そしてすべての扉は開いた
深上鴻一:DISCORD文芸部
そしてすべての扉は開いた
県立山ノ上高校の部室棟。
昼休みが終わり、携帯ゲームをセーブして中断した高柳勇弥は、教室に戻ろうと文芸部の部室を出た。
ドアに鍵をかけていると、廊下の少し先に人の気配があった。見ると手芸部の部室の前に、女子生徒がひとり立っている。髪をお団子にして、大きくて太い黒フレームのメガネをかけた女の子だった。背が低いし幼い顔をしているから、たぶん一年生なのだろう。
その女生徒はドアノブを握り、うつむいて暗い顔をしている。手には、なんだかダサいウサギ柄のポーチを持っていた。
どうしたんだろう、と思ってしばらく見ていると、その女性徒と目が合った。その目は濡れていた。
「どうした?」
高柳は思わず、そう声をかけていた。
「鍵を無くしちゃったんです」
女生徒は、そう答えた。
近づいていくと、その女生徒はまだ幼さは残るものの、それはそれで可愛いらしい顔をしていることがわかった。
「ああ、開かないんだ?」
はい、と頷く。
「部室の鍵なら、事務室に予備があるだろ」
女生徒は、首を振った。
「先生には、知られたくないんです」
「へえ? 前にも無くしたことがあるとか? また無くしたのか、って言われるのやだよな」
それで、ぽろり、と女生徒の目から涙がこぼれた。
「体育の授業の間に、鍵、盗まれちゃったんです。ロッカーに入れてなかった、私が悪いんですけど」
「盗まれた? どこかに忘れたんじゃなくて?」
見て悲しくなるような笑顔を浮かべる女生徒。
「このポーチの中から、財布も、ケータイも、一緒に消えてましたから」
きゅっ、と高柳は胃の辺りが引き締ったのを感じた。高校生になっても、まだ、いじめなんてあるのか。
「困ったなあ」
その女生徒は呟いた。
「友達に借りた教科書、すぐに返してあげたいんです。その子にまで、迷惑かけちゃうから」
自分の財布とケータイはいいのかよ! と思わず高柳は大声を出しそうになった。
だがそれを飲み込んで、ドアに近づく。
「すぐに開けてやるから、横を向いててくれ」
「え?」
「いいから。誰にも言うなよ」
高柳は、その女生徒が視線を外し窓の方を見ていることを確認してから、ドアの鍵穴に右手の親指を当てた。
その瞬間、鍵の構造のすべてがわかった。
どうすれば開くのかも、わかる。
高柳は頭の中に浮かんだ鍵のイメージを、くるりと回転させた。
かちり、という反応。
高柳は親指を放した。
「開けたぞ。早く」
「え、え?」
「早く。授業がもう始まるから」
「はい!」
女生徒は部室に慌てて入って行った。すぐに胸の前に教科書を抱えて、出てくる。
「ありがとうございます!」
「いいよ。また横を向いてて。見るんじゃないぞ」
高柳は、また鍵穴に親指を当てる。
すぐに施錠された。
「あ、あ、ありがとうございます! 何か、お礼をさせてください!」
「お礼? いいよ、そんなの別に」
「放課後に、学食で待ってます! 何でもごちそうしますからっ」
高柳はその言葉に面食らったが、特に断る理由もない。
「わかった。あとで学食な」
「私は、一年の長谷川真奈美です」
「俺は二年の、高柳勇弥」
高柳は長谷川と名乗った女生徒と別れ、教室に戻る。
廊下を歩いている途中で、不意に気がついた。
あいつ、財布がないんじゃないのか?
