。この女を大切にしよう、亮は思った。そんな時だった。


「あ、今日私プロポーズされたんだっけ。忘れてた。」


 コーヒーをつまらす亮。


「もちろん断ったけどね。」


 平然としている加波子。驚く亮は咳き込んだまま聞く。


「誰にだよ。」

「誰?んー男の人。」

「だから、どこのどいつだよ。」


 亮はまだ咳き込んでいる。


「どこ?んー渋谷区って言ってた。一度だけ先輩に合コンに連れて行かされて、そこで会った人。好きな人がいますって言ったんだけど、プロポーズされた。だから今日はっきり言ったの。私は足立区でしがないOLやっていたい、私の気持ちは変わらないから待たないでって。」


 平然としていた加波子が、目を細めて話し始めた。


「途中でね、フラッシュバックしたの。」

「フラッシュバック?」

「そう。頭の中が突然真っ白になって…その後、亮のことが一瞬で一気に蘇ったの。あんなこと初めてだった。それでアパートに帰ったら亮がいて…。本当に信じられなかった、現実なのか幻なのか…。…叩いたりして、ごめんなさい…。」


 亮は飲み終えたコーヒーのグラスを置く。ふたりとも少しうつむいている。


「いや、俺も悪かった。嫌味なこと言ったり怒鳴ったり。悪かった。悪かったよ…。」


 久しぶりの亮のらしさ。


「でも、約束は守っただろ?」

「約束?」

「あの時、必ずここに帰るって言っただろ。」

「…あ…。」


 加波子は思い出していた。あの夜、亮が部屋を出ていく時、確かに言ったことを。


「…初めは、逮捕されたやつのことなんか忘れるだろうと思った。でもお前はしぶとかった。しぶとすぎだろ。手紙、面会…。手紙は見なかった。見たら会いたくなる。」

「じゃあ!どうして面会を?!」


 加波子は拳でテーブルを叩く。その拳を亮は包む。


「顔を見たら触れたくなる。そんな想い、したくなかった。それにそのうち必ずあの部屋に帰ってみせるって思うようになったんだ。お前から会いに来るんじゃなくて、俺が必ず帰るって。」


 加波子のしてきたことは、無駄ではなかった。色んなものを飲み込んで、我慢して、生きてきて、生き抜いてきて。


 加波子は生きている実感を取り戻した。そして涙が出るようになった加波子。こらえきれず、手で顔を覆い涙を流す。


「…わたし…がんばったでしょ…?」


 亮は加波子の頭をポンポンとやさしくたたく。やはり亮は変わっていなかった。


「ありがとう、加波子。」


 止まっていた加波子の心の時計が動き始めた。



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