第2話

 キョウカが少女に連れてこられたのは近くの土手だった。

昼間なら沢山の人が行き来する場所だが、今は見渡す範囲に誰もいない。

光源は遠くに見える街灯と月明かりだけで心もとない。

キョウカは少女の言っていたことと、連れてこられた場所の相違に困惑する。


「あのぉ、お茶するんじゃなかったんですか......?」


「そのつもりだったんだけど、私たち見るからに学生じゃない?

一時間もしないうちに閉め出されるなって。

そのへん、ここなら誰も来ないし完璧だと思わない?」


 少女はキョウカの手を離す。

その場から数歩前に出てターンをする。

髪とスカートがきれいに広がった。

アニメのオープニングに入っていそうなぐらい絵になる一瞬だ。

そして少女はキョウカの瞳を真っ直ぐと見つめる。

少女はキョウカと出会いここに来るまで、常に何かしらの物を凝視していた。

周囲の交通量、キョウカの仕草、だが現状はキョウカの視線の動きに対して向いている。

キョウカは動くことなく小鹿のような目で少女を見つめる。

時が止まったかのような無言の間だ。


「てか、さっきの当たり屋って何?」


キョウカは無言を遮るように質問する。

それに対して少女は、わざとらしく意外そうな表情をした。

しかし声色を変えることなく少女は応答する。


「あなたの事よ。

あなたは何も知らないのね。

何かは知っている私が、何も知らないあなたに教えてあげる。

私って優しいわね。

路地で待機して、男子学生に狙ってタックルする猛牛系女子。

私の学園では有名よ?

今日あなたが不法侵入しようとしていたのも、私の御学友の御宅だし。」


 返答の内容にキョウカは冷や汗をかく。

キョウカは自身も行動が周りに与える影響など一切考えていなかった。

主観だけで考え、自分の都合のいい事だけ見ていたキョウカには驚愕の事実だ。


「ってことは、アンタはダチの仕返しでもするつもり?」


 キョウカは顔をしかめ、一歩後ろに下がる。


「別に殺り合おうなんて思ってないわよ。

私は何処にでもいる平凡な女学生よ。

闘うわけがないじゃない。

それに、ぶっちゃけあなたの被害者達とかどうでもいいの。」


 少女はキョウカが後退した距離を埋めるように一歩前に出た。

キョウカは少女と視線を合わせないように下を向き、自分の方に延びる少女の影のあたりを凝視する。


「じゃぁ、あなたの目的は何?」


「興味があるの。

あなたに。」


 数秒の間の後に、少女は返答をした。

月に雲が被り、より薄暗くなる。

影が隠れても前を向くことなく、キョウカの視線は下を向いたままだ。

少女はキョウカとの距離を保ちながら、円を描くように歩き始める。

ゆっくりと地を踏みしめるように洗礼された動作に一切足音はしない。


「ワタシに......?」


 少女はキョウカの後ろに回り込むと、気取られないように距離を詰める。

雲が通り過ぎ、月明かりが再び差し込む。

しかし、キョウカの視界に少女の影はない。

キョウカがあわてて顔を上げると同時に後ろから両肩を捕まれる。

力強く両肩を押さえつけられ、振り返ることすら許されない。


「私ならあなたのことを理解できる。

親友にだってなれるかもしれない。

いや、なるの。

今から、これから。

私の唯一の親友になれるなんて、あなたは幸運ね。」


 少女はそのまま首に腕を回す形で抱きついた。

背伸びをしても誤魔化しきれない身長差。

首締めの様な形になるが苦しくはない。

しかし、キョウカは振り払おうとはしなかった。

恐怖のあまり動くことが出来ないのだ。

キョウカは蛇に睨まれた蛙になった気分である。


「ねぇ、あなたもそう思うでしょ?」


 耳元でささやかれ、キョウカは震え上がる。

纏まりかけていた思考が再び霧散した。

呼吸が荒くなり、夜空に浮かぶ月を見つめる。

少女はキョウカの異変に気付き、解放して距離をとる。

するとキョウカはその場にへたり込んだ。


「あらら、怖がらせちゃったのかしら?

ごめんなさい?

