第9話 惨劇と

 水底での訓練を開始して、1ヶ月と少しが経っていた。

 その頃には、クソババアに貴婦人のルビを振ることに躊躇いがなくなっており、もはや貴婦人にルビを振っているのか単にクソババアと呼んでいるのかの区別が付かなくなっていた。つまりはそれだけ過酷な訓練だったということだ。

 それは、街でアルに課せられた訓練よりも辛いものだった。

「うぅむ、儂が考えた『力の引き出し方講座』が伝わらぬとはのう。これは実力行使しかないようじゃ」

 擬音と身振り手振りで伝わらないことに業を煮やしたのか、貴婦人は唐突にそんなことを言いだしたのだ。和矢がクソババアという単語に貴婦人のルビを振った初めての瞬間だった。

 それから貴婦人は水のゴーレムを数体作り出し――和矢を泉まで殴り飛ばしたゴーレムと似たような形状だった――和矢に襲わせたのだ。

 泉の中に居る限り、死ぬことはない。傷や疲労は回復していくし、腹も減らなければ睡眠の必要すらない。その天国のような環境が修行を地獄へと変えた。

 この一ヶ月は文字通り戦い詰めだった。1秒も休んだ記憶がない。だが、そのお陰で能力行使のコツはかなり掴めてきた。

 いま、4体の水ゴーレムが放つパンチが、うねりを上げて四方から和矢に迫った。その破壊力はこの一ヶ月で尽く体験済みだ。当たれば容赦なく身体を削っていくだろう。

 だが、和也はその攻撃を避けることなく、棒立ちで全て受けきった。四方から受けた衝撃が、体内で爆弾を炸裂させたかの如く身体を膨張させる。

 瞬間、能力を発動させる。

 ゴーレムにペーストした傷と衝撃が、4体のゴーレムを尽く体内から爆散させていた。

 静まり返った湖底で、貴婦人が膝を打った。

「見事じゃ! 完全に掴みおったな!」

「おうよ、クソババア!」

「このクソガキが……!」

 とはいえ、能力については、完全に使いこなせているかどうかは不明だった。色々と柔軟性があるらしく、単純にコピペするだけでも無いようだ。

「まあ、細かい調整は街へ戻ってから考えてはどうじゃ」

「そうですね。……ていうか、結局なんで崖から落とされたんだ俺は」

 修行の定番のような気はするが、それでもゴブリンやら何やらが徘徊する森へ突き落とされたのは、死の危険性すら十分に有り得る荒行だった。いや、そもそも陽向が王となったから統率が取れていただけで、元々あの辺りにはゴブリンは居なかったのかもしれない。

 アルには1ヶ月も放置されている計算になるが、彼は何をしているのだろうか。帰りが遅いと、今頃は森を探し回っているかもしれない。

 それと、ラピスと陽向のことも気になっていた。逃げ出しままだったが、ラピスは無事なのだろうか。日向とて現代世界に生きる人間だ。ゾッとする殺気を放っていたが、簡単に生き物を殺せるような覚悟を持っているとは思えないが――。どちらにせよ、ラピスにも無事を報告しなければなるまい。

「じゃあ、帰ります。ええと、このまま水面を目指せばいいんですか?」

「まあ、待て。折角じゃから送ってやろう」

「送る?」

「儂は水の精霊じゃ。ある程度の範囲なら水を介して転移させる事ができる。一方通行じゃがのう」

 流石は水の貴婦人といったところか。

 貴婦人がさっと手を振ると、数メートル上部に人間大の光輪が出現した。そこに飛び込めば転移するらしい。

「行き先はカリシュの街で良いのじゃろ?」

 カリシュとは、和也が目覚めた、アルやシェキーナが住む街だ。そこの外れにある、大きな湖が転移先らしい。森に囲まれた静かな湖畔だ。

「何かあったら、また訪れるが良い。救世主よ。いつでも歓迎じゃぞ」

「もう二度とこねぇからなクソババア(色々と有難うございました。また来ます!)

「本音と建前が逆じゃ!」

 追い立てられるようにして、和矢は光輪へ飛び込んだ。

 光輪の先へ進むと、明確な重みが和也に伸し掛った。これが本来の水中ということか。水は冷たく、呼吸も出来ない。

 着衣状態での水泳は危険を伴う。しかし、こちらへ転移してから身体能力は飛躍的に上昇している。この程度の重みは苦にもならなかった。

 水面に到達すると、そこが湖の真ん中であることに気が付いた。

「なんだよ、せめてもっと近いところに繋いでくれればいいのに……」

 悪態をつきながら、4方を見渡して街の方角を見定める。

 すると、右手に煙が上がっている。もちろん、珍しいことではない。調理などで火を起こせば煙が出る。特定の時間帯になれば、どんな民家の煙突からも煙が上がる光景を、アルとの修業中に見ていた。

