第5話 宿敵と

「キィヤアアァァア!」

「ガギャギッギ! ギギギィイ!」


 安心してラピと話しこんでいたのも束の間、ゴブリン達の声が辺りにこだまする。


「カアックィ! カァックィ!」

「ガガキャンマ!」


「あいつ……仲間を連れて戻ってきたのか!」


 和矢は手にしたブロードソードを構えなおす。

 一ヵ月木刀を振っていたおかげか、実戦の経験さえないものの、自分でも結構サマになっている気がする。


「待って、かずちゃん! 様子がおかしい!」


 ラピは制するように、見方を変えれば守るように左手を和矢の身体の前に突き出した。


「ど、どうしたんだ?」

「このゴブリン達、祈りみたいな……いや、何かを讃えている」


 ラピの言葉が終らぬうちに、ゴブリンの大集団が二人の前に姿を現した。


「キャオー、キャオー……キャオラッ!」

「ゴーギャッ! ゴーギャ! ゴーギャ!」

「ゴーギャッ! ゴーギャ! ゴーギャ!」


 ゴブリン達は、手に手に木の枝を持っていた。枝の先には胡桃のカラのようなものがゆわえつけられており、振るとカラカラと音が鳴る。彼らは二人の姿を認めると盛んに枝を上下させはじめた。


「言葉がわかるのか?」

「少しだけね」


 ラピは和矢にウィンクして見せる。


「お、俺達を讃えてるのかな?」


 相変わらずゴブリン達の鳴き声は止まないが、襲ってくる気配は今のところ無い。和矢は彼らを刺激しないように、小声でラピに訊ねた。


「違うわね。ええっと……」


 ラピは眉間に皺を寄せ、じっとゴブリンの声に耳を傾ける。


「ゴーギャッ! ゴーギャッ! ホゴホッホ!」

「ガンギョロガンギョロガギマンギ! イイー!」


「王の王! 王の王! 諸王の王よ! 我らたとえ、朽ち果てようとも君に従うなり。

 醜く戦場いくさばにその身をよこたえ、命の灯の消えなん時も、君の御身を我が瞼の裏に念じて

逝くは幸いなり」

「長くなってないか?」

「天を奉じ、地に謝するように、我らは君を奉じ、また君に謝するなり。

 我らのかばねを踏み越え、君は往くなり。四海を圧し、諸人をば心胆寒からしめるなり」

「本当にそんなこと言ってるの?」


「ギャオゲーッ!」

「ガガガー!」


 突然一際大きく歓声が上がったかと思うと、ゴブリン達の群れが海が割れるようにザッと二つに割れた。


「カカッキャーアアアーー!」

「静まれえ!」


 和矢は、不意に聞こえた聞き覚えのある声に、目を見開いた。


「毎度毎度うるさいぞ、君達! 助けてやるから、騒ぐんじゃない!」


 聞き間違いではない。これは明らかに日本語だ。


「今度はなんだい? まったく……。熊か? オークか? はぐれトロールか? 君達も悪いんだぞ。集団じゃないとてんで弱いくせに、イキがって絡むんだから……」


「に、人間?」

「あーーーーっ! 陽向さん!」

「あっ」


 ゴブリン達が居並ぶ中、文字通り王のように堂々と登場したのは誰あろう、あの日別れたままになっていた、海堂かいどう陽向ひなたであった。もっともその姿は、決して優美ではない。

 おそらく行き倒れた旅人の物であろう、ぼろぼろの衣服を身につけており肌も薄汚れていた。元の顔の造形の美しさはそのままだが、一見して人間社会に生きている者ではないとわかる。


「陽向さん! 海堂陽向さんですよね!?」

「な、なんのことだ? 私は〝カイドゥ・ヒィ・ナター〟わけあってゴブリン達の用心棒をしている者だ」

「工夫ゼロの偽名やめてくださいよ! 陽向さんでしょ? さっき俺を見て〝あっ〟って言ってたじゃないですか!」

「〝カイドゥ・ヒィ・ナター〟聞いたことがある……」

 

 不意にラピが口を開いた。


「複数の部族に分かれ勢力争いを繰り返していたゴブリン達を、またたく間に統一した謎の人間。そしてあろうことかゴブリン共を率い他のモンスター達の縄張りまで侵しているという……」

「陽向さん、異世界まで来て何やってるんですか!」

「それは……ごはんとかくれるし、お礼にある部族の用心棒をやっていたらいつのまにかこんなことに……」


「クキャー……。カ、ギキ?」

「いや、うん。まかせておけ。大丈夫だ」

 陽向は何やらゴブリン達と話したあと、和矢に向き直る。

「よし! ちょうどいい、天領寺。私と勝負してもらおう」

 