でも、私に悪気はないわ。

だから私は何も悪くない。

あなたが勝手に怖がっただけ。

友人間でよくあるような、ただのスキンシップじゃない。

そうでしょ?」


 だが少女は実際、ただのスキンシップだとは思ってないし、悪意に満ちていた。

挑発を繰り返し、キョウカの反応を伺っているのだ。

しかし、少女が聞いていた噂の当たり屋と実際のキョウカでは差異がある。

噂では男子学生を見かけたら猛牛の如くタックルし、付きまとうクレイジーな奴となっている。

勿論全てが本当だとは少女も思っていないし、ある程度噂が伝わってくる過程で脚色がなされるのは想定していた。

だが噂が立つからには、それなりにヤバい奴なのだと期待していた。

しかし実物は想定より常人であった。

チキンレース気分だった少女は肩透かしを食らった気分である。


 少女は横目でキョウカを確認しながら隣を通り過ぎる。

それに引き換えキョウカは通り過ぎる少女の背中を視線で追うことしかできない。

そして立ち止まり、キョウカに背中を向けたまま顔だけを向ける。


「自己紹介がまだだったわね。

私はマナ。

あなたと同類よ。

私はあなたを何て呼べばいい?」


 少女は自身のことをマナと名乗った。

このままでは、キョウカが塞ぎ込んでしまうと考えアプローチの仕方を変えたのだ。

しかしキョウカは最初質問の意味が分からなかった。

名前を聞けばいいものを、あえて呼び名を聞いてきたのだ。

マナはキョウカが自分を警戒して本名は言いたくないだろうと配慮したのだが、当然キョウカには伝わらない。


「キョウカ......。」


 咄嗟に自分の名前を口にする。


「いい名前ね。

よろしくね、キョウカ。」


 マナはキョウカの方を向き直り、笑った。

しかし、マナがキョウカに向けた視線は人を見る目ではなかった。

新しい玩具を見るような楽し気ながら見下した視線、所有物を見る目だ。

本質的には"当たり屋"に接触したいのであって、キョウカ自体にさほど興味がないのだから無理もない。

口では友好的な風なことを並べてはいるが、それすら抑えきれない悪意が込められている。

隠しきれない悪意はどうあがいてもキョウカを怯えさせてしまうのだ。


 マナが一歩キョウカの方へ歩み寄る。

しかしキョウカはへたり込んだまま、身体を引いて後ろに下がろうとする。

キョウカにはマナが悪意の化身の様に思えた。

顔を引きつらせ、距離を取ろうとするキョウカにマナは内心困惑している。

実際はキョウカは当たり屋ではなく人違いなのではないかとさえ思い始めていた。


「怖がらなくたっていいじゃない。

私たち友達でしょ?

ほら、逃げないで。

やさしい私が手を貸してあげるから立ちなさい。」


 友達というには見下すような言い方。

マナなりの優しさだが、自分は選ぶ側という意思が言葉に乗っていた。

不信感を満潮に達しているキョウカが、そんな言葉を受け取るはずもない。

差し出された手を避けるように後ろに下がる。


「っこ、......来ないでっ......。」


 キョウカはあまりの恐怖に吹っ切れた。

精神の許容量を突破したのだ。

咄嗟に袖口に仕込んでいたものを握る。

それは月明かりに照らされて銀色に反射した。

工作用の小型のカッターナイフだ。


 キョウカは近頃、噂を確かめに来た輩に声をかけられることが多かった。

その中には面白半分の素行が悪い輩もいた。

その際、咄嗟にかばんに入っていたカッターを向けた。

すると身の危険を感じて、逃げていったのだ。

キョウカは言葉巧みなわけでも、逃げ足が速い方ではない。

内心罪悪感があったが、それ以外に追い払う手段は思いつかなかった。

しかし一度その手段で追い払って以降、キョウカはカッターナイフを持ち歩くようになった。

誰かに向ける気はなかったが、持っているだけでいざというときの保険として安心できたのだ。

だが、現状はキョウカにとって刃を向けるに十二分な状況であった。


 キョウカは、手が安定せずに刃先がぶれる。

全身が力んで震えが止まらない。

そんな決死の行動であったが、逆効果である。

マナはキョウカにあってから今までの中で一番の笑みを浮かべていた。

悪戯している子供ような、精密に計画した目的が達成されたような悪意に満ちた純粋な笑みだ。


「そうっ!!

そういうのを私は待ってたの!!

そう、その調子!!」


 マナは迫真の声で言い放つ。

キョウカからの分かりやすいアクションに、マナは心躍る。

目をぎらつかせ、心臓が高鳴る。

マナは刺されて死ぬかもしれない恐怖はなかった。

指をワキワキと動かし、腕を広げる。

膝を少し曲げ、どっしりと構えた。

やれるもんならやってみろ言わんばかりの挑発的な表情だ。


「さぁ、刺しなよ。

ほらっ、ほらっ、ほらっ!!」


 嬉々として捲し立てるマナにキョウカの思考力はそがれ続けた。

キョウカは瞳孔が見開き、今までないぐらい早い心臓の鼓動を感じる。

そして肘を引いてカッターをへそのあたりに構えた。


「おいで。」


 マナはキョウカの瞳をまじまじとみつめた。

互いが相手の事しか認識していない、狂った二人だけの空間。

キョウカには数秒が数分にも引き延ばされるように感じた。

言われるがままにキョウカは勢いよく歩み寄る。

キョウカは自身の行おうとしていることの重大さを理解できていないのだ。

だが、この異常な状況を止めるものはいない。


グサッ


 二人共、確認しなくても感覚で分かった。

刺さっている。

マナは脇腹に直接あたる冷たい感覚が。

キョウカはカッターが何かを貫いた感覚が。

起こった事実を確信させた。


「やればできるじゃない。」


 マナは幸せそうに目を細めた。

そしてキョウカの頬に手を添える。

マナの手は温かくてやわらかい。

それが、血が通う人を刺してしまったのだとキョウカに実感させた。




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