放課後の学生食堂は、まばらに極少数の生徒がいるだけだった。
そんな中でも、長谷川はわざわざ隅のテーブルを選んで座っていた。
「先輩!」
待っていた長谷川は立ちあがって、手を振る。
高柳はその前に座った。
長谷川は笑顔で言う。
「何でも私、ごちそうしますよ。学食なので、たいしたことないですけど」
「お前、財布がないんじゃないのか?」
そう尋ねると、胸を張って言った。
「大丈夫です!」
長谷川はテーブルの上に、五千円札を出す。
「本当の非常用に、生徒手帳に五千円札を入れてるんです」
「……それは使うな。しまっとけ」
「どうしてですか?」
不思議そうな顔をする長谷川。
「いいから」
高柳は学生服のポケットから五百円玉を出して、テーブルの上に置いた。
「缶コーヒー買ってきてくれ。お前も、好きなの選んでいいぞ」
「え? でも、それじゃ……」
「いいってば。その代わり、ダッシュで行ってこい」
「はい!」
長谷川はお金をつかんで立ちあがると、凄い勢いで走り去った。
やれやれ。どうもパシリ体質でもあるらしい。そりゃ、いじめられるだろうなあ。
そんな事を思いながら、高柳は自分の右親指を見た。
見た目は普通だが、この指は普通のものではない。物心ついた時から、その理由はまったくわからないのだが、鍵を開けることができた。いわゆる鍵を差し込むシリンダータイプからカードタイプ、そして番号を合わせる暗唱番号タイプまで、さわるだけでその構造、番号がわかるのだ。
まだ小さいうちに、絶対に秘密にしなさいと両親から言われた。高柳はその通りにした。幼いながらも、これが異常なことだとわかったからだ。年頃になってからは、これが犯罪に結びついてしまうものだとわかり、その能力を死ぬまで秘密にしようと決めた。
じつは今日、鍵を開けたのは二年ぶり以上だった。そして後悔していた。
「どうしました?」
長谷川が戻ってきた。
目の前に置かれたのは、特別に甘い缶コーヒーだった。苦いやつが良かったんだけどなあ、と思ったが、もちろんそれは言わない。
「先輩、鍵を開けるのが得意なんですね!」
笑顔で言う長谷川に、高柳は首を振る。
「その話はなしだ。秘密にしてるんだよ」
「どうしてです? 凄い特技なのに」
首を傾げる長谷川。
「あのなあ。鍵が開けられて、中の物が盗まれたとするだろ。そうすると容疑者の中に、鍵開けができる俺も含まれてしまうわけ。それって面倒くさいんだよ」
ようやく長谷川にも、その理由がわかったらしく、何度も何度も頷いた。そして顔を凄く近づけて、これ以上ないくらい真剣な顔をして言う。
「私、絶対に内緒にします」
「……よろしく。それより、お前、財布とケータイはどうする気だ?」
「友達に相談したら、取り返すのに協力してくれるそうです」
「ふーん。そういう友達もちゃんといるんだな」
「はい。めーちゃんと言って、すっごく頼りになるんですよ」
「めーちゃん?」
その時、校内放送が流れた。
高柳を、生徒相談室に呼び出す内容だった。
「何だろ? 悪いな。俺、行くぞ」
「あ。私、用事が終わるまで待っててもいいですか?」
「どうして?」
「先輩に興味があるからです」
にこやかな顔で言う。
「長くなるかも知れないぞ」
「大丈夫です。宿題やって待ってますから」
「そうか」
変なやつ。
高柳はそう思いながら立ち上がり、学生食堂を出た。
生徒相談室のドアを開けると、狭いその部屋の中に、担任の化学教師、二人の男が椅子に座っていた。一人は背の低い太った初老の男で、もう一人は痩せて背の高い若者だった。初老の男は茶色いスーツ、若い男はグレーのスーツを着ている。
白衣の化学教師は言った。
「刑事さんだ。高柳に、聞きたいことがあるんだそうだ」
「はあ」
刑事がわざわざ訪ねてくるような覚えは何もない。
「まあまあ、そんなに緊張しないで」
初老の刑事はそう言って、教師を見た。
「これはとてもプライベートなことなので、先生は席を外していただけませんか」
「わかりました」
教師は立ち上がり、出て行った。
「はやく座れよ」
まだ若い刑事は、乱暴な口調で高柳に命じる。
小さなテーブルを囲んで、奥の席には初老刑事、横には青年刑事、入ってすぐのドア前には高柳が座る形となった。奥に窓がひとつあるが、部屋はテーブルと三人でもういっぱいで、とても狭苦しい。
初老の刑事はスーツケースを床から取り上げ、テーブルの上に載せた。銀色で小型なものの、それには厚みがある。刑事が開けると、白いスポンジ状のもので囲まれた中に、真四角の黒い箱が入っていた。艶はなく、サイズは拳より一回り大きい。
「これを開けてくれないかな」
開ける?
