175 別れの挨拶と出発




 ヴィヴリオテカを出発する日の朝、クリスはイザドラから薬箱をもらった。もちろん中身付きだとドヤ顔で渡された。貴重な素材を使ったものも入っていて、クリスは泣きそうになった。

 滅多に使わないような薬は一つずつ小さな保存用ガラスに入っている。それが高価なことぐらい、物づくりの加護を持つクリスには分かった。

 有り難く受け取った。クリスからは小さいながらも瑪瑙大亀の甲羅をプレゼントした。迷宮都市ガレルでもらったものを、薬研として使えるように仕上げたものだ。同じものをクリスも持っている。

 イザドラは薬師スキルを持っているが、使っていたのは安価な乳鉢だった。それでも問題はないが今後はもっとスキルレベルを上げていくだろう。それなりの道具が必要になる。

 はたして、イザドラは涙をボロボロ零しながら喜んでくれた。


「あーりーがーとー! わぁぁん!」

「イザドラってば、もう」


 抱き着かれながら、クリスはイザドラの背中を撫でた。

 横では一メートルサイズのニウスが呆れた様子だ。視線が合ったクリスはウインクした。彼は「キュ」と鳴いて小さな羽をパタパタさせる。それがニウスの返事だった。



 クラフトとイフェも見送りに来ていた。


「クリス、君には本当に世話になったね。ありがとう」

「いいえ。こっちこそエリミア国の情報を教えてもらえましたから」

「あんな情報が対価になっただろうか」

「はい。だって自分が住んでいた国のことなのに、本当に何も知らなかったんだもの」

「……君はエリミア国の出身だったのか」

「北の辺境ですけどね。そこからオリノス国を横切ってペルア国の迷宮都市まで一人旅をしたんですよ」


 すごいでしょう? と戯けてみせると、二人は本気で驚いた。

 クリスは慌てて付け加える。ちゃんと途中からペルという相棒がいたこと、そして迷宮都市からはエイフが一緒だったことを。本当に楽な旅になった。


「そうまでして故郷を出たかったんだね」

「わたしの故郷は生きるのにそれは大変な場所でしたから。父親にも疎まれてましたし」


 肩を竦め、苦笑する。クラフトとイフェの顔に「気になる」と書いてあったから、クリスは簡単に生い立ちを話した。自分が何故、父親に疎まれていたのかも。

 母親は産後の肥立ちが悪く、結局クリスが大きくなる姿を見ることなく亡くなってしまった。その母を、父は愛しすぎていた。母が弱った原因でもあるクリスを、彼は最後まで許せなかった。

 事情を説明したクリスは最後にこう締め括った。


「人族である父の血を引くわたしを産むには、母は小さすぎたんです。だけど、母は最期までわたしを愛してくれた。ただの一度も後悔するような言葉を口にしたことがなかった。だから申し訳ないとは思わないでいようと心に決めたんです。母のためにも、わたしは幸せにならなきゃって」


