296 城砦では
悪態をつく帝国軍人――スパイにしてはお粗末な集団――を、エイフとクラフトがギルドから叩き出した。
その後、クリスがこっそり「あの人たちを砦の向こう側に転移させられる?」とククリに言っておいたので都市内に火種は残らないはずだ。
少し大変だったのは、ククリに場所を伝えるのが難しかったことだろうか。
「だからほら、草原の向こうに大きな木があったでしょ? 砦から一緒に見たじゃない」
「んー」
「じゃあ、わたしが作っていた砦は? 覚えているよね」
「ん!」
「隠し狭間から落ちる遊びをしてたもんね」
「たのち!」
「そうそう、わたしが必死で作っている間にククリはどんぐり投げて遊んでたよね。あの、どんぐりを落としたずーっと先に転移させてくれる?」
「ん!」
「……転移させるのは、あそこに固まってる男たちだけだよ?」
「くく、ぴゅー、ちゅる!」
「ククリは戻っておいでね?」
と、いろいろ不安はあったが、ククリはちゃんと戻ってきた。
たぶん、大丈夫だろう。たぶん。
そこで、城砦の様子も気になった。バタバタした状態で出てきたのだ。しかも、敵に十五人以上の精鋭(?)を増やしたかもしれない。エイフが叩き出した際に多少の怪我を負わせたようだが、上級ポーションがあれば回復してしまう。
クリスがそわそわしていると、エルウィークが「ギルドまで来たら専用の部屋もある、こちらは大丈夫だ」と言うので、諸々の話し合いを急いで済ませてから城砦に戻ることにした。
ニホン組は置いていく。コノハはおとなしいし、子供二人も疲れていて心配だ。ニコラに事情を軽く説明し、子供の面倒をお願いした。
問題は皇族の女性二人だ。ゾーイはともかく、ユカはどうするのだろう。彼女がニホン組を帝国に引き入れたわけで、後々を考えると頭の痛い問題だ。それもエルウィークが上手く処理するのだろうが。
とにかく、時間を食ってしまったので急いで城砦へ向かいたい。
となると、ククリの出番だ。クリスは「くれぐれも」と念押しし、主塔のベランダに転移してもらった。
確かにククリはベランダに皆を転移させた。
「おっ、と、なんで俺だけ手すりの上なんだ?」
「ちゅの、えやいの!」
「ピルゥ、ピピピ、ピピピピピ」
「あ、そうなんだ。偉いからエイフだけ高いところに? ああ、これって善意なんだ」
「善意、なのか?」
エイフは呆然としながらも、器用に手すりの上に立っている。
ククリは斜めに何度も倒れた。頷いているらしい。クラフトとイフェは何と言っていいのか分からない、複雑な表情でエイフを見ている。憐れんでいるのだろうか。カッシーは笑いを堪えている。
けれど、皆すぐに気持ちを切り替えた。
辺りを見回して、今どうなっているのかを確認する。
すぐに力が抜けた。
ベランダに現れたクリスたちに気付き、カロリンが笑顔で駆け付けてきたからだ。他にも見知った顔がいる。どの顔にも悲愴な様子は見受けられない。
やがて、カロリンがベランダの真下に着いた。階段を上るより、そこから話した方が早いと思ったのだろう。
「敵は逃げていったわよ」
「えーっ?」
「本隊じゃなかったの。斥候部隊じゃないかって話。でも何より、こっちからの魔法攻撃に怯んでね。すごい威力だったのよ。砦の円塔から火矢を飛ばしたら、辺り一面に広がってね」
「え、火事は大丈夫なの?」
「敵が撤退したあとに水スキル持ちが撃って鎮火させたわ。それより、下級スキルが中級以上のレベルなのよ?」
興奮しているカロリンは息切れしながら説明してくれる。そこにマルヴィナがやってきた。彼女の頬も赤い。
「さっき、我が方の偵察部隊が戻ってきました。敵の斥候部隊が逃げ帰ったようです。念のため、別の小隊に追わせています。敵が国境を越えたら戻ってくるよう指示しました。そうだ、カロリンさん、さっきのアレはやっぱり帝国のスパイでしたよ」
「さっきのアレ?」
クリスがベランダから身を乗り出して聞くと、マルヴィナは顔を上げて答えた。
「砦の矢狭間に見たことのない人間が何人も挟まっていたんです」
