1ー1

 そうして、約束の日。

 まだ衰えぬ残暑の日差しの中、わっちの住む村の最寄り駅にいた。

 構内では、鳴り響くセミの声を背景に家族がわかれを済ませている。



「いい子で待ってるんだぞ」

「困ったことがあったらすぐおばあちゃんに言うのよ」

「うん」



 父は自らの子の頭を撫でる。

 母は小さな体を抱きしめる。

 二人分の愛をうけとった智之は、少し寂しそうにしながらも微笑んだ。

 いくらか時間が経った頃、電車がやってきた。



「じゃあ、師匠」

「うむ、任された」



 彼らはこのまま、最寄りの空港に向かうと聞いている。

 もう少し一緒にいたいだろうが、田舎の電車は一日にそう何本もない。

 これを逃せば、飛行機や旅行の予定が全て不意になってしまう。



「いってらっしゃーい!」

「楽しんでくるんじゃぞー」



 わっちの腕に抱かれ、智之はちぎれんばかりに腕を振る。

 二人を載せた電車は、ガタンゴトンと音を立てて遥か向こうへと走っていった。





 電車が見えなくなった頃。



「さて、智之。そろそろ行くかのう」

「……ん」



 わっちの声に、智之は小さく頷く。

 反応とは違って、目線はずっと電車が消えていった先を眺めていた。



「寂しいか、智之」

「さ、さびしくないよ」



 問いかけると、彼は跳ねるように顔を上げる。



「だってぼく、ねんちょうさんだし。みんなのおにいちゃんだもん」

「カカッ、いっちょまえに強がりおってからに」



 その姿が愛しくて、可愛らしくて、小さな頭をわしゃわしゃと撫でまわす。

 智之はくすぐったそうに身をよじるが、払いのけようとはしなかった。



「なぁに、三日もすればすぐに戻ってくるわい。それまでわっちと一緒にいい子にしておるんじゃぞ」

「うん。ぼく、いい子にする」

「よく言った」



 ニカッと笑いかける。

 幼子もやんちゃそうな笑顔を返してくれた。



 そうして、わっちたちは手を繋いであぜ道を歩き始める。

 繋いでいない方の手に持ったカバンには、智之の着替えが入っていた。



「ししょー、重くない?」

「カカッ、鬼の腕力を舐めるでないわい。これぐらい、其方を持ち上げながらでも軽いわい。ほれっ」

「うわっ!」



 荷物を持っていない方の腕でその体を掴み、持ち上げる。

 そして、ひょいと肩に乗せてみせた。



「高い! 高いよ!」

「これ、あんまり揺れてはいかんぞ」



 普段よりも違う視線からの景色に、彼は少々気が昂ぶっているようだった。

 町中でやれば目も集めるじゃろうが、こんな田舎のあぜ道なんぞ早々人が通るわけでもなし。



「これも魔法?」

「いんや、魔法でもなんでもないぞ」

「えっ、そうなのっ? ししょー、すっごいちからもちなんだね」



 智之のおどろきに、わっちは自分の失敗を悟った。

 そういえばわっちが鬼ということは、まだ説明してなかったのう。



「そうじゃ。わっちはちぃっと他よりも力があるんじゃよ」



 ふんふんと腕を動かして、力があることを示す。

 なんだか最近ごまかしてばかりじゃのう。

 魔法のことといい、鬼であることといい。

 いつか本当のことを話すことになるのはわかっておる。

 じゃが、今だけは肩に乗った童に怖がられたくないという気持ちが勝ってしまった。

 情けないことじゃ。



「あ、鳥! あっちにおっきい鳥が飛んでる!」



 だがそれも、頭上から聞こえてくる明るい声のおかげで和らいでいく。

 子というのは不思議なものじゃ。



「ししょー」



 林道に入ろうとしていた時だった。

 肩の上から智之が声を投げかけてくる。



「なんだ」

「なんか、この道へんなかんじがする」

「変な感じ? わっちは特に何も感じぬが……」



 周囲を見回しても、特におかしなところはない。

 見慣れぬだけじゃろうか。

 そう思ったが、ふとあるものの存在を思い出した。



「そういえば、『人避けの結界』を貼っておったな。ちょっと待っておれ」



 足で地面に魔法陣を描く。

 地に刻んだ五芒星に魔力を流しこむと、それは太陽の下でぼんやりと紫色に輝いた。



「『魔よ、かの者を縛りより解き放て』」



 口から唱えるのは限定解除の呪文。

 これで智之が結界に影響を与えることはなくなったじゃろう。



「どうじゃ、まだ変な感じはするかの?」

「しなくなった!」

「そうかそうか。なら良かったわい」



 そんなことを話しながら、涼しさを感じさせる林の中を進んでいく。

 わっちらの前に、木々に囲まれた家が姿を現した。



「広ーい! それに、なんか茶色い!」



 智之の声が生い茂った自然に吸いこまれて消えていく。

 都会の建物に見慣れている子の目には、木製のこの家は珍しく映ったのじゃろう。



「木造住宅というやつじゃな。ほれ、一旦降ろすぞ」

「えー」

「文句を言うでない。柱に頭をぶつけても知らぬぞ」



 渋々と返事を返す智之を片手一本で地べたに下ろし、わっちらは家に入っていった。





 智之がやってきた家は、とても輝かしかった。

 今日は寝るまで何するか。明日はどこに行くか。

 たわいのない話でさえ、智之はワクワクした表情で付き合ってくれた。

 わっちもそんな姿を見るのが楽しかった。



 ━━その日の夜、わっちの下にとある連絡が寄越されるまでは。




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