 本当は何度も考えた。自分のせいだと泣いた夜は多い。それでも生きたのは、母親が「幸せにね」と言ったからだ。


「なんだか暗い話になっちゃいましたね。ごめんなさい」

「いや。そうと知っていれば、もっとエリミア国について広く教えてあげれば良かった。冒険者ギルドや魔物についてばかりになってしまったね」

「ううん。とても役に立ちます」


 その後、少し話してから出発となった。

 エイフも知り合いの冒険者から見送られ、家馬車に戻ってくる。

 クリスはペルとプロケッラの様子を確認し、御者台に乗り込んだ。エイフもひょいっと乗る。

 二人で見送りの人に手を振り、家馬車が動き出した。

 次はどこへ行こうか。まだ決めていない。でもそういう旅もいい。


 遠くから、エイフを呼ぶ声が聞こえてきた。ドタッと倒れる音が続く。エイフが苦笑して呟いた。「あれは賢者だな」と。

 イザドラの大きな声が車輪の音に重なって聞こえる。


「あは、あなたって鈍臭いわね! あたしみたい!」


 一瞬の間に妄想が広がった。あの二人が仲良くなったら面白い。どうかな、どうだろう。クリスがエイフに話すと、大笑いだ。


「さあ、どうかな? 奴もニホン組の例に漏れず、女好きだ」

「えぇぇ、ニホン組って女好きなの?」

「ニホン『組』が、だぞ」

「あー。そっか。じゃあ、イザドラとの間にロマンスは発生しないか」

「なんだなんだ。人の恋路を心配している場合か?」

「え、なんで?」

「クリスだって年頃だろ?」

「……」

「なんだ、その無言は。俺がいない間に何かあったのか?」


 心配そうなエイフが、まるで父親みたいでくすぐったい。少し考え、クリスは小声で教えてあげた。


「あのね、クラフトさんがちょっといいなって」

「おい、あれは俺より年上のオヤジじゃないか。ダメだダメだ」

「あのねえ……」


 ただの憧れではないか。ちょっと好みだっただけだ。それなのに、エイフはぶちぶちと言い始めた。

 本当に本当の父親になった気分でいるようだ。

 クリスは呆れて、彼のお説教みたいな愚痴を右から左へと聞き流した。




 馬車は問題なく街道を進んでいく。

 エイフとは行き先を決める話し合いをのんびり続けている。商業が盛んなギュアラ国へ向かうか、草原の国リヴァディに行くか。どちらも南にあるため、しばらくは街道を進めばいい。

 途中で旅人が使う休憩所に馬車を寄せる。


「ちょっと早いが休むか。この先しばらくは休憩所がないらしいからな」

「分かった。あれ、でもじゃあ、他の人はどこで休むの?」


 通り過ぎる馬車や馬を眺めて問うと、エイフは簡易地図を手に指差した。


「少し先に村がある。たぶん、宿泊施設があるんだろう」

「そっか。んー、だったら、ここで休んでおく方がいいね」


 小さな町や村の場合、家馬車はともかく馬たちを預けるのに分けられる可能性がある。それに宿泊施設も一つしかない、というパターンが多い。そうなれば、何度も泊まっている商人や旅人が優先されてしまう。

 家馬車に泊まり込んでもいいが、火が厳禁など意外と制限があるのだ。

 ならば、エイフと一緒に野営する方が居心地は良い。

 休憩所は広く、井戸もあれば竈だって設置されている。


「水を汲んでくるねー。ついでにペルちゃんたちに食事もさせてくる」

「ああ。俺は王都で仕入れた肉でも焼くか」

「王都の肉?」

「王都に入ってきた高級食材ってことだ。待ってろよ、美味しい肉を食わせてやる」

「やったー。あ、野菜スープもお願いします」

「へいへい」


 エイフだけなら肉とパンだけだったのだろうが、クリスは野菜も食べたい。食後にはデザートとして果物も食べるつもりである。

 実はトニーから、木箱単位で果物をもらっていた。傷みやすい桃はエイフの収納袋に入れてもらい、残りは家馬車に積み込んである。


「オレンジジュースにしちゃおっかなー。後で皮を使ってオレンジピールも作ろうっと」


 クリスはウキウキと近くの小さな森で用事を済ませ、休憩所に戻った。

 途中で井戸の水を汲んでヴヴァリの水袋に入れる。

 それをプロケッラに載せていると、声が聞こえた。


「だからねぇ。こちらもタダでと言っているわけじゃないんだよ」






**********


3巻発売中です~どうぞよろしくお願い申し上げます!


家つくりスキルで異世界を生き延びろ 3

ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4047365636

イラスト ‏ : ‎ 文倉十(先生)

書き下ろし番外編「魔女様とクリス」


文倉先生のイラストが本当に素敵なのでぜひお手にとってみてください~




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