高柳の背中を、ぞくりとするものが走った。
「何を言ってるのか、わからないんですけど」
そう誤魔化してみるが、初老の刑事は優しい笑顔を浮かべて、ゆっくりと首を振る。
「いいんだよ。我々は知っているんだ。君が隠している力のことをね」
どうして、それを知っている?
両親と妹しか、知らないはずなのに。
「いや、まったく俺には隠している力なんて――いたっ!」
テーブルの下で、青年刑事が足を強く蹴った。
「ぐだぐだ言ってんじゃねえ。早くやれ。痛い目に遭わすぞ」
痛い目だって?
「まあまあ。そんな乱暴なことは、我々だってしたくないんだよ」
老刑事は変わらず笑顔を浮かべていたが、その目がまったく笑っていないことに高柳は気がついた。いや、むしろ、その目はどこかおかしい。感情がまったく感じられない。高柳は本能的に恐怖を感じた。
「さあ。たぶん君なら、五分もあれば開けられるんじゃないかな」
どうやら否定するのは無理だと判断し、高柳はその黒い正方形を手に取った。
とたん、構造がわかる。
「うわああ!」
口から悲鳴がもれていた。
それは今まで見たことのない人工物だった。あまりにも複雑な鍵が、あまりにも多重にかけられている。その鍵の奥の奥に意識は吸い込まれ、自分が消滅してしまうのではないかという気さえした。これは、常識を越えた宝箱だ! そして、中にある物は何だ?
その黒い正方形の表面に、青く光る不可思議な幾何学模様が浮かんだ。
「キューブが開く!」
老刑事が大声を出した。
青い線から、やはり青い光が放たれる。その輝きは強い。
その時。
若い刑事が、ばっと立ちあがった。スーツの胸元から拳銃を引き抜き、ドアに向けて発砲する。一発、二発、三発。狭い室内に銃声が連続で響くと同時に、強い火薬の匂いが満ちる。
驚いた高柳の手の中で、キューブと呼ばれた物の青い光は消えた。
「『狩人機』なのかい?」
その老刑事の質問に、若い刑事は何も答えなかった。穴が開いてしまったドアに近づき、開け放つ。
「うあっ!」
また悲鳴を上げる高柳。
廊下の白い壁にもたれかかって倒れていたのは、長谷川だった。白いセーラー服の胸の真ん中は、赤い血で大きく染まっている。頭にも銃弾は当たったのか、見開いた目の間を一筋の血が流れていた。
「は、は、はせ」
言葉が出ない高柳。
高柳の前に座っている老刑事が言う。
「これはただの原住民だろう?」
「わかんねえ。ドアに耳をつけて、話を聞こうとしたから撃った」
そんなことで、発砲するのか!?
そんなことで、長谷川は殺されてしまったのか!?
「『狩人機』なら、これくらいでは停止しないはずだ。確認しなさい」
若い刑事は拳銃を構えたまま、長谷川にゆっくりと近づいて行った。
老刑事は言う。
「さあ、高柳君。はやくキューブを開けてくれないかな。そうしたら我々はすぐに帰る。君には素敵な報酬を与え、もう二度と現れないと約束する」
高柳はその震える手の中にある、キューブと呼ばれる物に、もう一度意識を集中しようとした。だが頭の中はパニックで、鍵の構造はぼんやりとしか見えない。
「開けるな!」
女の子の声がした
それは背後からで、記憶にある長谷川の声と一致していた。
「うああああ!」
後ろで男の悲鳴。
咄嗟に振り返ると、若い刑事の上半身が炎に包まれていた。
「うああああああ! あっ、あっ、あああっ! あーっ!」
肉が焦げる匂い。
若い刑事は自分の身体を両手で叩いている。火を消そうとしているのだ。
その向こうには血まみれの長谷川が、ゆらりと立っている。
「ちっ!」
老刑事が立ちあがる。その手には、すでに拳銃が握られていた。
高柳はテーブルを思いっきり押した。腰を押されてバランスを崩す老刑事。銃声。壁とテーブルの間に挟まれた老刑事は、高柳を非人間的な目で見る。
そして背後で鳴る銃声。同時に、老刑事の両目の間から血が飛び散った。
「助かった」
後ろには、拳銃を持った長谷川が立っていた。その拳銃は若い刑事から奪ったものだ。
「高柳勇弥のお陰で銃弾が逸れた。これ以上のダメージは、さすがに危険だった」
何を言ってるんだ、と思ったが言葉が出ない。
廊下で、女生徒たちの悲鳴がした。若い刑事の焼死体に気がついたのだろうか。
「逃げるぞ」
長谷川は窓を開けた。
「キューブと拳銃を持って、ついて来い」
ついて来い、だって?
