179 泣き虫クリス




 ――母はもしかして父を憎んでいたのだろうか。

 もし、もしも、想像が当たっていたら――。


 一番、悪い想像だ。

 それは、望まれて生まれてきたのではないかもしれない、ということ。

 最も愛していた母に、望まれていなかった可能性をクリスは考えた。


 考えないようにずっと心の奥底に押し込めていた感情が、言葉にすると涙になった。




 いつの間にかエイフに抱き締められていた。

 右側にいたカッシーが消え、代わりにカロリンがいる。柔らかい胸がクリスの腕に当たるのだ。

 イサは頭の上に移動し、クリスの髪の毛を羽根でバサバサと撫でている。


「お母さんが、どっ、奴隷だったのかもしれないって思ったの」

「何故そう思うんだ。突拍子もない」

「お母さん、絶対にお腹を見せなかったの。体を拭いてあげる時も、そこだけはさせてくれなかった。この間、奴隷商の男を村の役人に突き出したでしょう? あ、あの時に聞いたの。ナファルの奴隷は下半身に奴隷紋を入れるって」

「クリス、それは――」

「お父さんは元騎士だった。逃げて逃げて、あんな辺境の地に流れ着いたんだよ。おかしいじゃない。犯罪者じゃないから村人として受け入れたって村長は言ってたけど、じゃあどうして『騎士様』が逃げるの?」

「……ナファルにある闘技場の話か」


 奴隷都市ナファルには闘技場が幾つもあって、そこでは毎夜、命をかけた戦いが繰り広げられる。闘技場には専任の戦士がいるそうだ。更には飛び入り参加の冒険者など、誰もが自由に参加する。その中には騎士だっている。

 彼等が勝ち抜いて賞金を手に入れると、次はどうするのか。お金の使い途に目的がないのなら、大抵は奴隷購入と相場が決まっているらしい。そうさせるかのように、周辺には奴隷を売る店が多く並んでいる。週末には奴隷市まで立つほどだとか。

 そんな情報を、クリスは通り過ぎた村や町で聞いた。


「奴隷商も言ってたじゃない。ドワーフは珍しいって。お母さんは今のわたしと同じか、それより小さかったと思う。ドワーフだって言われても不思議じゃない」

「母親の来歴を調べたいんだな?」

「うん」

「後悔するかもしれないぞ」

「いい。何も知らないより、ずっといいよ」


 エイフは体を離してクリスの目をジッと見つめた。それから、そうっと手を伸ばして頭を撫でる。


「そうだな。知らないまま思い悩むより、真実を知って受け止めた方がいい」

「エイフ――」

「俺にはその気持ちがよく分かる。お前に真実を受け止められる強さがあるのも知っている。だが、無理はするな。いいか。クリスには俺がいる。いや、俺たち、だな」


 そう言うと、エイフはクリスの肩をポンポンと叩いた。見上げて彼の指し示す視線の先を見ると、クリスの腕に縋り付いて胸を押しつけているカロリンがいた。更に押しのけられてしまったカッシーも見える。二人とも泣きそうな顔だ。

 クリスは肩に戻ってきたイサを見た。すりすりとクリスに頬ずりする。それから馬たちへと嘴を向けた。ペルとプロケッラ、その上に座る精霊たちがクリスを見ていた。彼等の顔には「エイフと同じ意見だ」と書いてある。


「……うん。ありがとう」

「よし」


 頭をぐしゃぐしゃに撫でた手を下ろすと、エイフはクリスの頬を摘んで引っ張った。


「なに、ひたい、ひゃめてー」

「ははは」

「ひどい! 何するの!」

「クリスはそうやって元気に騒いでいるのがいい」


 笑いながら言うけれど、エイフのその目は潤んでいた。

 クリスはびっくりして振り上げていた手を下ろした。


「頼むから、何も言わずに一人で悩んでくれるなよ。怒っていい。不満をぶつけるのも、愚痴だって聞く。何でもいいんだ。俺に言えないことならイサに、プルピだっているだろう。まあ、女の話ならカロリンだっているからな」

「あら、わたしが一番の相談相手になってもいいのよ?」

「あんたはどうも偏ってるからな」

「ひどい言い草ね!」


 カロリンが冗談にしてくれる。明るく笑って、暗い空気を吹き飛ばしてくれた。


「それに、クリスにはペルちゃんという素敵な相談相手がいるわよ? 忘れてやしないかしら」

「あれは優しいが、言葉が通じないだろう?」

「それもそうね」

「ククリもダメだ。斜め上の発想に行き着いて勝手に転移させられかねない」

「……それは怖いわね」


 二人が話すのを眺めながら、クリスはエイフの言葉の奥にある「後悔」を知って哀しんだ。

 彼は友人を助けられなかった過去を今でも引きずっている。ニホン組に連れていかれた友人が後に亡くなったのを、何かあったのではないかと疑っているのだ。だからニホン組について調べている。

 その中でも強硬派、あるいは過激派と呼ばれる人たちが「同族を見付けたら強引に連れて行く」のだそうだ。エイフは彼等と知り合うために、また生きていくために冒険者となった。

 もっとも、今はもうニホン族の全てが悪いのではないと彼は知っている。だからこうして転生者のクリスを助けてくれるし、カロリンやカッシーの同行も受け入れてくれた。

 しっかりと見極める冷静さがエイフにはある。

 ずっとそうであってほしい。

 エイフがクリスを心配するように、クリスだって同じ気持ちでいることを彼には知っていてほしい。


「エイフ」

「どうした?」

「あのね、わたしも傍にいるからね。エイフの助けになれるかどうかは分からない。さっきも泣いちゃったし、安心できないと思う。それにエイフはわたしよりずっと強いしね。だけど、エイフを助けたいって気持ちは本物だよ。ここに・・・わたしはいる」

「ああ」


 掌をエイフの胸に当てて言う。

 そのクリスの手を、エイフが取り上げるようにして手に取った。大事そうに柔らかく掴むと、両手で包み直す。


「お前は強いよ。俺はそれに随分と救われてる。まあ、泣き虫だけどな」

「泣き虫なのはほっといて」

「女の涙は強さの証だ。そうだろ?」

「自在に出せないから、武器にはなってないかなあ」

「ははは。まだまだ子供だもんな」


 むっとするクリスに、エイフは微笑んだ。そして小声で告げた。


「前世の記憶がどうとか、振り回されなくていい。今のクリスを一番大事にしろ。子供のお前に助けられてる俺が言うことじゃないけどな」

「わたし、エイフを助けてる?」

「ああ。もう、無理に調べようとは思わなくなった。もちろん、困ってる奴がいたら何とかしてやりたいと思うがな」

「うん」


 クリスが心配しなくても、復讐に走ろうとは考えていないようだった。積極的に関わる気もないようだ。それでもニホン組はあちこちで問題を起こす。きっとまた出会うだろう。


 その時に相手がどう出るのか。

 見極めて、対策を取る。

 それでいいのだ。


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