 だが、それが黒煙となれば話は別だ。

 幾筋もの細い黒煙が棚引いていた。

「火事か!?」

 驚いて泳ぐ速度を上げるが、途中で止まった。

 湖は森に囲まれている。街もだ。街から湖へは、森の中に開かれた道を通るしかない。その森が、木々の殆どが焼け落ちている。

 更に、何だろうか。進行方向に多数の何かが浮いている。

 恐るべき予感に震えながら、和矢は泳いだ。泳いで、泳いで、障害物があれば平静を装ってどかして進んだ。足が付く場所まで来ると、障害物を掻き分けて進んだ。足の踏み場もないほど浅瀬に漂った障害物を、殆ど這いずりながら乗り越えて、漸く岸へと登りきった。

 そこで、初めて嘔吐した。

 障害物の正体は人間だった。

 焼け焦げているものもあれば、綺麗な状態で死んでいるものもあった。山のように積まれた遺体が、湖に広がっている。これは街の住民達だろうか。

 和矢の胃袋に吐くものは無かったため、胃液だけが地面へと流れた。震える身体を叱咤して、何とか立ち上がる。悍ましい臭気が辺りを包んでいた。修行の合間に訪れた場所とは、まるで別だ。

「なん……なんだこれは、なんなんだ?」

 立ち上がったものの、直ぐにへたり込む。耳が長いとはいえ、和矢と彼らの容姿には、その程度の差しかない。能面のように無機質な遺体の顔が、夢であれば良かったのにという幻想を打ち砕く。

 街の人間が死んだ。どうして、いつ?

 疑問が脳内を駆け巡るが、混乱して思考が纏まらなかった。ふと、遺体の状態に気が付く。既に腐り始めている遺体もあれば、新しく見える遺体もある。焼け焦げているものもあれば、明らかに外傷を負っている遺体もあった。

(これって、ゲームとか漫画とかで良くある……攻め滅ぼされたってやつなんじゃ?)

 それに気が付いて、背筋が泡立つ。新しい遺体があるということは、それを成した者も近くに居るということで――。

 すると、遺体の間から、何かがひょっこりと顔を覗かせた。

 初めは子供かと思った。だが違った。人のようで人ではないもの。赤い瞳と四本指の長い爪が特徴的な――それはゴブリンだった。

 遺体の間から次々とゴブリンが現れ、最終的には総計10体を超えていた。喉を鳴らし、和矢へと無造作に近寄ってきた。

 ゴブリンがこの惨状を作り出したのだろうか。よく見ると、ゴブリン達の口元には肉片らしきものがこびり付いていた。遺体を食べていたのだ。

 和也は戦いた。明確な死の恐怖が押し寄せてくる。貴婦人と修行していた時とは違う。あの時は死の心配がなかった。だが、今は違う。陽向に追い詰められた時と同じか、それ以上の恐怖に苛まれていた。

 腰を抜かしたように身体が動かない。

 そして。

 接近したゴブリンの手が伸ばされ、頬に爪が触れようとした瞬間。

 ゴブリンの頭が破裂した。

 同時に、和矢の身体が群れの背後に現れる。

「え……?」

 和矢の身体は、拳を振り抜いた姿勢で静止していた。

 自分が何をしたのかは、瞬時に理解できた。

 頭では恐れても、身体は勝手に動いたのだ。

「エフッエフッエフッ……ダヴァイッッ!」

 ゴブリンが奇声を上げて襲いかかってきた。先ほどまでの油断していた状態ではない。完全に戦闘態勢だ。

 だが、遅い。鈍重な外見のゴーレムにすら劣る速度。パワー面で見れば比較の余地もないだろう。休むことなく水ゴーレムと死闘を繰り広げた今の和也にとっては、蟻が接近してくるような感覚だった。

 十数秒後には、全てが終わっていた。全てのゴブリンが身体の何処かを損傷し、痙攣している。能力を使うまでもない。

 それを、自らの手で成したことが信じられなかった。戦いの成果を、ではない。戦いの結果を、だ。ゴブリンを殺すことに――命を奪うことに、何の躊躇もしなかった。

 これほど簡単に生命を奪えるとは思わなかった。

 こちらの生命が掛かっているとはいえ、そのことが少しショックだった。


 

『和矢』



 その時、耳元で声が聴こえ、弾けるように跳びず去った。

「……なんだ?」

 確かに呼ばれた気がした。しかし、誰も居ない。和矢いた場所には、一匹の蝶しか――。

『和矢、聞こえているかい?』

 それはアルの声だった。

「もしかして、この蝶が……?」

『無事だったようでなによりだ。付いてきてくれ』

「アルさん、一体なにが……」

『説明は後で。そこに留まっていると危険だ』

 やはり、この場所は危険らしい。だが、知っている者の声を聞いて、かなり安堵出来た。

 蝶の導きで、焼けた森を進んでいく。

 道中、冷静になってきた頭で思い出した。ゴブリンの王は海堂 陽向だ。では、陽向がこれをやったというのだろうか。何のために。和矢を殺すためにか? 