動かない高柳に、長谷川は怒鳴る。
「キューブを開けたら、どうせ殺されるんだぞ!」
高柳はそれで覚悟を決めた。理由はわからないが、この死んだ刑事たちは敵だろうと直感が告げている。そうすると、長谷川は味方ということだ。
高柳はキューブと呼ばれた黒い正方形と、老刑事の拳銃を持った。
窓から外に出る長谷川。生徒相談室は一階にあったから、窓から外に飛び降りるのは容易だ。
長谷川の後に続いて、高柳は校舎の周りを走る。
「説明してくれ。お前は長谷川なのか?」
「この肉体は長谷川真奈美の物だが、こうして話している私は長谷川真奈美ではない」
「意味がわかんねえよ。で、あいつらは本当に刑事なのか?」
「『財宝泥棒』だ。決して刑事ではない」
途中、ランニングしているジャージ姿の男子生徒に出会った。
長谷川は手に持っていた拳銃を向けて、近づいて行く。
「ジャージを脱げ。上下だ。それと、肩にかけているタオルもよこせ」
「ええ? 何の冗談だよ?」
銃声。
長谷川は容赦なく、男子生徒の足元の地面を撃っていた。
「はやくしろ」
男子生徒は、たぶんこれまでの新記録級の早さでジャージを脱いだ。そして服とタオルを置いて、あたふたと逃げて行く。
それらを腕に抱えると、長谷川はまた走り出した。
「どこへ行くんだ?」
真横に並んで走っている高柳は尋ねる。
「車を奪う」
二人は校舎の裏に来た。そこには教職員用の、小さな駐車場がある。
長谷川は一通り見回した後、若い世界史教師が自慢している白いスポーツカーの横に立った。
「開けろ」
「ええっ?」
施錠された車のドアなど、高柳は開けたことがない。
「できるはずだぞ。お前は、『万物の鍵』なのだから」
なんだよそれ、と思いながらドアにふれた。
意識を集中すると、確かに構造が見えた。口笛を吹く。スマートキーシステムが反応し、ドアが開いた。
運転席に乗り込む長谷川。高柳は反対側に回って助手席に座った。
「県境を越えて、黒森山を目指す」
そう言うと、いきなり長谷川はセーラー服を脱いだ。
「おい!」
「逃走中、血まみれだと、見た者に怪しまれる」
そう言ってセーラー服を後部座席に投げ、今度はブラジャーを躊躇もせず外す。意外と大きな胸が、ぷるんと揺れた。それも後ろへと投げる。
「頼むから下は脱ぐなよ」
「運転中は、外から下は見えない。今は着替えなくてもいい」
今は?
