297 その後の話
本格的な冬が始まり、クリスたちは春になるまでアサルで過ごすことになった。
クリスの主な仕事は、以前受けていた遺跡マッピングの続きだ。三日働くと地上に戻り、三日を過ごす。そのうちの一日は城砦の主塔に行って、織工ギルドの女性たちと一緒に内装仕事を手伝った。暖炉の前でお喋りしながら、ゆったりとした時間を楽しむ。
カロリンは相変わらず、マルヴィナの侍女みたいな役回りで働いている。ただ、以前のように毎日べったりではない。クリスに合わせて三日働けば、次の三日は別の用事に充てている。他の依頼を受けたり女子会を開いたりと、充実した毎日だ。
カッシーも精霊たちと楽しく過ごしている。迷宮にも入れば精霊界にも遊びに行く。時々ギルドの依頼を受けるのは、都市外にある農家の人と仲良くなったからだ。彼等が「あのエルフさんは仕事が丁寧だ」と指名してくるらしい。依頼料は少ないけれど、その代わりご飯を食べさせてくれると笑っていた。
エイフやクラフト、イフェたちはアサルの迷宮全てを見て回ることになった。カウェア迷宮にできた横穴は塞いだけれど、他にも影響が出ているかもしれない。遺跡で魔物が数匹見つかったと報告があり、見回り強化が急務となった。
遺跡で魔物を発見したという報告を受け、クリスがマッピングする際には誰かが交代で付いてくる。
「昨日は城砦の内装を手伝ったそうだね。どんなことをしたの?」
「マルヴィナ様の主寝室で使うベッドカバーを縫ったの。ベテランの人にお願いしたのに『若い子の感性で』なんて言うんだよ」
「君の腕が良いからじゃないかい? 糸の神様だと呼ばれていたよね」
「あれは女の子に手仕事を覚えさせるための、てっとり早い褒め言葉だよ。わたしも母親によく言われたんだ。たとえスキルに恵まれなくても、手仕事ができればお嫁にもらってもらえるって」
辺境の地では、女が一人で生きていけるだけの職は少ない。母親の心配はもっともだ。彼女も夫がいたから生きていられた。病弱だった母を父は最期まで面倒を見てくれたのだから、やはり愛情があったと思う。
でも、母親はどこでそんな知識を得たのだろうか。父と出会う前、彼女は何をしていたのか。クリスはふとマッピング作業の手を止めた。
「そう言えば母親が一度話していました。『糸の神様に愛されている人がいた』と。小さい頃に別れたとか……。ああ、確か『鍛冶士スキル持ちなのに縫い物の方が得意』だった人だ。どんなに良いスキルがあろうと、本人にやる気がなければ上達はしないって――」
思い出して嬉しくなったクリスは笑顔でイフェを振り返った。彼は目を細めていた。それなのに悲しみを湛えた瞳でクリスを見ている。
驚いて首を傾げるクリスに、イフェは無理に作った笑顔で「そう」と答えた。
「その人のことを、母君は他にも何か話していなかったかい?」
――ああ、そうか。
これは彼が捜している人の情報なのだ。クリスはふうっと息をゆっくり吐き出した。
「母は、自分の過去についてほとんど語らなかったの。だから奴隷都市ナファルにまで行って調べたんだ。父との結婚が幸せじゃなかったのかもしれないって、不安だった。母は何も教えてくれなかったから。でも、そうじゃない。わたしが理解できる年齢になれば話してくれたと思う。だって、わたしが六歳ぐらいの頃に亡くなったんだもん。普通はそんな年齢の子に、自分は元奴隷だったなんて話せないよね」
「ああ、そうだね」
「さっきの人の話も、わたしは三歳か四歳の頃に聞いたの。きっと理解できないと思って、なんとなく呟いたんじゃないかな。ただ、あの時の表情は、とても悲しそうで」
「悲しそう?」
「それでいて、すごく楽しい思い出を話すみたいだった。だから、幸せな記憶だったと思うの」
たぶん、母親と同じ奴隷だったのではないだろうか。悲しそうだったのは、その人とはもう二度と出会えないからだ。奴隷として買われた母親が、同じく奴隷だった人と再会する術はない。
「幸せな時間があったんだって、わたしは思いたい」
「そうだね」
イフェはいろいろな気持ちを心に押し込んだようだ。笑顔になって、クリスを見た。
「……君を、抱き締めてもいいかな?」
きっとその人の代わりに、だろう。クリスは黙って頷いた。イフェは震える手を伸ばし、大きな体でクリスを大事に包んだ。
クラフトが付いてきた時は、彼の秘めたる思いを聞かされた。従兄弟であるイフェの妻に淡い恋心を抱いていたらしい。いまだに憧れの女性だそうだ。それもあってイフェと共に彼女を捜している。
「イフェは、わたしにはもう手を引くようにと言うのだけれどね」
「クラフトさんに自分の人生を大事にしてほしいんだよ」
「逆の立場ならわたしも止めるよう言っただろう。でもね、実はここだけの話、この生活が嫌いではないんだ。冒険者をしながら旅をする日々は案外性に合っているようだ」
イフェには言えないなと、情けなさそうに頭を掻く。イケメンのそんな姿にキュンとくるが、クリスは「この人には恋をしないな」と思った。まだ彼女に気持ちが残っているのだ。それでなくたって彼は随分年上だった。
もっとも、恋とは落ちるものらしい。カロリンいわく、止められないものなのだそうだ。以前のクリスなら「そんな無茶苦茶な感情に左右されるなんて嫌だ」と言っていただろうが、皆の話を聞いていると「一度ぐらいは経験してもいいかな」と思えるようになった。
たとえば父が、奴隷だった母を買い取って辺境の地に向かったように。母が、無理をしてでもクリスを生んだように。どうしてもこの人しかいないと思える恋をする。
クリスはもうすぐ十四歳だ。年頃の少女である。そろそろ女子っぽいイベントがあってもいいはずだが、やっているのは地下遺跡の中でのマッピング作業だ。ちょっと難しい。
ぼやいていると、この日の護衛担当になったエイフが苦笑する。
「春になったらアサルを出るんだろう? 次に行く場所は『女子っぽいイベント』があるところにすればいい」
「えぇー。ていうか、エイフはそれでいいの?」
とは、これからもクリスの旅に付き合ってくれるのかという意味でもあった。
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