「な、なんで?」

「聞いての通り、私は彼らの用心棒をしている。君はさっきゴブリンを痛めつけただろう? このままではしめしがつかないんだ」

「待ちなさい、カイドゥ・ヒィ・ナター!」


 ラピは雄々しく叫んで短剣を構えた。


「ゴブリンに手傷を負わせたのはこの私、ラピスラズリよ! かずちゃんは関係ない! ……いざ、尋常に勝負!」

「えっ、そうなの? 天領寺は何もしてないの?」


 陽向はきょとんとした顔で応じると、ゴブリン達に何か呼びかけた。


「ガンギャッ、コーゲー?」

「ギギギッガイガマー」

「えっ、本当にそうなのか? まいったな」


 頭をポリポリ掻きながら陽向はぼやく。


「……まあいい、天領寺。やっぱり君と勝負する。早く剣を構えろ」

「意味がわからないです!」

「そうよ、かずちゃんは関係ないって言ってるでしょ!」


 二人して抗議したが、陽向は静かに首を振るのみであった。


「実は私と天領寺は前の世界からの宿敵同士なんだ。ここは譲ってくれ、ラピスラズリ。君も相当な遣い手とお見受けするが」

「ぜ、全然宿敵なんかじゃなかったでしょう!?」

「だって、君と私は恋敵じゃないか。君が死ねばまゆは私のものになるから――」


 うっとりした顔で、陽向は剣を抜きゆっくり前進してくる。


「止めなさい! あなたも自分とかずちゃんの実力差はわかってるでしょう!? 恥ずかしくないの?」


 ラピは和矢の前に立ち塞がった。


「実力差、ってやってみなきゃわからないだろう」


 和矢は多少プライドを傷つけられ、ムッとする。


「よく考えなさい、和矢。カイドゥは、たった一ヵ月足らずでゴブリン共の王になり、この辺一帯を支配するまでになったのよ? あなたの太刀打ちできる相手じゃない」


「はっはっは。大袈裟だなあ。私はただの用心棒だよ」

 日向は場にそぐわぬ爽やかな笑顔を見せた。

「でも、そこまで言うならかまわない。私はこれで天領寺のお相手をしよう」


 日向は手に持っていた長剣を投げ捨てた。急いでゴブリン達が拾い、片付ける。代わりに差し出された木の枝を受け取った。先に胡桃のカラがついている、例の物だ。


「ほら、これならちょうどいいんじゃないか?」


 ニヤニヤしながら、日向は木の枝をゆらゆら揺らす。胡桃がカラカラと乾いた音を立てた。


「バカにするな!」


 ラピが止める間もなく、和矢はブロードソードを肩に振り上げ陽向に突進する。こっちに来てずっと地獄のような特訓をこなしてきたのだ。正直自信はあった。力なら自分のほうがあるだろうし、あんな枝など武器になるわけがない。

 と、思っていたのだが……。


「えっ……?」


 ブロードソードを振りおろした先に、陽向はいなかった。和矢は陽向を殺す気はなかったので、手加減していたし、刃が当たらないように振った。しかし、怒りに身をまかせていたので、もしかしたらやりすぎたのかもしれない。


「ひ、陽向さん? 大丈夫ですか?」


 和矢は恐る恐る呼びかける。どこかに吹っ飛ばしてしまったのかと思ったのだ。自分もかなり筋肉がついている。刃は当てず刀身の平たい部分で叩いたとはいえ、まともに当たったらただでは済まないだろう。


「心配してくれるなんて、優しいね。君は騎士道精神の持ち合わせがあったのか」


 ななめ後ろから声が聞こえる。和矢が急いで身を翻すと、陽向が涼しい顔で立っていた。


「か、かずちゃん……剣が……」


 ラピが声を震わせている。和矢がブロードソードを見ると、根元から叩き折られていた。


「えっ? な、なんで? え……?」


「間宮流秘剣〝ちょうくずし〟。悪いが私の剣は得物を選ばなくてね。ほら、私は運動が得意だっただろ?」 

「う、運動とかそういう問題ですか! 別に剣道とかやってなかったじゃないですか? やってたのはフェンシングでしょう!?」


 和矢は、折れた剣を前に突き出しつつ抗議する。


「家が剣術道場をやっていてね。親父に小さい時に仕込まれたんだよ。私は泣いて抗議し続けたから、小学校高学年になる頃にはもう家芸かげいの稽古はしてなかったが。母も私が男っぽくなるのを嫌がったし」

「それがなんで……?」

「こっちの世界に来て、危ないことが色々あって。なんか覚醒? っていうのかな? そういうので強くなれたんだ」

「ず、ずるいぞ!」

「君にとってはそうかもね……しかし、正直私はこの運命に感謝してるよ。親父にも。だって、まゆを守れる強さを手に入れることができたから」


 フフッ、と笑みをこぼし、日向は枝を指揮棒のように振ってみせた。ゴブリン達から歓声が上がる。


「さあ、戦おう! ……君と私、果たしてまゆに相応しいのはどちらかな?」


 ひでえ。こっちはなんのボーナスもないのに……。こんなことがあっていいのか。


「く、くそっ。俺の家だって弓術道場で、小さい時から仕込まれてたんだ! どこかに弓と矢はないのか? ……そんな都合良くはいかないよな」


 ゴブリン達は、簡易な手に持って使う投石器は持っていたが、弓矢は装備していないようだ。


 和矢は顔面蒼白で天を呪った。

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