190 非難の目と匂いと鼻スプレー
結局、エイフは依頼を受けなかった。職員が直々に「どうでしょうか」と聞きに来たけれど「試合に出るつもりはない」ときっぱり断る。
クリスも受けられそうな依頼がなかったため、この日は見送ることにした。
が、紋様紙の話を聞いていたようで職員に納品をお願いされた。交渉の末、これも依頼の一件として数えてもらう。
「じゃあ、【身体強化】を中心にまとめて納めますね」
「助かります。ナファルの魔法ギルドには紋様士スキル持ちがいなくてね。他のスキル持ちが描くんですけど、精度が悪いんですよ~」
「……精度が悪かったら使用者の命にも係わると思うんですけど」
クリスが眉を顰めると、職員が小声になった。
「それがいいと、好んで買うオーナーもいるんですよねぇ。全く、嫌な話です」
「え」
驚くクリスを見て、職員は「あ」という顔になった。気まずそうに目を逸らす。クリスが背後を振り返ると、紋様紙の納品を一緒に確認していたエイフが肩を竦めた。そして身を屈めてクリスの耳元で囁く。
「オーナーってのは、奴隷戦士を使って商売をしている奴等のことだろう」
クリスの顔は嫌悪感で歪んだ。エイフも淡々と話しているが軽蔑しているのが分かる。その瞳が強く非難していた。
だからこそ、彼は戦士として試合に出る依頼を受けなかったのだ。
「ええ、まあ、そういう輩もいるわけです。一応、試合で殺しは厳禁ですが、ハプニングを求めるオーナーも多い。我々も冒険者が巻き込まれないように、試合に出る場合はなるべく良質の紋様紙を使うか、魔法使いに補助を掛けてもらいます」
「スキル持ちも試合に出るのか?」
「試合にも色々あるんですよ。パーティー戦だったり、魔法使いだけを戦わせたりね」
「そうか。ま、俺には関係ないな」
「まあまあ。良さそうなのがあれば、ぜひ受けてください」
金級で鬼人族というのは滅多にない「レア」級らしく、職員は笑顔でよろしくと頼んでいた。
ギルドを出ると、エイフが「とりあえず町を見て回るか」と提案した。
クリスたちも奴隷商の情報を集めたいところだが、なにしろ二人は目立つ。エイフは言うまでもなく、クリスの方も「小さな女の子」という見た目である。ドワーフらしさはないため、そういった意味での危機感はない。けれど、少女が奴隷商について調べていたら普通におかしい。
だからこそ、そちら方面はカロリンやカッシーが担当してくれたのだ。彼等は旅の途中で捕まえた奴隷商の男についてだけでなく、クリスの母親がここにいたかどうかも調べている。
その間、クリスたちは冒険者ギルドで依頼を受けるつもりだった。
「ま、急ぐ旅でもないんだ。ゆっくり見て回ろう」
「そうだね。プルピたちも探検してるだろうし。あ、他のギルドの様子も知りたいな。本屋さんにも行ってみたい」
どのような本が置いてあるかで、どういう都市かも分かる。
ギルドの雰囲気も分かっていた方がいい。
「だったら、あっちだな」
「前に来た時は長居しなかったって話だったのに、よく覚えてるね」
「いや、覚えてないぞ。初めて来た場所でもなんとなく分かるんだ」
「えっ、勘なの?」
「そんな感じだな。匂いのようなもんだ」
「すごいね。てっきり地図が読める男なんだとばかり」
「なんだそりゃ」
「そういうのがあるんですよ。わたしも地図は読めるんだけどね!」
「いやだから、なんだそれ」
「地図が読めない人はどうやっても迷子になるって話だよ」
イサが頭の上でピッピピッピと鳴く。何か言いたいらしいが、クリスは文字ボードは出さなかった。たぶん、抗議したかったのか、クリスについて何か良くない話をしたいのだろう。だから出さない。
イサはしばらくすると、ふてくされたように踏んで回ってクリスの髪をボサボサにした。
町を見て回り、買い出しも済ませて宿に戻ったがカロリンたちはまだ帰っていなかった。
夕飯の時間にも早いため、クリスはペルとプロケッラの様子を見に行った。エイフも一緒だ。
「こりゃあ、本当に来年には仔が生まれるぞ」
「うん……」
プロケッラが他の馬を威嚇するのはもちろん、ペルに対してせっせと貢ぎ物の餌を与えている姿が目に飛び込む。
ちなみにペルは「あら、ありがとう」という感じだ。プロケッラの愛を受け入れつつも主導権はペルにあるらしい。
竜馬は賢いというが、こういう姿を見るとちょっと可哀想に見えてくる。
「心配するな。兆候はまだない。旅は続けられるさ」
「あ、そういう心配もしなきゃいけないんだったね」
クリスはただ呆れていただけだが、確かに身重の体で家馬車を引かせるわけにはいかない。ハパに運んでもらうにしろ、お腹を圧迫する今の方法は危険だ。
「家馬車の改造も視野に入れないとダメだね。いっそ、馬運車みたいなのを作って連結しようかな」
エイフが笑ってクリスの頭を撫でる。
「落ち着け。気が早い。まだまだ先の話だろ。それよりハパの家を作らないと拗ねるんじゃないのか」
「あ、そうだった。ハパの家、後回しにしてるもんね」
「プルピも物づくりがしたいようだったぞ」
「そうだよね。鼻スプレーも注射針のブームも終わったもんな~」
以前、意識のない者にどうやって薬を与えるかで悩んだことがある。プルピとアイディアをたくさん出し合った結果、最終的にやりやすい方法として鼻スプレーに落ち着いた。当初話していた点眼器や注射器も作ったけれど、簡単に使うのなら鼻スプレーがいい。
元々ポーションも飲めばすぐに効くような吸収率だ。鼻から摂取したって問題ない。
注射針の使い途は今のところ考えていない。というより物づくりの血が騒いだプルピが勝手に作り始めてしまっただけだ。言い出したのはクリスだけれどハマったのはプルピである。
「ハパの家の構想を練りたいし、プルピに作ってほしいものもいっぱいあって悩むなー」
「プルピに作ってもらいたいものがあるのか?」
「小さなネジと、そのドライバーが欲しいの。やっぱり小物を作るには専用の道具が要るんだよね」
「ああ、なるほど」
「そのためのレンズも要るし。今のところ一ミリ単位で線は引けるけど、これ以上は厳しいんだもん」
「……お前は一体何を作るつもりなんだ」
「だって。精霊の家を作ってたら段々小さい物が作りたくなるんだよ」
ミニチュア家具など可愛いの極地だ。何の役にも立たないが、可愛いのでよし。
クリスが力説すると、エイフは苦笑いで「分かった分かった」とまた頭を撫でる。
「こういうのが売れるんだって。絶対だからね!」
「なんだ、商売っ気か。よしよし、じゃあ小さいのを作れ。この都市で売れるかどうかは分からんが頑張れよ」
適当なエイフに、クリスは俄然やる気になったのだった。
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