203 聞き耳を立てて知る噂話
柵に至っては設置が甘すぎて、観覧している人が大勢でもたれ掛かったら倒れるのではないか。クリスが顔を顰めると、ククリが髪の毛の中から出てきて糸の手で額をペチペチ叩く。
「怒ってないよ。でも、無記名で投書をしておこうっと」
「それがいい。お、兵士と冒険者が戦ってるぞ」
試合といっても本気ではない。訓練だからか、どうにも生ぬるい戦いに見える。クリスがそう言うと、エイフは苦笑した。
「見る目が厳しいな」
「そうかな? あ、そうかも。だってエイフの戦う姿を何度も見てるんだよ? ヴィヴリオテカからはカロリンやカッシーの捕り物劇も見たし」
奴隷商を捕まえた時の様子を思い出す。逃げ出す隊商の関係者を追いかけて倒した二人は格好良かった。
「対人戦でも、見てれば強さって分かるよね」
「クリスの目が肥えたのは俺たちのせいか」
「おかげ、だね」
「げー」
「ククリは静かにしてようね?」
「あい!」
ククリを髪の毛の中に戻し、クリスとエイフはほとんど人のいない観覧席を歩いた。
歩きながら空気の悪さに気付く。淀んだ空気と埃っぽさに咳が出る。なんとなく雰囲気も良くない。それが何故かは分からなかった。もしかしたら単純に嫌な部分をクリスが探しているだけかもしれない。
観覧席には純粋な観戦者はいなかった。夕方から始まる試合のために自由席で席取りをしている者、あるいは本番に備えて寝ているらしい戦士職の男などなど。
会場がよく見える一番前の席で試合を眺めているのは、見込みのある人間を勧誘したい闘技場関係者らしい。近くを通るとそんな話をしていた。
チラッとエイフを見てギョッとするスカウトマンもいる。声を掛けたそうにしているが、うずうずするだけで何も言わない。
エイフは素知らぬ振りで通り過ぎ、少し離れた場所から会場を指差した。
「あそこ、地面が歪んでいるだろう。分かるか?」
「あ、ほんとだ」
「下に、檻を迫り上げる装置がある」
「……そこに猛獣を入れてるとか?」
「よく分かったな」
「ありがちだから。前の記憶にもあるし、もっと悲惨な想像はできるけど嫌な気持ちになるから止めとく」
「おう、そうだな。そうしろ」
古代ローマのコロッセオを思い出して、クリスはうんざりした。奴隷を使うと聞いた時から嫌な予感があったのだ。猛獣を使うという可能性にすぐ思い至った自分にもうんざりである。
悪趣味な催し物に言いたいことは山ほどあるが、クリスにはどうしようもない。
せめて冤罪で奴隷になった人がいませんようにと祈るしかなかった。
「女の子を連れてくるところじゃなかったな」
「見たいって言ったのは、わたしだもん。気にしないで」
話していると、先ほどのスカウトマンらが「そう言えば」と話題を変えた。たぶん、近くにいるエイフを警戒して、直前まで話していた「契約料」について知られたくなかったのだろう。
強引な話題転換だったが、それがクリスには良かった。
「――年季明けのギュアラ兵を奴隷落ちさせたって話だが、あれな、本当らしいぞ」
「そりゃまずいだろ。ギュアラが黙っていない。前の時も騒ぎになったじゃないか」
「ああ。最近の中央はやりすぎだ。資金繰りに困ってるのかと疑う商家も出ている」
「貴族の方はどうなんだ」
「奴等だって自分を守るので精一杯さ。だが、そんな曰く付きのを持ってこられたら、ナファルだって困る。扱いをどうするかで組合が揉めているそうだ」
「だろうな。ギュアラの兵ってことは魔法使いだな。女か?」
「若い女が二人らしい。前の男で懲りたんだろう。だからって続けざまはまずいだろうに」
ぼそぼそと小声で話すが、なにしろエイフときたらあらかじめ風下に立つという用意周到ぶりだ。しっかりと聞こえてしまう。
しかも、途中でエイフがわざと離れていったから、男たちも不用意に続きを話してくれた。残ったクリスが子供で何も分からないと高をくくったのだろう。
おかげで、噂話がよく聞けた。
断片的ではあったが総合すると、以前にもギュアラの魔法使いを無理矢理奴隷落ちさせたことがあり、そのせいで「ギュアラにいる関係者が商人ギルドを通して圧力を掛けてきた」と分かった。
もっと詳しく知りたかったが話題が変わった。世間話やスカウトについて話が転々とし始めたので、クリスはエイフのところに行こうとした。ところが。
「あんまり派手にやられると、またストレンジの魔女に潰されるぞ。ったくよぉ」
「名前出すなよ、気分悪い。あれのせいでここを建て直す羽目になったんだ。やってらんねぇよ。俺たちは違法奴隷なんて扱っちゃいないってのに」
動き始めていたクリスは、不自然にならないよう立ち去るしかなかった。
けれど本心では、その話をもっと詳しく聞きたいぐらい気になった。何故ならストレンジと呼ばれる魔女は、クリスの知る「魔女様」だろうからだ。
歩き出し、そのうち駆け足になったクリスを、エイフは「どうした?」と不思議そうに見た。クリスは飛びつくように抱きついて、小声で告げた。
「ここに魔女様がいたみたいなの。それも割と最近の話だよ。あと、ギュアラの魔法使いの話も――」
「分かった分かった。落ち着け。ゆっくりだ。その前に場所を変えような」
「あっ、うん、そうだね」
エイフはクリスを抱え上げた。腕に軽々と乗せ、笑みを浮かべる。
「落ち着いたか?」
「うん。ごめんね」
「問題ない。むしろ、お前が子供みたいだと安心する」
「……子供みたいな真似はしてないよね」
「おっと、これも失言か? 女の子ってのは難しいな」
「どうせ難しいよ。ふんだ」
「悪い悪い。ほら、機嫌を直せ。甘いものでも食いに行くか」
まるで小さな子を宥めるみたいな言い方にムッとしかけるが、それもこれもエイフの優しさから来ている。全力で乗っかることにしたクリスはにやりと笑った。
「じゃあ、ケーキの盛り合わせを食べに行こう。エイフも食べるんだよ?」
「あぁ?」
「大通りに高級喫茶店があったの。可愛い感じじゃなかったけど、店構えは貴族向けで綺麗だったから味は間違いないよ。楽しみだね!」
「いや、だが」
「楽しみだねっ!」
「ああ、分かった。だが、こんな格好じゃ入れないだろうから――」
「着替えていこうね!」
それ以上は反論しなかったエイフである。
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