第21話 崩壊と
早乙女が首を傾げると、長い黒髪が流れるように垂れ下がる。際立って赤い唇をキュッと引き絞り、隙間から純白の歯が覗いた。
異様だった。年齢に比して若く美しい筈なのに、おぞましさが先立つ。
「ふふ、ふ……それはね、ふふ……」
何がおかしいのか、爪を噛むように歯を食いしばっていた。
「何を……笑っているんだ貴女は。何がおかしいんですか」
おぞましさを振り切り様に、敢えて強い口調で問うた。
「だって、ねえ。ふふ……」
それがおかしくて堪らないとでも言うように――悪意すら口の端に込めて。
「何も書いていないのよ。その原典とやらには」
早乙女はそう言った。
「…………?」
何を言っているのか分からず、和矢は眉を顰めた。陽向と眼を合わせるも、彼女も首を振る。
高辻と真弓の反応も似たようなものだった。
「どういう……ことですか?」
高辻が問うと、早乙女は面倒くさそうに手を翳した。
すると、真弓が持っていた歴史書の原典が、何時の間にか早乙女の手に収まっている。
「貴方達が言っている原典というのは私の能力『新世界より(ミッドサマー・ナイト・ドリーム)』の一部」
言いながら、階段を昇る。メトロノームのように一定のテンポで。厚めのヒールが高い音を立てる。昇りきると振り返った。
高台には女神マユミェンテの偶像が置かれている。金色で、光を反射して眩しい。
その光の全てが。
「そう、私がこの世界の神よ」
今や早乙女を照らす輝きだった。
陽向が一歩、前に出る。
「貴女がそのようなものであることなど、先刻承知だ! 我々が知りたいのは動機だ。なぜ2人に世界を与えた!」
そんなことをしなければ、元の世界で誰もが平穏に暮らせていた筈だ。言外にそのような糾弾が込められている気がした。
それを聞いて、早乙女は深々と嘆息した。
そして、もう用済みとばかりにマユミェンテの像を高台から落とす。十数メートルを落下し、バラバラに砕け散った。
「世界を与えた理由だの、原典の中身だの……それ、本当に一々説明しないといけない? 神に説明責任なんて求めないでよね」
うんざりしたように彼女は髪をかきあげた。早く切り上げてカフェにでも行きたい――そんな態度だった。
そのあまりに無責任な態度に、和矢と陽向は絶句した。説明する気が無いというならば、こちらとしてはどうしようもない。
だが、真弓は違った。
「お願いします、早乙女先生」
しわがれた声で、しかし懸命に訴える。
「私たちは世界の維持に、文字通り人生の全てを捧げました。先生から頂いた原典に従えば、きっと素晴らしい世界を作れるだろうと。……なのに、原典に何も書かれていないだなんて、どういうことですか? 確かに私達には多くのものを読み取れました」
「その通りです。だからこそ私達は、一度はそれぞれ親友と見立てた2人を殺そうとさえした。今でもそうです。この2人が存在さえしなければ、この世界は上手く回っていた筈なんだ! それを、それを……」
数十年だろうか。2人が過ごした時間は。2人が和矢と陽向に向けて抱き続けた殺意の感情は、それだけの時間を回り続けた。それが無意味だったとすれば、それは――想像するに悍ましいことだ。
歳を重ねた想い人の訴えは、和矢の心に痛みを遺した。高辻もだ。もはや二度と交わることのない人生なのだと悟る。
早乙女は心底面倒くさそうに2人を見た。
「だから、なんでそんなことまで説明してあげなくちゃ……」
「説明してもらいますよ」
和矢は声を張り上げた。
「神である前に、貴女は教育者の筈だ!」
「おっと、面白いところを突くわね。教育者である前に神だったのかもしれない……と反論してあげたいところだけれど」
高台に昇っていた早乙女の姿が消えて、和矢の目の前に現れた。
「天領寺君に免じて説明してあげようかしら」
耳元で欹てられ、背筋に嫌な汗を掻いた。
「……! 免じるなら、あの2人にしてくださいよ。理事長が生み出した犠牲者でしょう」
「犠牲者ねえ。その辺りの認識から間違っているのだと思うわ」
早乙女は歴史書の原典を開いてみせた。
和矢と陽向、そしてシェキーナが確認したそれには――。
「何も……書かれてない。ただの、無地の本だ」
「そんな!」
真弓が声を上げ、ヨタヨタと走ってきた。高辻も息を切らして駆け寄ってくる。
「和矢、お前にはこれが見えないのか!?」
「これって言われても……」
真弓に詰め寄られ、陽向も困惑していた。2人にはそれがちゃんと見えているらしい。