クリスは動きを止め、それからゆっくりとベランダ側に体を戻した。身を乗り出しすぎて心配していたエイフの手が、クリスの腰からゆっくり離れる。
「持ち物から帝国人だろうと思って、捕まえました」
「えっと、何人ぐらい?」
「五人ですね」
「……ククリ? 残りはどこに転移させたの?」
クリスが振り返ってククリに問うと、斜めになって「んー」と考えている。しばらくして、パッと糸の手足を広げて答えた。
「どんぐい、ぴゅー、ちた! ちょこ!」
「あー、はい。どんぐりを飛ばしたみたいに、やったのね」
どうかスプラッタじゃありませんように。そう願ったクリスに朗報が届いたのは半日後だった。
アサルの偵察隊から「逃げていく敵の斥候部隊に、降って湧いたように男たちがぶち当たって混乱を極めていた」と報告があったからだ。彼等は助け合いながら、這々の体で自国の領土に戻ったという。
クリスはホッとした。敵兵が死ななかったからではない。精霊であるククリが人間を害したかもしれない、という不安がなくなったからだ。精霊に気軽に頼み事をするものではない。ククリへのお願いは特に慎重さが大事だ。クリスは心に刻んだ。
あっという間に始まった危機は、同じくあっという間に終わった。
とはいえ、今後も緊張は続くだろう。しかし、城砦がある。おかげで猶予が出来た。帝国はすぐに応援部隊を送る真似はしないはずだ。彼等が早々に撤退したのは、こちらに「異常な早さで出来上がった城砦」があったことも関係しているだろうし、また「異常な防衛レベル」を知ったからだとも思われる。これらの詳細を調べるまでは迂闊に動けない。
誰だって負ける戦はしたくないものだ。勝てると見込めるまで、調査に時間を掛けるだろう。その間にエリミア国も本腰を入れるに違いない。
でもたぶん、帝国はしばらく他国へ戦争は吹っかけられないのではないだろうか。何故なら、ギュアラ国が立ち上がった。クリスはその話を、ギュアラの商人からも聞いている。
ペルア国も乗り出すだろう。エルウィークがニホン族上層部の立場で働きかけると話していたからだ。
また、コノハも約束を守って帝国を止めるために動く予定だ。
更に、帝国の皇族が人質としてエリミアにいる。ユカだ。
彼女は結局、亡命を希望した。ユーヤと繋がっており、犯した罪は償わねばならないが、男尊女卑の残る戦争国家には戻りたくないそうだ。それならと、エルウィークは彼女に罪を償わせつつ役にも立ってもらおうと考えた。エリミア側にユカの身柄を「人質」として引き受けさせたのだ。
ゾーイの身元引受人はコノハになった。彼は「ゾーイと駆け落ちした」と帝国に連絡を入れた。帝国は血統スキル持ちが流出することを恐れるだろう。追っ手を出すかもしれない。しかし、コノハは剣聖スキル持ちだ。それに、彼は帝国に使われているように見せかけて、帝国中枢部のスキャンダルネタを握ったという。
案外、したたかだったようだ。そのうち治まるだろうとも楽観している。
コノハもまだ事情聴取は続く。
彼の勝手な行動でニホン組がより自由に振る舞ったのは確かだ。過激なニホン組もまだいる。帝国で自由に振る舞っていたのに、戦争が始まると「面倒くさい」と言って散らばっていったらしい。
一部は揉め事を起こして捕まっている。奴隷都市ナファルでのゴウとアカバがそうだ。彼等にはコノハのように日本へ戻るという真剣な思いはなかった。ただ暴れたかったから、過激な行動を続けるコノハに従っていただけだ。
そんなニホン組を、これからもエルウィークは追い続けるつもりらしい。
ナファルでのことが知りたいと呼び出されたクリスに、彼はしみじみと語った。
「これが、僕の生涯の仕事になるのだろうね」
同時に、前世の妻がいないか捜すのだろう。彼は今世で結婚はしないと明言した。
ギルド幹部の一員として話を聞いていたニコラはひっそりと肩を落とし、クリスはなんと慰めようか困惑したのだった。
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