第2話 無能と

 ここは異世界らしい。

 現状把握に肝要なのは、冷静さだ。冷静でいられないならば、見えている事実は歪みを持って思考を奪う。

 あれから3日が経っていた。

 窓から空に浮かぶ2つの青い月を見て、初日こそ『わぁ、綺麗なお月様だぁ』などと思考停止して眠りに付いたが、時間が経つにつれてそれがどういう意味を持つか冷静に考えることが出来た。

 漫画に出てくるエルフのような耳長の少女、2つの青い月。これだけでも異世界と断じることは出来るが、事実を受け止めるには時間が掛かった。

「異世界か……」

 最近流行りの異世界転移とやらに、まさか自分が巻き込まれようとは思わなかった。天領寺自身はそうした物語を読む方ではないが、同室の高辻が好きなのだ。しかし、彼の話では転移前に神様的な何かから凄い能力的なアレを貰えるはずなのだが――そうしたものを授かった記憶はない。あれは物語であって、現実は厳しいということだろうか。

 謎の鎧に両断されたはずの傷は、跡形さえもない。だが、酷く疲れており、ここ3日はずっと寝たきりだった。立ち上がると目眩が酷く、とても歩けそうに無かったのだ。少女とも会話が通じないので、何も情報を得ることが出来ていなかった。彼女が定期的に運んでくるシチューや果実を食べ、寝る以外の行動は取れていない。

 だが、それもこれまでだ。先ほど起きると、身体はすっかり復調していた。ボロボロの扉を前にしてストレッチしながら、思案する。ほぼ裸、薄い布一枚で平気なくらいには暖かい。気候は問題なさそうだが。

「取り敢えず、外に出るべきか?」

 窓の外には森が広がっていた。何かしらの建造物を確認することは出来ない。道が整備されている風でもないし、本当に山小屋といった風情だった。

 外は危険だろうか。少女が1人で出歩いていることを考えると、危険というわけでもないのだろうが――。

 スマートフォンは相変わらず圏外だった。電話やメール、SNSを試してみたが、繋がらなかった。あまり使用しているとバッテリーが無くなるため、今は電源をオフにしている。

「…………」

 分からないのは、あのレリーフだった。見れば見るほど想い人、岩動に似ている。特徴を捉えている、というべきか。

「何か分かったかい?」

「うおぉっっっっ!?」

 背後から声を掛けられ、自分でも驚く程に飛びず去ってしまった。ギシギシと軋む床板に腐食の危険性を考慮する暇が無いほど、心臓が跳ねている。

「え? な、な、な…………?」

 振り返ると、ベッドに男が腰掛けていた。少女と同じような民族衣装に身を包み、耳も長い。薄緑の長い髪を1本に纏めた、ひょろりとした男だ。何処となく緩そうな顔をしているが、美形だ。年齢は30代後半くらいだろうか。眼鏡を掛けて、先端に赤い球状の宝石をはめ込んだ杖を突いていた。

 絶句して黙り込んでしまうと、彼は困ったように首を傾げた。

「あー……この言語パターンで良いよね。君、日本人だよね?」

「え……」

 更に硬直する。

「あれ、違った? 中国人かな?」

「あ、い、いえ、日本人です。……え? なんで?」

「言葉が通じることが不思議かい? だが、君達にも魔法という概念はあるんだろう? これくらいなら、出来ないこともない」

 それも重要だったが、もっと引っかかることがあった。

「俺を日本人だと……」

 中国人、とも言った。天領寺の世界を知らないと出てこない単語だ。

「うん、正確に把握しているわけではないけれどね。ある程度は理解しているよ」

 彼が杖を振ると、木製の丸テーブルと椅子が現れた。

 促されたので座ってみたが、座ったあとに強度の心配が首をもたげる。何れもそこそこの作りに見えた。少なくとも、この掘っ立て小屋のようなボロさはない。

「君たちのような異世界人は珍しくなくてね。直ぐに分かったよ。だから、村から離れたボロ小屋に、敢えて隔離させてもらったんだ。危険な場合もあるからね」

 陶器制に見えるカップとポットが現れた。ポットから暖かい液体が注がれる。色は紅茶にそっくりだが、喉越しと味は薄く、水のように飲める。この3日、少女から供された液体と同じものだ。