何時の間にやら距離を取っていた早乙女は、興が乗ってきたのか何処か嬉しげだった。
「アカシックレコードね……まあ言い得て妙だとは思う。世界の全てが書かれてある……だなんて。まあそりゃそうよね。だって2人が見ていたものは、ただの願望なんだもの」
「願……望…………?」
「世界がこうあって欲しい、こうあるべきだという未来予測。まあ精度は極めて高いわよね。管理者の願望なんだもの」
嘘だ、と高辻が呟いた。
「私も真弓も、この世界の破滅なんて望んじゃいない……」
「もちろん」
早乙女はもちろん、もちろんと、念を押した。
「貴方達はそんなことを望んじゃいない。ファンタジー世界だなんてバランスの悪いものを、よくぞ数千年分も育て上げたものよ。……だから、これは生物としての性質の問題よ。全く、呆れるわね。予定調和の破滅だなんて」
「性質……?」
「そう。生きているなら何れは死ぬ。人間ならば、誰もが知っている原理。管理者として自己を世界に投影した2人は、世界の破滅をも織り込んで創造してしまった」
望もうと望むまいと至る終点がある。少なくとも、人はそれを知っている。例え乳幼児は知らずとも、高校生ともなれば知らぬはずも無い。世界を崩壊に導いたのは、そうした常識だと早乙女は言った。
「じゃあ、天領寺君や陽向さんが来なくても……この世界は終わっていた…………?」
呆然と真弓が言った。
「そうね。人が作った以上、必ず何れは壊れる世界だったのだけれど……勝手に親友を憎んで、勝手に親友を殺そうとして……ああ、親友だからこそかしら。何が最も効果的に自分たちの世界を壊せるのか、本能的に理解していたのだわ」
「嘘だ…………」
絶望的な声音で、高辻は膝を付いた。真弓は声もなく立ち尽くしている。
項垂れる親友と想い人の姿は――例えそれが自身を殺そうとしていた者であっても――和矢にとっては耐え難いものだった。
「貴女は……貴女はいったい、何様のつもりだ……。いったい何が目的なんだ!」
「もちろん、世界のためよ」
「世界だって? ふざけるな……こんな残酷なことをして、何が神だ! 夢を見させるなら、最後まで責任を持ってくれよ!」
「残酷? 心外ね。貴方達を殺すためだけに、そこの2人が何千人殺したと思っているのよ」
焼け落ちた街、焦げ付いた脂の臭い、四肢をもがれて湖に浮かぶ人達の姿がフラッシュバックする。恐るべき残忍さと言えた。
早乙女は肩をすくめた。
「まあ神は本来、人にとって残酷なものなのだけれどね」
そんなことを聞きたいのではない。もはや救いようのない2人の友に、今少し夢を見させてやって欲しかった。
こんなことならば、早乙女は出てくるべきではなかった。
終端の神として、高辻と真弓の2人に憎まれたまま、この世界と分かれていた方が余程よかった。誰から憎まれようとも、高辻と真弓の心は、まだこれほど絶望しなかったかもしれない。
終端の神として世界を破滅に導いたのは、他ならぬ和矢自身だった。そんな和矢が早乙女を糾弾して、何の救いになろうか。それでも言わずにはいられなかった。
力任せでは勝てないことを、本能的に理解してしまったからだ。
終端の神として在るからこそ分かる。真の創造主は早乙女だ。この場に居る全員を気まぐれで消してしまうことも容易いのではないか。そう感じた。
勝てないからこその糾弾だった。負け犬の遠吠えだった。
その時、和矢の服を引っ張る者が居た。
「落ち着いてください、和矢さん」
シェキーナだった。
「おかしいですよ」
「おかしいって……何がだ?」
「私は光の精霊として、この世界に現出したあらゆる勇者を見てきましたが……揃って自身の能力を誇っていました。先ほどのように」
ミッドナイトなんとかかんとか、というのをドヤ顔で言っていた早乙女を思い出し、和矢は頷いた。実を伴っているので何とも言えないが、それは厨二病の特権だ。だが、それも無理のないことだろう。勇者として異世界に転移し、神から万能とも言える能力を授かれば、誰でもそうなる。
それは、神なる存在の裏付けがあるからだ。
「神が自身の能力を誇るでしょうか」
それは極めて人間的な反応と言えた。全能の神は逆説でしか語ることが出来ないが、そうだとすれば1つ、人間的ではないことが神だ。人間的であるということは、人間なのだ。
「あの方は、本当に神なのでしょうか」
「早乙女理事長は神じゃ……ない?」
ならば、他に創造主が居るということか? あの黒鎧が本当はそうなのだろうか?