「ちなみに教えてやるけど、頭にも銃弾がかすったんじゃないか? 額に血が垂れてるぞ」
長谷川は額に手を触れた。その赤く濡れた指を見てから、奪ったタオルで指を拭う。
大きく太い黒フレームの眼鏡を片手で外して、高柳に差し出した。
「私を持ってくれ」
「私?」
高柳は眼鏡を持った。
「では」
「わあ!」
間違いなく、喋ったのは手の中の眼鏡だった。
「では自己紹介しよう。私の名は、メイガント・ギア・STXH86」
「何だって?」
「三日前から長谷川真奈美の同意を得て、ときどき身体を借りて活動している。『狩人機』と呼ばれる地球外から来た機械生命体で、今は眼鏡の形だ。その方が脳に近く、身体を操作しやすいからだ」
「はあ」
今日は何て日だろう、と高柳は思った。地味だけど可愛い女の子に出会い、刑事に呼ばれ、刑事は拳銃を撃ち、ひとりは焼死し、もうひとりは額を撃たれて死んだ。そして宇宙から来た眼鏡が手の中にある。そんな非常識な出来事のために、今日は何度も何度も悲鳴を上げることになっている。
横を見ると、長谷川は遠くを見つめたまま固まっていた。
「私がまだ接続したままだからな。今、長谷川真奈美に身体を返そう」
長谷川の身体の緊張が解けたようだった。手がだらりと落ち、肩も下がる。頭もかくんと揺れた。
「あ、あ、あ?」
そして悲鳴。
「あああああああんっ!」
両腕でその胸を隠す。
長谷川の顔はもう真っ赤だ。耳の先まで赤い。その目は潤んでいる。
「どーしてハダカなのっ!? ひどいよ、めーちゃんっ!」
めーちゃん?
「それくらいで感情を乱すな。早く顔と身体の血を拭いて、ジャージを着ろ」
震えながら首を小刻みに、左右に振る長谷川。もう泣き出しそうだ。
「先輩がいるのに、そんなのできないよお!」
「急げ。この車で逃げる必要がある」
「うううう。先輩、見ないでくださぁいい」
「わかったわかった」
高柳は視線を外して窓の外を見た。サイドミラーが視界に入る。そこに、何か動く物が写った。良く見ると、それは人影。
「!」
「もう来たのか」
車にゆっくりと歩いて近づいて来るのは、額から血を垂らした老刑事と、上半身黒焦げの若い青年刑事だったと思われるもの。
喋る眼鏡、メイガント・ギア・STXH86、もしくはめーちゃんは言う。
「説明は後だ。長谷川真奈美は早くジャージを着て、私を装着しろ」
「ブ、ブラ、ブラジャーがないんですう」
「先程の下着も血まみれだから、付けるな。男性に見られるなら、もっと可愛いブラジャーを選んでくれば良かったなあ、と思っているようだが」
「ああん! 頭の中をのぞいちゃだめえ!」
長谷川の悲鳴が車内に響いた。
県立山ノ上高校の駐車場を出た車は市街地を離れ、田舎道を走っている。県境は越えた。辺りはとっぷりと暗くなっている。
「俺の鍵開けの力が、宇宙人から貰ったものとはねえ」
「幼少の時に、接触があったと思われる。信じられないか?」
「いや。喋る眼鏡から言われたら、信じるしかないよな」
長谷川はまたメイガント・ギアをかけ、車を運転している。運転しているのはメイガント・ギアだが、長谷川の意識は奪われていない。
「そのキューブの中には、何が入っているんですか?」
長谷川の質問に、メイガント・ギアは答えた。
「わからない」
「ええ? そうなのか?」
「古代帝国の財宝が入っていると思われる。そのキューブを手に入れた『財宝泥棒』どもは、開けるために『万物の鍵』である、高柳勇弥を苦労して見つけ出したというわけだ」
「それを防ぐのが、同じく宇宙から来た『銀河警察』の、お前の任務である、と」
「いま向かっている黒森山の頂上には、私の宇宙船が待機している。そこにキューブを投げ込めば、我々の勝ちだ。高柳勇弥の身体から『万物の鍵』の力を取り除く設備も、宇宙船にはある。その時間があるか、わからないのだが」
「それは嬉しいね。ぜひ持って行ってくれ。こんな能力、いらないんだ」