「あの……そんなに多いんですか? その、俺みたいなのは」

 一瞬、期待が持ち上がる。正直なところ、不安で一杯だった。それを共有出来る者が居るならば、これ以上に心強いことはない。

「あ、もしかしてこの村に、他に異世界人が居るとか?」

 それはもしかして、海堂 陽向かもしれないのだ。鎧に襲われた時に一緒に居たのだから、その可能性は高い。

 だが、その期待は直ぐに砕かれた。

「残念ながら、この村に他の異世界人は居ないよ。流れ着くのが此処とは限らない。世界中にそういうスポットがいくつかあるんだ。そして、頻度も10年に1人とかそれくらいだ。前に此処へ異世界人が流れてきたのは、何百年も昔になるらしい」

「そ、そうですか……」

 がっくりと肩を落とすと、彼は何処となく申し訳なさそうに自己紹介を始めた。

「あー、僕の名はアルブレッサーラ。『賢き物』を意味する単語に由来する名前だ。実際に賢いかどうかは、まあ置いておこう。アルで結構だ」

「天領寺 和矢です。よろしくお願いします。和矢と呼んでください」

 自己紹介しておいてなんだが、本当に信用して良い人間なのだろうかと、不安が過る。悪い人間には見えないが――いや、そもそも人間とも思えない。だが、頼れるものが他に居ないのは確かだ。

「さて、和矢。君から訊ねたいことは山ほどあるだろうが……まず、こちらの質問に答えてもらいたい」

 心なしか真面目な雰囲気を漂わせ、彼は言った。

「君の能力はなんだい?」

「能力……?」

 首を傾げる。出来ることを訊かれているのだろうか。バイトの面接めいてきた。実家はそこそこ金持ちで、習い事もそれなりに経験がある。だが、そんなことを訊いてなんになるのだろう。

「小さい頃は習字やピアノ、運動ならサッカーとかを」

「違う、そうじゃない」

 アルは左手で目元を隠し、右手でツッコミを入れるような体勢を取っていた。

「言い方が悪かったね。君が神から授かった恩寵はなんだい?」

「神から」

 何だろうか。やはりそういう話なのだろうか。異世界を転移したからには、神的ななにかから凄い能力を授かっていなくてはおかしいのだろうか。冷や汗が流れる。私の年収、低すぎ? という広告に出ている女性のような顔をしていたのかもしれない。アルは唖然として、

「え……まさか、無いのかい?」

 やや間を置いて、和矢は目線を逸らした。

「なら……ほら、なんか異世界人がよくやってるらしい、ステータスオープンみたいな事を言って指をシュッとふる感じのやつとかはどうだい?」

「ステータスオープン……何も出ませんが、なにか?」

 出ないといけないのかそれは。何だか物凄く間抜けな会話をしているような気がした。だが、高辻もそのような事を言っていたような気はする。

「そうかー……ないかー……」

 そしてとても可哀想なものを見るような眼で見られてしまった。

「あの……普通は神から能力を授かるんですか?」

「うーん……そう聞いてるけれどね。理不尽なほど凄い能力ばかりらしけれど。……じゃあ、転移の目的も訊いてない?」

 神とやらに遭っていないのだから、目的など訊いている筈がない。

「目的っていうのも、俺みたいな異世界人は持ってるものなんですか?」

「まあね。基本的に、我々の世界に訪れた危機から救ってもらったりするのだけれど……」

「世界の危機……こっちの世界には今、危機が訪れているんですか?」

「いや全然…………」

 言ってから、アルはハッとした。

「え? じゃあ何しに来たの、君」

「それは俺が訊きたいんですが?」

 そこで、和矢は自分が異世界へやってきたであろう経緯を説明した。とは言え、身に覚えは無い。鎧に切られた、ということくらいしか。

「ふぅん……。鎧を着た何者かに斬りつけられて死ぬというのは、君の世界では一般的ではないのかい?」

「当たり前じゃないですか」

 日本では通り魔すら滅多にないことだ。全身騎士装備に身を固めた変質者など、聞いたこともない。鎧は西洋的で、そういう意味からでも和矢が置かれていた環境からは遠い。西洋だからといって、そのような通り魔が跋扈しているという訳でもないが。

 そこで、気が付いた。アルは知っている地球観は断片的で、過去に村へ流れ着いた異世界人は数十年も前に遡る人物の上、それが日本人とは限らないのだ。過去の西洋では、そうした異世界人もいたかもしれない。