(陽向さんは岩動さんに想いを寄せていた。俺を殺した方が都合が良いってのか? そこまでするか、普通……。それだけのために、あれだけの人を……)

 そうなると、街の住民が死んだのは原因は、和矢にもある。それに気が付いて、再び吐き気を催した。

 何かから逃げ出したのだろうか。森の焼け跡にはたくさんの遺体があった。

 考えると頭がおかしくなりそうだったので、努めて何も考えないようにした。

 しばらく歩いて、妙な感覚に襲われた。貴婦人の作り出した光輪を通り抜けた時のような――。

「森が……」

 目の前の光景が一変していた。

 森が焼けていない。青々とした木々が生い茂っている。振り返ると、其処には森の焼け跡が広がっていた。

 これもアルの魔法だろうか。漫画やゲームの知識を引っ張り出すならば、結界を張っていたということか。

 そうして、到着したのは例の小屋だった。小屋の周囲には、テント状の何かが数十と貼られていた。皆一様に項垂れており、和矢に気が付いた者はいない。

 難を逃れた人も居たのだ、と和矢は胸をなでおろした。だが、街の住民は数千を超えていた筈。助かったのはこれだけなのだろうか。

 小屋へ入ると、其処にはアルが居た。ベッドの前に座り、難しい顔をしている。

「やあ、和矢。どうやら水の貴婦人のところにいたようだね。連絡の魔術が及ばなかったよ」

 和矢の姿を見て、安堵したように笑った。だが、以前の飄々とした態度は見られない。彼もまた、打ちのめされているのだろう。

「それは……シェキーナですか…………?」

「そうだね。……奴にやられてしまった」

 ベッドに寝かされていたのは、シェキーナだった。その姿を、和矢は直視出来なかった。右腕以外の四肢が無い。顔と身体の半分は包帯で隠されていた。どうも火傷の痕らしい。大量の汗をかき、苦しみで呻いている。

「奴って……一体、なにがあったんですか?」

 いや、それよりも重要なことがある。

 和矢はシェキーナに触れると、そのステータスをコピーした。これは修業中に気が付いたことだが、ステータスは複数をストック出来るのだ。

 そして、自身の健康な状態をシェキーナにペーストする。修業中には破壊のためにしか使用しなかった能力だったが、和矢は改めて能力の凄まじさを知った。先程まで苦しみ喘いでいたシェキーナが、瞬く間に健康な状態に戻ったのだ。四肢は戻り、火傷もなくなっている。

 安らかな寝息をたて始めた。

「それは……それが君の能力なのかい!? やっぱり有ったんじゃないか、能力! しかし凄いな、どんな魔法でも出来ないことを……!」

 思わず、と言った様子でアルが立ち上がった。

 よほど衝撃的だったのか、椅子が倒れたことにも気がついていないらしい。

「あの……アルさん。それより、何があったのか説明して貰いたいんですけれど」

 シェキーナを救うことは出来たが、大量の住人は死んでしまった。その原因が自分にあるのか。それをはっきりさせなければ、叫び出してしまいそうだった。

 和矢の様子を見たアルは、少し眼を細めて頷いた。

「あれは二週間前だったかな。帝国軍の一団がやってきたんだ。最近、ゴブリンの動きが妙だということで、調査にやってきたらしい。何か被害は無いかってね」

 この街が帝国の領地にあることは、アルから聞いて知っていた。ゴブリン云々は、陽向が王に収まったからだろう。

「町長にとっても寝耳に水だったようで、特に問題は無いと伝えたようだけれど……それから間もなく、帝国軍とゴブリンの一団に大きな衝突があった。街の人は、急に始まった闘いを恐れていたけれど……闘いは崖の下に広がる森で行われたからね。まだ、余裕があった。その時まではね。思えば、あの時に避難を開始していればよかった……」

 忸怩たる思いがあるのか、努めて平静を装って説明したアルも、その時は感情を顕にした。だが、直ぐに頭を振る。

「しばらくして、森に火の手が上がった。誰がそんな愚かなことをしたのかと、憤激したね。なぜって、ラピスラズリが心配だったからさ」

 ちなみに、和矢のことは心配していなかったらしい。水の貴婦人のところにいる可能性が高いと思っていたようだ。それは間違いではなかった。

「どうしてラピスの心配を?」

 確かに2人は知り合いのようではあったが、殺しても死にそうにない男だ。戦場でも立派に生き延びるだろう。

「その様子だと、見立て通り彼とは遭遇していたようだね。なぜ、彼の心配をするかって……それは、彼が森の精霊だからだ。森が無くなっては生きていけない」

「…………」

 何だろうか。和矢の中の精霊感が破壊されていく。この世界にはババアか変態の精霊しかいないのだろうか。いや、今はシリアスの時だ。和矢は邪念を振り払った。

「だが、驚いたよ。森を焼き払っていたのは、そのラピスラズリだった」

「それって、どういう……!?」

「そして、ラピスラズリは街へも攻め入ってきた。大量のゴブリンを引き連れてね。傍らには1人の魔法使いが居た」

 その魔法使いをアルは知っていた。拝火教を源流に持つ、過激派魔術教団『黎明の十字団』。地母神マユミェンテを崇める彼らは、洗脳の魔法も得意としていた。

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