「いや、天領寺。これはそういう話では無い……のかもしれない」
陽向が呟いた。
「早乙女理事長は、言うまでもなく我々の世界で生きる人間だ。私立聖陵学園で理事長を務める以前は一教師であり、当時は未だ学生だった夫に噴水の前で告白された。それは知っているだろう」
勿論だ。キューピッド像の伝説。あの日の深夜、それを期待したからこそ和矢は噴水まで趣いたのだ。
「私立聖陵学園が、代々早乙女一族の持ち物だということも知っているな?」
「それはもちろん知っているけれど……」
学校法人早乙女学園は一つの平凡な予備校に端を発し、今では医療法人や社会福祉法人まで経営する巨大グループである。数年前に早乙女七星が理事長へ就任するまでは、彼女の父親がその任に当たっていた。
だが、それが何だというのか。
「其処にいる早乙女理事長は、歴とした人間だということさ。私は彼女自ら、学生時代や子供時代のアルバムを見せてもらったことがある」
その指摘に、早乙女はつまらなさそうに言った。
「なんだ。気が付いちゃったのね。あんまり持ち上げるものだから楽しくなってたのに。……私はもちろん神じゃないわよ」
「なんなんだ、貴女は……。本当はいったい何者なんだ?」
「見方を変えれば、貴方たちと同じよ」
「俺たちと、同じ?」
早乙女は高辻から陽向まで、4人を指した。
「君たちの世界の神……つまり、始原世界の神に呼ばれ、君たちが言う異世界から転生してきた者」
「…………え?」
「始原世界を救うためにね」
いつか、高辻が語っていた小説の設定を思い出した。ウェブで流行っている異世界ものには転生ものと転移ものがある、と。
和矢に陽向は、始原世界から高辻達が作り出した世界へ転移してきた者。肉体も年齢も記憶もそのままで、強力な能力を付与されることが多い。
かたや早乙女は始原世界へ転生してきた者。即ち、何処だか分からない異世界から、始原世界へとやって来た者だというのだ。転生の場合も強力な能力を付与されている場合が多いのだとか。
早乙女が持つ世界を創る能力は、つまりそうしたものが由来なのだろう。
「世界を救うって……」
混乱した頭で、和矢は問うた。
「どうやって……?」
いや、そうではない。それも重要だが、もっと重要なことがある。
早乙女の言を信じるならば、始原世界は滅びかけているということになる。
だが、そんな予兆は見られなかった。少なくとも和矢が知る限り、この世界のように滅びかけているということは無いはずだ。
ラピスラズリの能力を介して、外の様子が何となく伝わってくる。空は高潮めいてうねりを上げ、大地は縦横無尽に避け始めていた。始原の神殿はまだ持つだろうが、この神殿を支える大地が崩壊を始めるまで、そう時間は無いだろう。
そのような危機的状況が始原世界に迫っているなどとは、とても思えなかった。
あるいは戦争、あるいは疫病、あるいは天災。そのようなものが迫っているということなのだろうか。
「その全てであり、その全てでないと言えるわね」
まるで禅問答のようなことを早乙女は言った。
「茶化そうというわけじゃないのよ。私も何が起こるかなんて分からないのだもの。ただ……」
ただ、と早乙女は俯いた。
「世界は……人類はいつだって崩壊へ向かっている。その不幸を回避するために、私のような存在が必要なのよ。その世界とは本質的に無関係な、人類破滅の予定調和に組み込まれていない存在が」
「……分からない。貴方は、じゃあどうして破滅が確定した世界なんて高辻達に与えたんだ? この世界を……バランスの悪い世界を、勇者を呼んでまで維持した理由はなんだ……?」
やっていることがチグハグだった。そもそも、早乙女の能力でどうやって始原世界を救うというのか。
「始原世界の不幸を回避するためには、膨大なエネルギーが必要となる。破壊と再生。創造と焼却。だから神は私に世界創世の能力を与えた。もちろん限定的でしかないのだけれどね」
世界を作り、破壊することでエネルギーを得る。
長く続いた世界の方が、破壊した時に大きなエネルギーを得られる。そのためだけにこの世界を維持する手助けをしてきたというのだ。
「私はこうやって、ずっと世界を救ってきた。私自身は誰かに与えることしか出来ないから、適性のある人間を選び出して、キャンバスを与え、世界を作らせて……」
そこで、ふと気がついたかのように早乙女は言った。
「ああ、これだけは謝らないといけないわね」
彼女は高辻達の方を振り向いた。
「まさか、一生を棒に振るほど没頭するだなんて思わなかったの。ふ……ふふ、まさかそんなに馬鹿だなんて思わないじゃない。遊びは遊びに留めておきなさいって、幼稚舎の教育に組み込むべきかしら」
「お前は……!」
親友達への罵倒に和矢がキレ掛けた時。
ズ、ズズ――と世界が蠢いた。
一瞬で頭が冷える。世界の崩壊が一段階進んだ。ラピスラズリの能力で神殿を支えきれないほどの崩壊――地盤が崩れだした。
足元が波のように蠢いて、五月蝿いほどに視界がぶれる。
早乙女は宣言した。
神の如く君臨し、地を這いずる者達を遍く睥睨して。
「天領寺君、選びなさい。原典に書かれてある通り、世界の破壊は近い。ただ、真弓さんの力を我が物にすれば、それは免れるかもしれない。そうすれば、始原世界にはどんな不幸が起こるか分からないけれど……。ふ、ふふ、君の世界か、君の愛する者が選んだ世界か、どちらかを選びなさい」
それが心底面白くて仕方がないとでも言うように、早乙女は口角を歪めた。
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