「ま、まあとにかく、俺が住んでいた場所は凄く安全で、そういうことは有り得ないんですよ。こっちの世界はどうか知りませんが……」

 高辻は言っていた。異世界への転移や転生は、大抵がトラックに轢かれたり謎の暗い穴に落ちたり何だったりするものだと。

「なるほどねぇ……ふむ。仮説は立つけれど、今は置いておこう。考えても分からないことを煮詰めても、仕方がないからね」

「あの……俺からも質問、いいですか?」

「もちろん。答えられることなら答えよう」

 じゃあ、と和矢はスマホの電源を入れて、レリーフと並べて見せた。

「俺の知り合いとレリーフに刻まれた人が……あ、これはスマートフォンと言ってですね」

「ああ……これがスマートフォンか。へぇ、実物はこんな感じなんだ。凄いな。洗練されているというか……どうやってこんなの作るんだろう」

「え? 知ってるんですか?」

「知っているよ。百数十年前に訪れた異世界人も、同じものを持っていたらしいから」

 和也は眉を潜めた。それはどういうことだろうか。百数十年前など、まだ江戸時代。日本では電話機すら満足に普及していなかった。分からない。もしかしたら、異世界へ流れる際、時代は考慮されないのかもしれない。たまたま和矢と同じ時代の人間が、異世界歴で今から百数十年前に流れたのかも。

「なるほど、特徴はよく似ている。我らが姫・マユミェンテにそっくりだ」

 待受画面の岩動 真弓を見て、アルは興味深げに頷いた。

「マユミェンテ」

 なんだその取って付けたような名前は。

「正確には地母神だけれどね。とはいえ、今はもう居ない。数百年前に、世界から消えてしまったとされている」

「地母神……それは、俺に能力や目的を与える筈だった神とは別なんですか」

 すると、アルは苦笑した。

「別だね。マユミェンテはこちらの世界の神。異世界人が口にする神は、正直よく分からない」

 よく分からない神に何だかんだと関わらなくて安堵すべきだったのか、それとも叶うなら抗議すべきなのか。アルの、和矢が能力を持たないと知った時の残念そうな顔を思い返せば、関わっておいた方が良かったのかもしれない。

「しかし……これは君がこちらへ流れてきたことと、何か関係があるのか……?」

 何やら深刻な顔で考え始めたアルを遮って、和矢はずっと気になっていたことを訊いた。自分だけの世界に入ってもらっては困る。

「あの、俺はこれからどうすべきなんでしょうか」

「むむ……それは難しい質問だね。死ぬまでこの街に居てもらっても構わないけれど。居心地は良いと思うよ。君がどんな異世界人か分からなかったから、一応は警戒して外れのボロ小屋に押し込んでおいたけれど、街の皆もきっと受けいれてくれる筈さ」

 危険かもしれない存在に食事を運ぶのに、少女を使うというのはどういうことか。

 しかし、街――ここは街なのか。

 どれほどの規模か分からないが、死ぬまで――というのは寿命が尽きるまでだろう。あと何年生きられるかは分からないが、老人になってまでこの世界に留まり続けることを考えると、寒気がした。

「出来れば帰りたいんですが……」

「だよねぇ。うーん……あんまり落ち込まないで欲しいんだけれどね。これまでの異世界人は、目的を果たすか死ぬかしたら姿を消したみたいだから、帰り方なんて僕らには分からないんだよね」

「帰れない……?」

 目的が無いのだから、目的など果たせる筈もない。死ぬのは論外だ。頭を抱えたくなったが、アルがそれよりも早く希望の手を差し伸べてきた。

「この世界を回れば、もしかしたら手がかりくらいは掴めるかもしれないけれど……保証はしないよ? それに、しんどいよ?」

 しんどい――確かに、現代文明に浸かりきった和矢に、未知の世界を旅することは大変だろう。馬車の乗り心地は決して良くないというし、船旅も決して快適ではないに違いない。

「いやいや、そうじゃなくてさ、ほら、魔獣とか居るしさ。君らの世界には居ないんだろう? 凄い能力を持っているならまだしも、普通の人間なら街から街を移動する間に、あっという間に死ぬからね」

「……え、じゃあどうすれば良いんです?」

「しんどいと言っただろう? こちらとしては送り出す以上、死なれても目覚めが悪いし……。だから、死んだ方がマシと思えるレベルで鍛えさせてもらう」

「は?」

 そしてこの日より、和矢のブートキャンプが始まった。

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