「ええええーっ?」
長谷川が変な声をあげた。
「すっごい便利なのにい。手芸部の鍵を開けてくれた時、とっても嬉しかったんですよ?」
「そうか。ちなみにこの『万物の鍵』って力、これを『財宝泥棒』たちは欲しがってないのか? とっても便利な能力の気がするんだけど」
「この銀河系には、いくつか少数だが『万物の鍵』がある。ただし、それらは『銀河警察』が管理していて、高柳勇弥のようなケースは極めて例外だ。そして『財宝泥棒』たちにとっては、キューブの中身の方が大事だ。それほどの宝物が、中には収められていると思われる」
「この小さい中にねえ」
高柳は手の上で黒い正方形を転がした。
そして、急に気がついた。
「待て。財布が盗まれたとか、ケータイが盗まれたとか、そういうのは、どこまで本当だ? 俺の能力を確認するため、一芝居打ったんじゃないだろうな?」
「うむ、芝居だ」
「めーちゃんっ!」
長谷川は慌てる。
「財布とケータイが盗まれたのは本当だ。だが鍵は私が隠した。そして長谷川真奈美は私に言われて、高柳勇弥に接触した」
「そうなのか」
「あ、あの、先輩、私は、ですね」
「喋るな。運転してろ」
「はい……」
長谷川は消え入りそうな声で言った。
高柳は、流れて行く窓の外を眺めながら言う。
「お前がいじめられてる訳」
ぽつりと呟く。
「わかった気がするよ」
それから三人は無言になった。
一時間ほど山道を走ると、また少しだけ民家が現れた。
とつぜんその中に、コンビニの看板の明かりが見える。
「わ、私、トイレに行きたいです」
そう言った長谷川に、メイガント・ギアは尋ねる。
「どうしてだ? 長谷川真奈美は尿意を感じていないだろう?」
「いいからっ!」
大声だった。
車は乱暴に運転されて、駐車場に止まった。
眼鏡を外してダッシュボードに載せ、外へ飛び出る。走ってコンビニに消えた。
「どうしたんだ? 漏れそうだったわけじゃないんだろ?」
そう高柳は尋ねた。
「漏れそうだったのは感情だ。泣くのをずっと我慢していた。それが限界だったようだ」
「……」
「長谷川真奈美は今、トイレで大声で泣いている。戻るのには、しばらく時間がかかりそうだ。困ったな。急がないと『財宝泥棒』が――」
「黙ってろ」
高柳がそう命じると、メイガント・ギアは喋るのを止めた。
十分ほど経ってから、長谷川は戻ってきた。その目は腫れていたが、えへへと笑顔を浮かべている。
「遅くなりましたぁ! これ、コーヒーです」
高柳は受け取る。
「悪かったな」
「え? 何ですか? 急ぎますよ」
車はまた走り出した。
コーヒーは激甘だった。
五千円札を使ったんだろうなあ、と高柳は思った。
日付が変わる頃、二人と喋る眼鏡は、黒森山の頂上についた。
車がぎりぎり通れるほどの細い山道を登って来たが、頂上には開けた空間があった。そこは岩だらけだった。
「宇宙船を呼ぶ」
長谷川は両手を天に向けた。今はその意識を、完全にメイガント・ギアが支配している。
「ベントラベントラ、スペースピープル! ベントラベントラ、スペースピープル!」
何だよそれ、と高柳は思ったが、事実、雷のような音がして頭上にうっすらと人工物が現れた。白いつるつるとした円盤だった。
「しまった」
頭上で轟音。赤いごつごつしたトゲを持つ、長方形の宇宙船も現れた。白い円盤に体当たりする。赤い炎と黒煙が上がった。
「『財宝泥棒』の宇宙船だ」
二隻の宇宙船は、かげろうのようにゆらゆらと消えた。
三人の後ろから、老刑事と若い刑事が現れる。若い刑事の上半身は、ピンク色のぶよぶよした塊だった。その手には、巨大な武器と思われる物を持っている。それはどうも、地球の電化製品を寄せ集めて作ったものらしい。
長谷川も高柳も、拳銃を構えた。
老刑事の姿をした『財宝泥棒』は言う。
「その拳銃をよこせ。こちらの方が火力は上だ。これをくらったら、さすがの『狩人機』も機能を停止するだろう」
