178 クリスの想像
ギュアラ国を通過するだけの旅は存外楽しいものだった。王都には寄らなかったため、残念ながら魔法都市ヴィヴリオテカで友人となったイザドラの実家には立ち寄れなかった。彼女が元気でいると、クリスの口から伝えたかったけれど仕方ない。
イザドラも手紙は送っているそうだが、自身の居場所を不明にするため特別便を使っていた。特別便は高く付く上に届くのも遅い。途中で消えることもあるそうだ。
イザドラが住所を隠すのは、彼女が徴兵を恐れてギュアラ国を出奔したからだった。
ギュアラ国は隣国のフォティア帝国に協力するという形で自国の魔法使いを差し出していた。優秀な人材の中からランダムに選んでいたという。でも、誰も信じていなかった。選ばれるのはいつだって庶民がほとんどで、稀にいる貴族は政争に敗れたか、その関係者だとクリスは聞いた。
一見平和に見えるギュアラ国内を観察しながら、クリスはこれから行くフォティア帝国について考えた。
フォティア帝国は好戦的で、人族至上主義を掲げている。彼等は獣人族やエルフ、ドワーフなどを人族とは認めていない。
そんな国だからか、自国内に奴隷都市ナファルを作った。犯罪奴隷を主に取り扱っているが、彼等の言う「人外」が売り買いされていても介入はしない。勝手にしろと無視を決め込んでいる。とはいえ自国の、無辜の民が誘拐されていたなら検めに入るそうだ。
しかし、人族であろうとも戦争で捕虜にした兵士は送っているというから、どうかしている。話を聞いたクリスは、顔を顰めすぎてカッシーに「女の子の顔じゃない!」とゴシゴシされた。そして「やっぱりクリスは手前の町で待ってた方が良くない?」と心配される。カロリンも同じような顔だ。
ではエイフがどうかと言えば――。
「俺も本当はクリスが行くのは反対だけどな」
「どうして? いいって言ったじゃない」
「生半可な気持ちで行きたいと言ってるわけじゃない、それが分かっているからだ」
御者台に並んで座っていると、エイフがチラリとクリスを見て頭を撫でた。
「奴隷商の件だけじゃないんだろ? 他にも何か気になることがあるんじゃないのか」
「うん……」
「まあ、話したくなければいいんだ。ただ、知っていれば手伝える場合もあるだろう?」
この旅の間、それぞれが出自について語り合った。
クリスが転生者であることもだ。カロリンとカッシーは「気付かなかったわ!」「言われればそうかも」と驚くだけで、気を悪くする様子はなかった。
クリスが告白したのは精霊たちが危険だと感じていないせいもあったが、それよりも自分の目を信じたかったから。二人は最初から一貫して、今この時代をちゃんと生きようとしていた。新しい生を大事に生きていた。クリスと同じだと思えたのだ。
その時に二人の生い立ちも簡単に教えてもらった。
エイフはニホン組への復讐めいた気持ちやきっかけは語らなかったけれど、ニホン族を調査している話はした。カッシーは「ニホン組やらかしてるからなー」と特に疑問にも思わず受け止めていたようだ。
クリスも生まれについて話したが、父親との確執は詳細を省いた。というより、ヘビーすぎるのではないかと躊躇った。でも、ここまできて何も話さないのは不誠実だ。なにしろナファルに行きたいと決めたのはクリスで、その理由の一つが父母にあるからだ。
「……あのね、少し長くなるんだけど、聞いてくれる?」
左側のエイフを見上げ、それから右側に座っていたカッシーにも了解を取る。エイフは頭を撫でて頷き、カッシーは手綱を引っ張るように強く握って何度も頷いた。
家馬車の屋根からはカロリンが顔を覗かせる。はしゃいだ声を上げないのは、大事な話だと分かっているから。
ペルの頭の上にはプルピとククリ、プロケッラにはハパが乗っている。彼等も振り返ってクリスを見ていた。
小鳥妖精のイサは一番近い場所、クリスの肩の上で心配そうだ。
「ピルル?」
「大丈夫。イサ、ありがとうね」
優しい友達を撫でながら、クリスは口を開いた。
*****
クリスの父エイベルは、辺境の地にあるアクリ村で誰よりも強い男だった。
村は流刑地の管理を請け負っていたため、エイベルは刑務官代わりとして重宝されたそうだ。本人は腕を怪我して本来の力の半分も発揮できないと苛立っていたらしいが。
ともあれ、その仕事場から噂が立った。噂は回り回って村長を通じてクリスの耳に届いた。エイベルが元騎士ではないのか、と。
喧嘩剣法も交ざっているようだ、不良騎士というよりは賭け試合の経験があるのではないか。そんな風に犯罪者たちの間で話が広まった。
クリスに話を聞かせた村長に悪気はない。彼は純粋に「騎士の子に生まれるなんてすごいね」と思っていた。賭け試合についても実力があるからだと受け取っている。村長にはそういうところがあった。内緒でクリスに食べ物をくれるぐらい優しい人で、商人に買い叩かれていても気付かない純朴さがあり、そして学がなかった。
彼は騎士がどういうものかを知らなかったのだ。
もちろん、その時のクリスも知らなかった。
騎士は庶民がなれるものではない。
ペルア国ならば庶民にも門戸が開かれているけれど、それでも簡単ではなかった。何よりまず、騎士学校を卒業しないと騎士試験の受験資格が得られないのだ。当然だが、騎士学校に入るためには入学試験に合格しなければならない。剣技のみならず礼儀作法も採点のうち。つまり、学校に入る前から要求されるレベルが高い。
それらを考えると、エイベルは学費が賄えるであろう裕福な庶民か、あるいは騎士爵の血筋である可能性があった。
上位の貴族ではないだろう。そこまで気品があるようには見えなかった。子供であるクリスが言うのも変だが、エイベルは身を持ち崩した元貴族にしてはやさぐれすぎていた。良くて男爵家だ。
そんな男が辺境の地に、か弱い妻を連れて辿り着く。
エイベルは母アンナを偏愛していた。大事な宝物のようにアンナだけを愛でていた。アンナは苦笑いでエイベルの相手をしていたけれど、どこか冷たくもあった。目の奥が笑っていないのを、クリスは何度か見た覚えがある。
クリスに対する深い愛とは違って見えた。
もちろん、子供への愛と夫への愛の形が違う女性だっているだろう。
クリスは前世で恋愛に失敗しているので、アンナの気持ちについて「おかしい」とは断言できない。
けれど、ある日、クリスは両親の話をこっそり聞いてしまったことがある。
「あの子に仮の名をくれないのならそれでも構いません。でも、いないものとして扱うのは止めてください。これは、あなたが望んだ結果でしょう?」
初めて聞いたアンナの冷たい声に、クリスは背筋がぞっとした。
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