高柳は言った。
「今更だけど、こちらにも強力な武器はないのか? 若い刑事を燃やした力はどうした?」
「あの力は、夜は使えない。そして地球に、我々の武器を持ち込むことはできない。長谷川真奈美の力を借りているのも、そのためなのだ」
長谷川は拳銃を下ろして、老刑事に投げた。
「残念ながら、こうする他はないだろう」
「諦めはやいな!」
仕方なく、高柳も同じように投げる。
老刑事は二丁の拳銃を拾い上げてから言った。
「ではキューブを開けてもらおう。開けないと、『狩人機』ごと、この女を殺す」
「開けるな。私も長谷川真奈美も、キューブが開き中身を奪われるぐらいなら、死を選ぶことで合意している」
「はい、そうですか。って、なるわけないだろ!」
高柳はキューブを胸の前に掲げた。
開け、と念じると、青く輝く紋様が現れた。
一分、二分、三分。
「早くしろ!」
四分、五分、六分。
「何をしている!」
「開いたぞ」
青い光は、ふっ、と消えた。
高柳はキューブを投げつけた。
それをキャッチする『財宝泥棒』である老刑事。
「ばかな!」
それを見つめてから、老刑事は怒鳴る。
「お前、盗んだな!」
高柳の手の中に、青く輝く銃が現れた。それが、キューブの中に収められていたもの。
ためらわずに、老刑事に向けて引き金を撃つ。銃声。発射されたのは、銃弾であると同時に鍵でもあるものだった。それは老刑事の身体に当たり、その構造を分解した。分子レベルで老刑事はばらばらになり、風に吹かれて崩れて消える。
「ふああ!」
若い刑事だったピンクの塊が叫ぶ。その武器は、高柳に向けられる。
思わず目をつぶってしまった高柳。
まぶた越しにも見える、黄色い発光。
「あああああああっ!」
その光と同時に悲鳴をあげたのは、長谷川だった。
目を開けると、高柳の前には長谷川が立っている。
背をピンクの塊に向けて、両手を広げていた。
がくりと膝が曲がり、後ろに倒れる。
「はせがわっ!」
高柳は、ピンクの塊の『財宝泥棒』に向けて引き金を引いた。あっと言う間に、それも粉となって宙に消えてしまう。
高柳は、長谷川を腕の中に抱き起こす。
「大丈夫かっ!」
「先輩こそ、大丈夫ですか……?」
「メイガント・ギア!」
「……何だ?」
「お前が長谷川を操ったのかっ!?」
「そうだ」
「馬鹿野郎!」
「いいんです。めーちゃんには、私よりも先輩の命を優先するよう、最初からお願いしていたんですから」
「ああ、もう! お前らはみんな馬鹿だ!」
「そんなことはない。高柳勇弥がキューブの中の財宝を盗まなくても、勝てるよう作戦は立てていた」
「え?」
「ジャージのポケットの中を見てみろ」
高柳がそこに手を入れると、硬い長方形の物があった。
取り出されたのは、赤くて細長い箱。
開けると、中に入っていたのは、大きくて黒いフレームの眼鏡。
「メイガント・ギア!」
「眼鏡ケース型の防御シールドだ。このおかげで、私はダメージをほとんど受けていない。いま、長谷川真奈美がかけている眼鏡は、長谷川真奈美が以前から使っていた普通の眼鏡だ」
高柳は本物の喋る眼鏡を手に取った。
「つまり?」
「高柳勇弥が焦って行動しなくても、『財宝泥棒』は倒せるはずだったのだ。老刑事に渡した拳銃は、爆発するように改造していた。私の宇宙船が再接近するのに合わせて、反撃を開始する予定だった」
「いちばん馬鹿だったのは、俺なのかよ! つーか、俺にも最初から教えてろ!」
「高柳勇弥に芝居ができたとは思えない」
そして天空で、光。
白い円盤から、光の線が降り注ぐ。それはキューブに当たった。ゆっくりとそれは宙を登って行き、円盤の中に消えた。
「キューブは回収した。開けてしまったのは大問題だな。その力も持ち帰りたい、だが」
「だが?」
「宇宙船からのスキャンで、分離するのは不可能なことがわかった。よって、これで任務は終了とする。私は急いで地球を離れるとしよう」
「え? 長谷川はどうなる?」
「助けてやりたいが、『財宝泥棒』の宇宙船がいるので、その時間がない。ここで死ぬことになる」
「ダメだ! どうにかしろ!」
「いいんですよ、先輩」
長谷川は、かすれた声で言った。
「学校のみんなは、私に、死ね、死ねって言ってますし。いい機会です」
「そういうこと、言うなっ!」
「えへへ。先輩にも嫌われちゃいましたし。もう頑張るのは無理っぽいです」
「俺のせいなのかよ!」
そういうことを言うから、お前はいじめられるんだよ、と言いたくなるのを高柳は我慢した。
「さらばだ」
また光が、円盤から降り注いだ。それは高柳の手の中の眼鏡ではなく、長谷川のかけている眼鏡に当たる。顔から外れてゆっくりと宙に浮かび、空に昇って小さくなって行く、太くて黒いフレームの眼鏡。
手の中の眼鏡は言った。
「しかし、宇宙船が間違えて、私のニセモノを持ち帰ることだってありえるのだ」
「メイガント・ギア!」
「長谷川真奈美に装着しろ。治療に入る」
高柳は、長谷川に眼鏡をかけてやった。
えへへ、と青い顔で笑う長谷川。
「このダサい眼鏡」
高柳は言う。
「お前には、似合ってるぞ」
高柳は、深い眠りについている長谷川を後部座席に寝かせた。
そして自分は助手席に座る。
「でも、これで本当に良かったのか?」
長谷川の顔にかかっている眼鏡、メイガント・ギアが言う。
「私は『そこにキューブを投げ込めば、我々の勝ちだ』と言ったはずだ。これは勝ちなのだ。中身は残念ながら回収できなかったが、奪われるよりも格段に良い」
「そうだな」
「高柳勇弥は今、拳銃、いや鍵銃ですべてを開けることができる。この力を、これからどう使うつもりだ? きっと高柳勇弥が考えているよりも、それは巨大な力だぞ」
「うーん。また使うような機会がないといいんだけどな」
「私もそう思う」
長谷川の手が動いた。何かを求めるように、指が動く。
「握って欲しいと思っている」
高柳は、そうした。
人が動く気配で、高柳は目を覚ました。
遅くまで長谷川の手を握っていたが、いつの間にか眠っていたらしい。きちんと助手席に座っていた。
すでに辺りは明るくなっている。
「おはようございます」
「ああ」
長谷川は、隣の運転席に移動していた。
メイガント・ギアが言う。
「もう正午になろうとしている。帰るとしようか」
「そうだな」
「はい!」
長谷川はエンジンをかけた。
「それにしても先輩って、意外と可愛いところがあるんですね」
「何だ?」
「私の手を握って、離さなかったんですよ? ママの手を思い出しちゃいましたか?」
「うるせえ」
いじめは絶対に許されないことだが、どうも長谷川にも問題があるような気が、やはりした。
「……先輩の手、暖かかったです」
「そうか」
「これからも……親しくしてくれますか?」
「学校に戻ったら、お前がされてるいじめをどうにかするぞ」
「ありがとうございます!」
「私も協力する。そういう約束だからな」
「めーちゃんも、ありがとう!」
メイガント・ギアは言う。
「これから帰っても、どうせ学校には間に合わない。睡眠もまだ足りてないようだし、長谷川真奈美は空腹のようだし、県境のホテルに寄ろうと思う」
「おいおい。あれはラブホテルというやつだぞ。わかってるのか?」
「もちろんだ。先程から長谷川真奈美は、初めての生殖行為の相手はお前だったら素敵だなあと考えている」
「あああああーっ!」
長谷川の悲鳴は、ひときわ大きかった。
高柳勇弥と長谷川真奈美の恋、そして喋る眼鏡メイガント・ギア・STXH86、もしくはめーちゃんを加えた三人の冒険の日々は、こうして始まったのである。
そしてすべての扉は開いた 深上鴻一:DISCORD文芸部 @fukagami
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